【ジャズ喫茶の客層変化】

 

 

これは「いーぐる」だけの現象かもしれないので若干タイトルは大げさなのですが、このところお客様の様子に変化が見られます。まず18:00時までの会話禁止タイムのお客様が急増しているのですね。それも初めてご来店のお客様方や、年配ご夫婦とみられるカップル、若い女性、そして外国からのお客様が目に見えて増えているのです。

 

最初は韓国からの方々で、これは昨年でしたか「ジャズ研・ジャズ喫茶部」さんのご紹介で韓国版マリ・クレールに「いーぐる」の記事が載ったことが原因とわかっているのですが、ちょっと驚いたのは中国からお見えの若いご夫婦でした。このご夫妻は昨年もお見えになり私と一緒の写真を撮っているのですね。おそらくこれは、ずいぶん前に中国のメディアで紹介されたからでしょう。それが情報源になっていたのか、先日来店された他の若い中国人カップルに「何でこの店を知ったのか?」と尋ねると、何と中国のネットに「いーぐる」の入り口の写真と中国語による店の案内と思しき情報が記載されていたのですね。

 

もっと驚いたのが台湾からお見えの若い男女5人組。会話禁止タイムのご来店でしたので、つたない英語で「当店はジャズを聴くお店なのでおしゃべりは出来ませんがよろしいですか?」と尋ねると、すべてわかっているとのこと。そう言えば、以前台湾のジャーナリストのインタビューを受けた記憶がありました。その方から今年もより詳細なインタビューを受けたので、また当地からのお客様がおいでになられるかもしれませんね。彼らもおそらくは事前にネットで「日本のジャズ喫茶」の事情を知っていたのでしょう。

 

来店される外国人はアジア圏だけではありません。先週はスエーデンからのカップル、そしてもちろんアメリカ、イギリス、フランスなど西欧諸国からのお客様方も大勢お見えで、しかも彼らもまた「会話禁止」という日本独特の「ジャズ喫茶ローカル・ルール」をご存じなのですね。それだけではなく、「常連客」と化した西欧系のお客様方も最近は目立ちます。ノートパソコンを開く若い男性、ワインを飲みつつジャズに耳を傾ける若い女性たちなど、一昔前では信じられない光景がこのところ目に付くのですね。日によってはお客様方のおよそ半数が外国勢ということも珍しくありません。

 

そしてメインは日本の若い女性客です。従来ジャズ喫茶はジャズオジサンたちの憩いの場としての機能を果たしていたのですが、このところ女性のお客様が目に見えて増えているのです。それもかなり熱心なジャズファンで、かかるアルバムごとにジャケットの写真を撮ったりメモしたりしているのですね。

 

いろいろな理由があるのでしょう。まず思い付くのはここ数年のジャズシーン自体の活況です。カマシ・ワシントンやエスペランサといった有力な新人ジャズ・ミュージシャンが来日し、ごく普通の音楽ファンの目が“ジャズ”に向かいつつあるのでは無いでしょうか。また、従来言われて来た「ジャズ喫茶の敷居」が低くなって来たのも大きな原因かもしれません。ともあれ、こうした新しいファン層はジャズファンの純粋増に繋がるので、ほんとうにありがたいことです。

【「ジャズ評論」についての雑感~その5「番外編の続き」】

 

 

いみじくも村井さんが指摘したように、ジャズファンの中にも、ある時期以降新譜をあまり熱心に聴いていない層が存在することは私も感じています。少し前でしたが、ジャズ関係者が大勢集まるパーティの会場で、名の知られたジャズ喫茶店主さんたちから「最近面白いミュージシャンいない?」と尋ねられ、ちょうどライヴを観たカマシ・ワシントンやスナーキー・パピー、ゴー・ゴー・ペンギンといった名を挙げたら、みなさんご存知ないようなのです。そのとき私は「これはちょっとまずいな」と思い、彼らの新譜や聴き所を私なりに紹介しておきました。

 

その方々の周りにはそれぞれ熱心な常連さん方がおいでになるはずなのに、こうした情報が入っていないことに少し驚くと同時に、「やはりなあ」とも思ったのでした。それは、なまじ年季の入ったジャズファンほどジャズ観が固定してしまっていて、一部の新人ミュージシャンたちの音楽を「あれはジャズじゃない」と一昔もふた昔も前の常套句で切って捨てているようなのですね。

 

これは決して非難ではなく、その気持ちは私もわからなくは無いのです。私自身、ある時期までそうした方々に近い感想を抱いていたからです。しかしここ5年ほど小学館さんとの仕事の関係上、「ジャズ史」、そしてジャズを含む「アメリ音楽史」を今一度見直してみて、自分のジャズ観が無意識のうちに「モダン期偏重」に陥っていることに気が付いたのです。

 

きっかけは、「ジャズの父」と尊敬されたルイ・アームストロングアメリカの国民的歌手フランク・シナトラ、そして先ごろ惜しくも亡くなったジョアン・ジルベルトといったボサ・ノヴァ・シンガーたちなど、ジャズ喫茶ファンには若干距離のあるミュージシャンたちを集中的に聴いた貴重な体験です。

 

詳しくは小学館から刊行されたCD付隔週刊ムックをご一読されたいのですが、このシリーズは、基本的にジャズに関心はあるけれどあまり詳しくはない一般読者を対象としているため、かなりていねいに説明をしています。事情通ならお分かりかと思いますが、ジャズ書で一番難しいのが「入門者向け」なのですね。

 

理由は、入門者には「ファンなら当然そんなことはわかっているよね」とマニア向けの「前提抜きトーク」は使えないところにあるのです。これはけっこうキツい。キツさの理由はいろいろあるのですが、一番の問題点は「ジャズとは何か」という、マニア間でも揉め勝ちな設問に対し、わかりやすいことばで正面から説明しなければならないところです。

 

付け加えれば、上記以外でもジュリー・ロンドンビング・クロスビーといった、人気はあってもエラ・フィッツジェラルドメル・トーメといった「わかりやすいジャズっぽさ」から距離のあるミュージシャンの「聴き所」を、「ジャズの本質」と関連付けて説明するには、“ジャズっぽさ”の「具体的内容」を私自身が再確認しなければいけないのですね。

 

その「再確認」の過程で、それこそルイ・アームストロングからカマシ・ワシントン、エスペランサまで、ジャズの本質を抽出する視点で聴き直した結果、前記のような私自身の「モダン偏重のジャズ観」が浮かび上がって来たのです。それはパーカーが切り拓いた即興重視のスタンスが、結果として、ジャズが誕生の頃持っていた大衆融合音楽という基本性格を大幅に芸術性重視の方向に転換させてしまった、「芸術音楽としてのジャズ」というジャズ観ですね。

 

パーカーが切り拓いた成果はたいへん大きく、彼に触発されたマイルス・デイヴィスジョン・コルトレーン、そしてビル・エヴァンスといったモダン・スターたちの華々しい活躍は、多くの音楽ファンの「ジャズ観」を決定的なものとしたのでした。もちろん私のジャズ体験もそこが原点です。

 

とは言え、“ビ・バップ”に始まる「モダンジャズの時代」は、19世紀末に始まり既に120年近く経つジャズ史のうち、40年代後半から60年代末に至る、わずか20年ほどのことであり、期間としては「全ジャズ史」の5分の一にも満たないのです。

 

では、ルイ・アームストロングがその基本方向を形作ったとされる“ジャズ”から、“モダン期”も含め、現在のジャズシーンの隆盛に至るまで一貫した「ジャズの本質」とはいったい何なのでしょうか。

 

私はそれを「個性的表現を第一とする音楽」として捉えたのです。もちろんどんな音楽ジャンルも演奏者の個性的表現は重要ですが、クラシック音楽の場合は作曲者の意図がそれに制限を加え、伝統的民族音楽は一定の文化的規範が個性表現に制限を加えています。

 

また、ポピュラー・ミュージックの場合は、多くのスターはヒット曲と共にデビューするケースが大半です。そうした場合、ファンはまずもってユニークかつ魅力的な楽曲を演奏・歌唱する存在としてミュージシャンの存在を知り、結果としてファンになるのですね。彼らにとって楽曲の存在はクラシック音楽とは別の意味で重要な要素となっています。

 

ジジイなのでたとえが古くて申し訳ありませんが、私がビートルズを知ったのは「抱きしめたい」や「ア・ハード・デイズ・ナイト」といった、60年代当時としては極めてキャッチーな楽曲を演奏するミュージシャン・チームとしてであり、楽曲より先にビートルズの存在を知っていたわけではありません。これは同世代の多くの音楽ファンにおいても同様でしょう。

 

彼らの場合、もちろん個性的な存在ではあったのですが、キャッチーな楽曲を極めて魅力的に表現することが、ファンに認知される前提条件となっていたのですね。言ってみれば、楽曲の存在と個性表現が極めて有機的に結びついているのです。もちろんジャズ・ミュージシャンにおいても楽曲との絡みでの認知という現象は見られます。「ハロー・ドーリー」とルイ・アームストロング、「ラウンド・ミッドナイト」とマイルス・デイヴィス、あるいは「奇妙な果実」とビリー・ホリディなど。

 

しかし注意すべきは、彼らは上記の楽曲によって「一般的認知」を得る前から、ジャズ・ミュージシャンとして十分以上の評価を「ジャズファンたちから」得ていたのですね。そしてその評価はそれぞれが極めて個性的な存在だったからなのです。このことは、いわゆる“スタンダード・ナンバー”とそれらを採りあげたジャズ・ミュージシャンの関係を見ることによって、より鮮明に浮かび上がって来るでしょう

 

 

というところで今回は一休み、続きは次回に譲ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【「ジャズ評論」についての雑感~その4(番外編)】

 

 

ツイッターは観ているだけですが、最近ジャズを巡る面白い騒ぎがありました。柳楽光隆さんに初対面のさる音楽関係者が「ジャズは終わった」と否定的なコメントを発し、柳楽さんがおおいに憤慨しているようです。常識的に考えて、初対面で相手の専門領域のジャンル自体を否定的に捉えること自体、失礼であることがわからないはずがなく、明らかにこれは挑発ですね。

 

こうしたやり取りに対し、友人の音楽評論家、村井康司さんがツイッターで実に適切な評価を下しています。村井さんは

 

「ベテランのジャズ・ファン、それも音楽業界にずっといた方にも、ジャズは死んだとか今のところジャズは駄目だ、と言う人はけっこういますけどね。そういう人はどこかで新しいものを聴かなくなっているだけなんだけど、そういう意見を聞きかじりでリピートしてる感じがします。」

 

とコメントしていますが、まさに同感。要するに、その「音楽関係者」は不勉強なんですよ。もっとも誰だって「専門領域以外」のことは不勉強なんですから、謙虚に柳楽さんに「最近のジャズってどうなんですか?」って質問すれば、適切な会話が続いたんじゃないでしょうか。

 

その上で、「私は最近のジャズに対し『終わった』と思っているんですよ」とでも話しかければ、最新ジャズ状況に詳しい柳楽さんなら適切な実態をその方に説明したんじゃないでしょうか。まさにその方は重要な音楽情報を受け取るチャンスを逸したんですね。

 

まあ、村井さんの適切過ぎる「総括」でこの話は終わりなんですけど、私自身、同業のジャズ喫茶関係者からくだんの「音楽関係者氏」に近いコメントをいただくことが少なくなく、「この問題」はけっこう根深いように思います。というわけで、この件を私なりに掘り下げてみようと思います。

 

そもそも問題の発端は、いみじくも村井さんが指摘している「そういう人はどこかで新しいものを聴かなくなっているだけなんだけど」というところにあるように思うのです。というのも、私自身、ジャズ喫茶という現場にいなかったら「ベテランのジャズ・ファン、それも音楽業界にずっといた方にも、ジャズは死んだとか今のところジャズは駄目だ、と言う人はけっこういますけどね」の一人になっていた可能性はかなり高いからです。

 

私はジャズ喫茶の役割は、「ジャズ」と「ジャズファン」を結ぶ結節点だと考えているので、最新のジャズ情報は柳楽さんなどのアドヴァイスを受けつつ自分の好みとは切り離し、一応目を通しているおかげで、ここ数年のジャズシーンの活況を肌身で感じているわけですが、そうでない「一ファン」は、過去の体験に縛られがちなのもわからないではありません。

 

とは言え柳楽さんを挑発した方は素人ではなく、一応音楽に関わっている方なのですから、これは不勉強の誹りは免れませんが、それはさておき、私が問題にしたいのは何故「過去の体験に縛られるのか?」というところにあるのです。

 

それに対する答えは私なりに出しています。それはベテラン、ジャズファンほど、「ジャズ史」に対する理解が浅薄というか一面的なのですね。彼らは19世紀末に始まり既に100年を超える全ジャズ史の、5分の1にも達しない「モダンジャズ史」を金科玉条のものとして信奉する視野狭窄に陥っているのですね。

 

「耳派」を自称する私ですら、「頭派」と言いますか「ジャズ史的知識」を借りなければ、肝心の「耳」自体が視野狭窄というか聴覚狭窄に陥ってしまう危険は承知しているのです。

 

というところで、その具体的内容は次回に…

                          

  • 第663回 7月20日 (土曜日)午後3時30分より 参加費1200円+飲食代

『越境する音楽家たちによる対話』~関口義人、新著刊行記念イヴェント

 

7月刊行のこの本には日本で活動する音楽家30人が2人1組の対談形式で参加し、それぞれが目指した世界の音楽へと向かったきっかけや現在のその成果を語りあっている。本書に登場する8名の女性ミュージシャンの中の一人、会田桃子さんはアルゼンチンでの長い生活でタンゴを学び日本でも有数のタンゴバンドでバイオリニストとして活動してきた。

いわゆるワールドミュージックとしてくくられてきた世界の音楽だが、音楽家自身はあくまで”ワールドミュージック”というより自分の目指した領域の音楽に焦点を絞って研鑽してきた。今回の会田さんの対談相手はブラジル音楽でギターを演奏する笹子重治氏だったが、この2人の関係性はブラジルとアルゼンチンという隣国同士の関係性よりはるかに距離が感じられ、この2つの国が全く異なる文化を有する国であることが明確だった。では80年代に世界に拡散した「ワールドミュージック」とはいったい何だったのか?リスナーの抱く世界観と音楽家自身が描く世界観とのずれに着目しながら対談を進めます。

 

:当日は新著の即売も行います。

 

対談:関口義人(著者)× 会田桃子(タンゴバイオリン奏者)

 

            

 

 

  • 第664回 7月27日(土曜日)午後3時30分より 参加費1200円+飲食代金

『2019年のLIVE UNDER THE SKY』  

 

夏が来れば思い出す・・・。1980年代の東京のジャズ・ファンにとって、7 ⽉最終の⼟⽇2⽇間は、よみうりランドの「オープンシアターEAST」という 聖地巡礼のための時でした。ライブアンダーでシーンの「最前線」を体感し、 8⽉の斑尾やMt.Fujiでノホホンと「ノスタルジー」を楽しむ。30数年前に は、そんな幸せな「夏時間」がありました。 1977〜1981年@⽥園コロシアム、そして1983〜1992年@オープンシアタ ーEASTと計15回開催された「LIVEUNDERTHESKY」。伝説のVSOPク インテットやマイルス、ロリンズ、オーネット、サン・ラ、ハービー、チッ ク、メセニー、サンボーン、ギル・エヴァンスwithジャコ、さらにロバータ・ フラッグ、ミルトン・ナシメントブラック・ウフルなど、その多彩なライン ナップはまさしくプロデューサーであった鯉沼俊成⽒の慧眼の証でした。イベ ント・タイトルにあえて「ジャズ」という⾔葉を付さなかったこ画期的マーケ ティング思考や⼤胆な演出やメディア・ミックスetc.、ライブアンダーに出会 ったからこそ⾳楽の仕事に就いたという⼈間は私を含めて⼤勢います。 当⽇は取材等でライブアンダーの出演アーティスト達と幅広く接してこられた 池上⽐沙之さんをゲストに迎え、マイルスを筆頭に様々なエピソード・トーク を交えながら、公式ライブ・アルバムやTVオンエア映像であの熱気を追体験 していきます。秘蔵⾳源や貴重なお宝グッズの開陳、さらに参加者の皆さんへ のプレゼント資料もご⽤意しております。どうぞ、ご期待ください! あの夏の⽇の感動が、いーぐるに蘇る!

 

トーク:Moto上原(元SMEジャズ・ディレクター)

ゲスト:池上⽐沙之(⽂筆家) 内山 繁(カメラマン)

 

 

                          

【「ジャズ評論」についての雑感~その3】

 

「昔はDJの目的は音楽をかけることだった。ヒット曲になるかもしれない曲をかけて、それで盛り上げる必要があった。客が興奮するようなかけ方をしないといけなかった。ただ音楽をミックスするだけじゃなくて、魅力的なかけ方をしないといけない。俺はそうやってDJを学んだ」

 

ジェフ・ミルズというD.J.の発言ですが、これはそのままジャズ喫茶レコード係としての私の体験に通じます。言い換えてみましょう「ただジャズ・アルバムをかけるだけじゃなく、そのミュージシャンの演奏が魅力的に聴こえるようなかけ方をしなけりゃいけない、私はそうやってジャズ喫茶レコード係の技術をジャズ喫茶の先輩たちから学んだ」

 

たまたま私は「ジャズ評論家」と呼ばれる仕事もしていますが、ジャズにおけるスタート地点は「評論」ではなく、むしろ「D.J.」だったのですね。もちろんこれは「必要に迫られて」のことだったのですが、幸運なことにジャズ喫茶を半世紀も続ることが出来、また、「ジャズ紹介者」としても、今回の小学館さんとのお仕事で潜在的ジャズ人口の増加にいささかなりとも貢献出来たのは、私自身の気質が影響しているのかも知れないと、近ごろ思うようになりました。今回はこの辺りから私の「ジャズ評論観」をお話ししてみたいと思います。

 

私が若くしてジャズ喫茶を始めたので、「ジャズ好きの熱が嵩じて」の開業と思われることが多いのですが、実際はもっと「いいかげん」な動機でした。もちろんジャズに興味はありましたが、果たして「ファン」とまで言えるかどうかも、心もとない状態での開業だったのです。今となってみれば、そのことが様々なグッドラックに繋がっていたのですが、それはおいおいお話しいたしましょう。

 

昔のことなので今となっては「動機」の解明もあやふやなのですが、言ってみれば「ジャズって面白そうな音楽がある、しかしなんだか難しそう、、、それなら自分でジャズ喫茶をやってみればいいじゃないか!」ということだったような気がするのです。つまり「好奇心の対象としてのジャズ」なのですね。

 

もちろんその後立派なジャズ・ファンになってしまいましたが、「商売」という即物的かつリアルな経済原則が貫く現場からジャズに入ったことが、私のジャズ観に大きな影響を与えているように思うのです。その意味はまず「聴き手の実感から入る」ということですね。

 

この「実感から入る」ということを別の言葉に置き換えれば、第2回で触れた「耳派ジャズファン」ということになろうかと思います。これに対置すれば、いわゆる「ジャズ評論家」は「頭派ジャズファン」でしょうか。つまり「好奇心の対象としてのジャズ」ではあったのですが、私の場合はその“ジャズ”を「文献」によって理解しようという発想は無かったのですね。

 

当たり前のことですが、ジャズ喫茶のお客様は「頭で」ジャズを理解しようとして来店するわけではなく、「耳で」ジャズを楽しむなり「理解」しようとしておいでになるのです。そうした状況での「どうレコードが魅力的に聴こえるようにかけるか」という目的に、ジャズの評論やジャズ史的知識はさほど役に立たないのはお分かりですよね。必要なのは、お客様がジャズを「どう聴いているか・感じているか」を身をもって体験することだったのです。

 

常連のAさんはアニタのどこが気に入ったのか? B嬢はどうしてコルトレーンに惚れ込んでいるのか? それがわからなければ、ジャズ喫茶の経営は成り立ちません。「オレはマイルス命だぜ」といった「ファン気質」で続けられるほど、ジャズ喫茶稼業は甘いものではありません。

 

そもそもお客様方がミュージシャンのどこが気に入ってファンになっているのかということにある程度推測がつかなければ、先ほど触れたD.J.としての「選曲技術」など思いもよりません。感覚の技術を身につけるには、まず自身の感覚を「ジャズの価値観に沿って」磨かなければいけないのです。ここで重要なことは、“ジャズ”という私たち日本人にとって異文化の価値観を、「身体で」学ぶことなのですね。そして「感覚的なもの」は、「文献だけ」で身に着けることは出来ないのです。

 

そこで私が採った作戦は、実に基本的。とにかく「聴く」ことでした。しかしただ漫然と聴いていたのでは、いくら時間をかけてもあまり意味はありません。とにかくジャズを聴き始めたばかりの私にとっては、後に「ジャズ開眼」のきっかけとなったパーカーの演奏ですら、単なる「騒音」としか思えなかったのですから…

 

さて、今までさんざん「評論」について批判的とも受け取られかねない話をしてきましたが、当たり前のことですが、広い意味での「ジャズ評論」がジャズ理解にとってまったく不要であるはずがありません。この単純な「聴く作業」において、「評論のことば」が果たす役割は思いの外大きいのです。

 

「広い意味での」とか、「文献」ではなく「評論のことば」という言い回しをしたのには理由があります。私にとって最初の、そして実に有益だったジャズ理解のガイドラインは、「ジャズ評論」を読んで身に着けたのではなく、友人たちの「ことばによるサゼスチョン」だったのです。

 

というあたりで今回は一休み。次回は、その「有益なことばによるサゼスチョン」の中身について、お話ししたいと思います。

 

  • 第662回 6月22日 (土曜日) 午後3時30分より 参加費800円+飲食代

『シングル盤で聴くフュージョン(全曲未CD化音源)』 フュージョンの時代、アメリカではラジオのオンエアが重要なプロモーションでした。しかしフュージョンは1曲の時間が長大で、そのままではオンエアしてもらえないことから、聴かせどころを3分に凝縮したプロモ・オンリーの「シングル・エディット・ヴァージョン」が多数作られました。もちろんこれらはアルバムに収録されることはなく、役割を果たすとすぐに消えていきました。今回のイベントではそれらプロモ・シングルや、シングルだけでリリースされたフュージョンの音源を掘り起こして聴いていきます。それらはアルバム・ヴァージョンとは大きく印象の異なるものばかりです。オリジナルを知っている人ほど大きな驚きがあることでしょう。 同時代ということで、キース・ジャレットECM珍し盤もかけます。 -------- 以下はプレイリストの一部(予定)。いずれも「シングル・エディット・ヴァージョン」で、未CD化の音源です。一部モノラル・ヴァージョンもあります。 *パット・メセニー:「アー・ユー・ゴーイング・ウィズ・ミー」「ジェイムス」「ヨランダ・ユー・ラーン」 *ウェザー・リポート:「バードランド」「リヴァー・ピープル」「ダラ・ファクター・トゥー」「ヴォルケイノ・フォー・ハイア」「ブギウギ・ワルツ」 *ハービー・ハンコック:「ハングアップ・ユア・ハングアップス」「カメレオン」「バタフライ」「スパンクアリー」 *チック・コリア「スペイン」「セントラル・パーク」 *グローヴァー・ワシントン・ジュニア「ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス」「ワインライト」 *ブレッカー・ブラザーズ「ドント・ストップ・ザ・ミュージック」「スニーキン・アップ・ビハインド・ユー」 *デイヴ・グルーシン「ラグ・バッグ」 *マイルス・デイヴィス「ファット・タイム」「シャウト」「タイム・アフター・タイム」 *マンハッタン・トランスファー「バードランド」 *キース・ジャレット「アンコール・フロム・ザ・ケルン・コンサート」(2:40 version/4:10 version) ------

                             解説 池上信次

 

 

 

 

 

  • 第663回 7月20日 (土曜日)午後3時30分より

タイトル未定『新著発売記念イヴェント』

 

*詳細は追って告知いたします。

 

                     解説 関口義人 他 ゲストあり

            

 

 

 

 

 

 

 

  • 第664回 7月27日(土曜日)午後3時30分より 参加費1200円+飲食代金

『2019年のLIVE UNDER THE SKY』  

 

夏が来れば思い出す・・・。1980年代の東京のジャズ・ファンにとって、7 ⽉最終の⼟⽇2⽇間は、よみうりランドの「オープンシアターEAST」という 聖地巡礼のための時でした。ライブアンダーでシーンの「最前線」を体感し、 8⽉の斑尾やMt.Fujiでノホホンと「ノスタルジー」を楽しむ。30数年前に は、そんな幸せな「夏時間」がありました。 1977〜1981年@⽥園コロシアム、そして1983〜1992年@オープンシアタ ーEASTと計15回開催された「LIVEUNDERTHESKY」。伝説のVSOPク インテットやマイルス、ロリンズ、オーネット、サン・ラ、ハービー、チッ ク、メセニー、サンボーン、ギル・エヴァンスwithジャコ、さらにロバータ・ フラッグ、ミルトン・ナシメントブラック・ウフルなど、その多彩なライン ナップはまさしくプロデューサーであった鯉沼俊成⽒の慧眼の証でした。イベ ント・タイトルにあえて「ジャズ」という⾔葉を付さなかったこ画期的マーケ ティング思考や⼤胆な演出やメディア・ミックスetc.、ライブアンダーに出会 ったからこそ⾳楽の仕事に就いたという⼈間は私を含めて⼤勢います。 当⽇は取材等でライブアンダーの出演アーティスト達と幅広く接してこられた 池上⽐沙之さんをゲストに迎え、マイルスを筆頭に様々なエピソード・トーク を交えながら、公式ライブ・アルバムやTVオンエア映像であの熱気を追体験 していきます。秘蔵⾳源や貴重なお宝グッズの開陳、さらに参加者の皆さんへ のプレゼント資料もご⽤意しております。どうぞ、ご期待ください! あの夏の⽇の感動が、いーぐるに蘇る!

 

トーク:Moto上原(元SMEジャズ・ディレクター) ゲスト:池上⽐沙之(⽂筆家)

 

 

                          

【「ジャズ評論」についての雑感~その2】

 

 

柳楽光隆さんの「日本ジャズ評論史における寺島・後藤の功罪」、そして「後藤さんはD.J.的だ」というツイッター発言に触発され、思いつくまま感想を書き連ねてみます。前回は、寺島靖国さんにしろ私にしろ、ジャズ喫茶店主たちが1980年代後半にジャズライターとして注目されたのは、私たちが「業界利害」の圏外にいたことが大きかったこと、そしてジャズ喫茶のレコード係は、本質的に「編集者」的スタンスに立っていることが「D.J.的」であることに繋がるという話をしました。今回はその続きとして、私の「D.J.体験」を思い出してみようと思います。

 

私が「D.J.的」であることを自覚したのはずいぶん後になってからで、最初に(無意識のうちに)「D.J.的発想」を学んだのは必要に迫られてのことでした。右も左もわからないままジャズ喫茶を始めてしまったので、最初に困ったのは「選曲」でした。幸いジャズに詳しい友人、故茂木信三郎君がアルバムのセレクトはしてくれたので、少ないながらマイルス、コルトレーンエヴァンスといった「ジャズ喫茶常連連中の名盤」こそ最低限度揃えたとはいえ、それらをどういう順序でかけたらよいのかはまさに暗中模索。

 

そういう時は先人に学べで、とりあえずジャズ喫茶先達の老舗を探訪したのですが、名店「DIG」は常時リクエストが殺到しており、コルトレーンのインパルス盤など60年代当時の「人気盤」を知ることは出来たのですが、おそらくはリクエスト順を原則にアルバムをかけている様子で、率直に言って「選曲」そして「順番」の学習には不向きのような気がしました。

 

そこで目を付けたのが「DIG」のレコード係で鍛えられた鈴木彰一さんが独立し、渋谷道玄坂小路で開いた名店「ジニアス」です。この店は鰻の寝床のように細長く、レコードブースの向かい側に新譜が掲示されていたのですが、私はいつもかかっているアルバムが見えないようにブースに背を向け、新譜の壁を眺めるようにして座席に着きました。これはジャケットを見ないでプレイヤーを当てる「ブラインド」の訓練のためです。

 

ちなみにジャズ喫茶業界では、この「ブラインド能力」が業界内ヒエラルキーに大きな影響を与え、「Meg」寺島さんはいつも私に「後藤ちゃん、このテナー誰だかわかる」などと質問し「わからなきゃジャズ喫茶の看板外してもらおうか」などと挑発するのでした。そして実際ジャズ喫茶開業は私の方が早かったのですが、「耳で鍛えたテラシマさん」のブラインド能力に、新米店主の私は全く歯が立たなかったのです。

 

柳楽さんに言わせれば、寺島さんもまた「D.J.的」ということになるのですが、氏の「ブラインド的耳の良さ」は、D.J.的である必須条件のような気がいたします。付け加えれば、現在はどう考えておられるのかわかりませんが、当時寺島さんは「ジャズ史」的な事実関係にあまり興味がないようで、いわゆる「評論家的言説」に対して明確に拒絶反応を示していました。こうした一連の「傾向」を要約すれば、「頭で聴くジャズ」に対する反発とでもなるでしょうか。つまりはD.J.的である要件に「耳で聴くジャズ」であることが挙げられるでしょう。

 

当時私たちはまさに「紙のプロレス」ではありませんが「テラシマ vs ゴトー」の対立がジャズ雑誌等で面白おかしく喧伝され、私自身寺島さんの対極に位置していると思い込んでいたのですが、今になってみれば、この図式自体が名プロデューサー寺島さんの掌の上での踊りであったばかりでなく、実のところ私もまた大きな眼で見れば「テラシマ的」な傾向、つまりD.J.的発想の持ち主だったようです。要するに標榜する価値観こそ異なれ、二人は共に「耳派」に属していたのです。

 

それはさておき「ジニアス体験」に話を戻すと、毎週のように通ううち面白いことに気が付きました。既に知っているアルバムが実に活き活きと聴こえるのですね。もちろんそれはヴァイタボックス改造の迫力あるスピーカーのせいもあるのですが、どうやらそればかりではないようなのです。具体的に言うと、アルバムの出だしが実にカッコよく聴こえるのですね。そうなれば当然そのアルバム自体の評価が高く感じられるものです。

 

最初は不思議に思っていましたがそのうち理由が解りました。それは「前後関係が聴こえ方に影響している」というシンプルな事実です。これは食べ物のことを考えればわかりやすいでしょう。コース料理が出す順序でそれぞれの味を引き立てているように、例えばコルトレーンの熱狂的演奏の後にバレルのブルージーなギターがかかれば、その「対比」によって両者ともに良さが引き立つという仕掛けです。

 

評論家的スタンスなら、ケニー・バレルのウォームかつブルージーな演奏はそれ自体で評価されるべきでしょうが、ジャズ喫茶における実際の聴取体験で重要なのは、この演奏が例えばコルトレーンなどの刺激的アルバムの後に登場することによって、「より価値が増す」という「D.J.的事実」なのですね。こうした実践的なテクニックは、いくら「ジャズ史」に詳しくとも学べません。まさに「ジャズ喫茶的ジャズ観」と言っていいでしょう。

 

(続く)