去る8月1日に行われた、林田直樹さんによる「いーぐる連続講演」の選曲リストを掲載し、個人的感想を述べてみます。

 

本来は4月に行われる予定だったこの講演は、コロナによる自粛要請のため延期されたのですが、タイトルが示す通り、戦渦や感染症の危機が文化・芸術状況に及ぼしたさまざまな影響を映し出す、極めて今日的な講演となりました。

 

それを象徴するのが冒頭に紹介された映像作品、クリスティーネ・シェーファー(ソプラノ) 演じるシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」でした。この退廃的とも、あるいはグロテスクとも思える作品は、芸術と称されるものが、必ずしも万人が受け入れられるような「健全で安全な美」に留まらないことを端的に示しており、それは林田さんの芸術観でもあるのでしょう。

 

そしてこの極めて刺激的な映像は、おそらくは現在の「三密を避ける」と称して推奨されている完璧に消毒された、「無害であれば良しとする風潮」に対する、一種のアンチテーゼと受け取れなくもないようです。

 

こうした、現在の極端に「安全・安心」を求める世間の風潮に対する批判とも受け取れる発想は、「ジャズ」に関わって来た私にはよくわかります。良い例が薬物中毒患者でもあったチャーリー・パーカーによる“ビ・バップ革命”で、彼の挑発的とも言える刺激的演奏は、当時必ずしも一般の人々から好意的に受け止められていたわけでは無かったからです。

 

優れた芸術作品には、「美」だけではなく「毒」もまたあることをこうした事例は示しています。

 

余談ですが、近年「嫌煙権」と称して喫煙者を忌み嫌う風潮がありますが、そうした健全な「健康志向」の持ち主が、その多くが明らかに煙草より害があり、また他人に及ぼす悪影響も煙草の比ではない常習麻薬中毒者であったマイルス・デイヴィスなどの音楽を称揚する光景は、私にはとてもシュールに映るのです。かく言う当店も、今年の4月から都条例に素直に従って禁煙ですが…(笑)。ちなみに私は非喫煙者です。

 

余談続きですが、薬物中毒が判明した歌手やタレントのCD、映像作品などを販売中止にすることが近ごろの日本の「常識」になっているようですが、その原則をジャズに適用すれば、モダンジャズの開祖パーカー以下、マイルス、コルトレーンエヴァンス、ゲッツなど、ほとんどの大物ジャズ・ミュージシャンのCDが店頭から姿を消すことになってしまいます。そうしたものを集中的に提供するジャズ喫茶などは、さしずめ「営業停止」ですよね(笑)。いや、笑い事ではなく、ナチス政権下での「退廃芸術批判」はまさにそうした動きでしたし、また、ソビエト革命直後の溌溂とした芸術運動が、スターリン政権下で急速に硬直した「御用アート」に変容してしまった歴史も、忘れてはいけないでしょう。

 

思うに、こうした極端に危険・異物を避けようとする近ごろの日本の傾向は、例の原発事故以来急速に勢いを増しているように思えます。

 

私は放射線障害や感染症についてはまったく素人に過ぎませんが、原発事故直後の「東日本にもう人は住めなくなる」と称して関西に移住した人たちや、自然界に存在する微弱な放射線と同等レベルの放射線におびえる人が少なからずいたことに大変驚きました。

 

というのも私たち団塊世代は、広島・長崎が悲惨な被爆体験にもかかわらず、両都市共に復興を果たしていることや、冷戦期に米ソ両陣営が行ったおびただしい回数に登る原水爆実験による途方もない放射線被害にもかかわらず、「日常生活」が続けられていたことを皮膚感覚として記憶しているからです。

 

同じように、1950年代にはインフルエンザの死亡者が7000人台に及ぶことが2回もあり、最悪の年は8000人近くが亡くなりましたが、街を歩く人々の数は変わらず日常生活もふつうに維持されていたことを子供心ながら覚えています。

 

ですから、たかだか1000人程度の死者数で暑いさ中マスクをしている人々の姿が私には何とも異様に映るのです。しかし最近少し理由が解ってきたようにも思えます。彼らは必ずしも新型コロナへの感染を恐れているのではなく、コロナ患者であるとみなされることを恐れているようなのですね。信じられないことに、地方都市では、被害者である感染者が、その存在自体に「加害性」があるかのように「差別」されているようなのです。これは明らかなに人権侵害ですよね。つまり、人々の恐怖の対象はウィルスよりむしろ「他人の眼」なのですね。

 

アートは本来こうした悪しき「同調圧力」に屈せず、「毒」も含めた自由な表現を目指していることを今回の林田さんの講演は見事に抉り出しており、これは私の考え方とも一致していたのです。まさに時宜を得た批評性に満ちた素晴らしい講演でした。

 

 

  • 選曲リスト

 

横断的クラシック講座第20回 

『第1次世界大戦とスペイン風邪は音楽に何をもたらしたか』

選曲 林田直樹

第1部(上映)
~文明の退廃とグロテスク、真夜中の病的幻想、少数の美学と悪趣味、自殺願望~
アルノルト・シェーンベルク(1874-1951):月に憑かれたピエロ(ピエロ・リュネール)op.21 ※約37分
クリスティーネ・シェーファー(ソプラノ) ピエール・ブーレーズ指揮 アンサンブル・アンテルコンタンポラン 映像監督:オリヴァー・ヘルマン 2000年制作
Arthaus

第2部
~ブラジルの「白いインディオ」と呼ばれた超多作な作曲家の郷愁、それでもヨーロッパの過去の伝統や様式に倣うこと~
●エイトル・ヴィラ=ロボス(1887-1959):ガヴォット=ショーロ ※約6分
ローリンド・アルメイダ(ギター、1917-95 ブラジル)
Naxos classical archives

~戦争と疫病の時代の新しい試み(1)最小限の編成、移動可能な音楽へ「すべてを手に入れる権利は誰にもない」~
イーゴリ・ストラヴィンスキー:兵士の物語 ~第2部終幕の大団円 ※約7分
ジャン・コクトー(語り、当時73歳) イーゴリ・マルケヴィッチ指揮 アンサンブル・ド・ソリスト 他
Philips

~戦争と疫病の時代の新しい試み(2)「亡くなった友人たちに送る音楽、そして200年前の音楽を身近に感じること」
●モーリス・ラヴェル(1875-1937):クープランの墓 ~メヌエット/リゴドン ※約8分
ジョゼプ・ポンス指揮 パリ管弦楽団
Harmonia mundi

感染症を恐れ、握手を怖がった作曲家の、アンダルシアの野性と神秘の炎~
マヌエル・デ・ファリャ(1876-1946):「恋は魔術師」 ~火祭りの踊り ※約4分
ホアキン・アチューカロ(ピアノ)
Sony

~移民の国アメリカの風景。ありのままの混沌を肯定。大衆におもねらない前衛と自由~
●チャールズ・アイヴズ(1874-1954):はしご車のゴング、あるいはメインストリートを行く消防士のパレード ※約2分
レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィル
Deutsch Grammophon

~革命と戦争のロシアから、わたしの嘆きを打ち砕いてくれるものへの感謝~
●セルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953):「緑のつぼ(ロシア民謡)」 ※約4分
セルゲイ・アレクサーシキン(バス) ユーリー・セローフ(ピアノ)
Triton

~戦争と疫病の時代の新しい試み(3)日本近代音楽の草分けが考えたことは「歌曲を」
山田耕筰(1886-1965):赤とんぼ ※約3分
平山美智子(ソプラノ、録音当時90歳) 高橋アキ(ピアノ)
Camerata tokyo

タタール系女性作曲家が描く、恐怖と悲しみと空虚を埋めるために、飲まずにはいられない人々~
●ソフィア・グバイドゥーリナ(1931-):ペスト流行時の酒宴(プーシキン原作) ※約23分
マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
RCO Live

~14世紀ペスト大流行時、生きる苦しみを神に訴える歌。西洋と非西洋の境界~
●ギヨーム・ド・マショー(1300-1370):モテット「母なる乙女、幸いなる乙女、私はあなたにため息し、悼み、泣く」/《ノートルダム・ミサ曲》入祭唱「聖なる母よ」 ※約9分
グランドラヴォア
Glossa

 

【いーぐる 連続講演】

 

いーぐるでは、音楽界のさまざまな分野で活動されている方々をお招きし、実際に音源を聴きながら、ジャズをはじめ幅広いジャンルの音楽に親しんでいただくための連続講演を行っています。講演は午後6時30分頃終わる予定です。

                

 

 

  • 第681回 8月29日(土曜日)午後3時30分より 参加費2000円+飲食代

 

「いーぐるオンライントークセッション」 Vol.2

『夏の午後、ジャズと映画を語りつくそう』

 

映画『真夏の夜のジャズ(4K)』(8月21日公開)と『マイルス・デイヴィス クールの誕生』(9月4日公開)の紹介を皮切りに、ジャズと映画をめぐるあれこれを、村井康司、柳楽光隆、後藤雅洋が語ります。

 

  • 予約は下記のアドレス、またはお電話にて受け付けております。定員20名で、満席になり次第予約を打ち切らせていただきます。お電話は平日14:00以降受け付けております。

 

メール予約  jazz.kissa.eagle@gmail.com 

電話予約   03-3357-9857 (平日14:00以降)

 

なおこのイヴェントは前回7月18日に行われた第1回「いーぐるオンライントークセッション」~『2020年前半のジャズ・シーンを振り返る~コロナの世界のジャズは今~』に続き、ビデオ収録し後日有料配信いたします。

 

:「いーぐるオンライントークセッション」は、「ジャズ喫茶案内」を運営されている楠瀬克昌さんと、L.A.のハイファッション・セレクトショップ、「Mohawk」のオーナー、ケヴィン・カーネイさんに運営費用の一部をご支援いただいております。

 

           

                登壇者 村井康司 × 柳楽光隆 × 後藤雅洋

 

 

 

いーぐる  新宿区四谷1-8ホリナカビルB1F  3357-9857

【いーぐるホームページ】           http://www.jazz-eagle.com/

【いーぐる後藤の新ジャズ日記】     http://d.hatena.ne.jp/eaglegoto/

 

  • 第680回 8月1日(土曜日)午後3時30分より 参加費1000円+飲食代

『第1次世界大戦とスペイン風邪は音楽に何をもたらしたか』

~横断的クラシック講座第20回

 

いまから1世紀前、1918年から1920年頃のヨーロッパの文化状況に注目してみたいと思います。

人類最初の大量殺戮戦争と、新型ウイルスの世界的感染拡大によって、当時の音楽はどう変わり、何が終わり、何が始まったのでしょうか。

ストラヴィンスキーラヴェルを中心に、アメリカや中南米、日本の作品にも耳を傾けつつ、当時の空気を追体験し、私たちの今後を生きるヒントとしたいと思います。

 

                             解説 林田直樹

 

 

 

 

  • 第681回 8月29日(土曜日)午後3時30分より 参加費2000円+飲食代

「いーぐるオンライントークセッション」 Vol.2

『夏の午後、ジャズと映画を語りつくそう』

 

映画『真夏の夜のジャズ(4K)』(8月21日公開)と『マイルス・デイヴィス クールの誕生』(9月4日公開)の紹介を皮切りに、ジャズと映画をめぐるあれこれを、村井康司、柳楽光隆、後藤雅洋が語ります。

 

なおこのイヴェントは前回7月18日に行われた第1回「いーぐるオンライントークセッション」~『2020年前半のジャズ・シーンを振り返る~コロナの世界のジャズは今~』に続き、ビデオ収録し後日有料配信いたします。

 

:「いーぐるオンライントークセッション」は、「ジャズ喫茶案内」を運営されている楠瀬克昌さんと、L.A.のハイファッション・セレクトショップ、「Mohawk」のオーナー、ケヴィン・カーネイさんに運営費用の一部をご支援いただいております。

 

                登壇者 村井康司 × 柳楽光隆 × 後藤雅洋

 

                 

  • 第679回 7月18日(土曜日) 午後3時30分より 参加費2000円+飲食代

『2020年前半のジャズ・シーンを振り返る~コロナの世界のジャズは今~』

 

話題の著『100年のジャズを聴く』のメンバー、村井康司・柳楽光隆・後藤雅洋の3人が、今年前半のジャズ・シーンを振り返ると同時に、コロナによって変容を余儀なくされつつあるジャズの現況を熱く語り合います。

なお、今回の講演はビデオ録画し、後日有料配信する予定です。

 

:今回に限り予約制をとり、定員20名とさせていただきます。

予約方法は、平日の午後2時以降「いーぐる」までお電話してください。

連絡先   03-3357-9857

 

               登壇者  村井康司 × 柳楽光隆 × 後藤雅洋

 

 

 

  • 第680回 8月1日(土曜日) 午後3時30分より 参加費1000円+飲食代

『第1次世界大戦とスペイン風邪は音楽に何をもたらしたか』

~横断的クラシック講座第20回

 

いまから1世紀前、1918年から1920年頃のヨーロッパの文化状況に注目してみたいと思います。

人類最初の大量殺戮戦争と、新型ウイルスの世界的感染拡大によって、当時の音楽はどう変わり、何が終わり、何が始まったのでしょうか。

ストラヴィンスキーラヴェルを中心に、アメリカや中南米、日本の作品にも耳を傾けつつ、当時の空気を追体験し、私たちの今後を生きるヒントとしたいと思います。

 

                                  解説 林田直樹

 

 

いーぐる  新宿区四谷1-8ホリナカビルB1F  3357-9857

【いーぐるホームページ】           http://www.jazz-eagle.com/

【いーぐる後藤の新ジャズ日記】     http://d.hatena.ne.jp/eaglegoto/

                  「コロナ禍」を振り返る

 

自粛期間もようやく終わった今、今回の「コロナ禍」について私なりの感想を述べてみたいと思います。

 

率直に言って、3月半ばごろまでは従来のインフルエンザ同様春になれば収まると楽観視していましたが、ヨーロッパでの感染拡大がTV新聞等で大きく報道されだし、とりわけ東京都知事の「ロック・ダウン」発言をきかっかけとして、世間の空気が急速に変わってきました。それと同時に、2月ごろから下降傾向にあった店の売り上げが急激に減少に転じ、あの原発騒動の直後でも経験しなかった8割減という壊滅的状況を迎えたのです。まさに店の存続が脅かされたのです。

 

そこで私なりに、ネットで厚生労働省のホームページはじめ、医療関係者及び各界の識者の意見を参照したところ、たいへん奇妙な事実に気が付きました。

 

それは、韓国、台湾、ベトナム、そして日本の同一人口当たりの死亡者数が、欧米諸国に比べおよそ百分の一程度という異常とも思える少なさなのです。これは手洗い等の生活習慣では到底説明できない、極めて大きな格差です。しかしながらそれ以上に不思議だったのは、こうした素人目にも明らかな疑問が、TV・新聞等では正面切って報道されていないのですね。

 

確かに新型コロナ・ウィルスは未知の病原なので、流行当初は最初の発祥地とされる中国武漢や諸外国の壊滅的状況を前提とした、厳重な危機管理を行政当局が行ったのは十分に理解できます。しかしながら少なくとも3月後半の時点では、日本、そしてアジア諸国の「死者が異常に少ない特殊性」は、医療関係者を含む識者は当然把握していたはずです。山中伸弥教授いう所の「自然免疫」や「BCG仮説」などを含む「ファクターX」ですね。

 

それにもかかわらず一部の医学関係者は、欧米諸国で起こっていること(数十万にも及ぶ死者)が明日にも日本で発生するという前提で、私からすれば「過剰」とも思える「恐怖」を煽っているように思えました。それを無批判に拡散させたのがTVのワイドショーです。つまり世間の過剰な危機感は、一部の不用意な医学関係者とTVのワイドショーによって作り出された部分が大きかったのではないでしょうか。

 

その結果、多くのライヴハウス、飲食店が営業自粛に追い込まれ、当然私の店も廃業を意識せざる状況に至ったわけです。私の知っている限りでも、閉店を余儀なくされたジャズクラブ、飲食店、居酒屋さんは複数に登っています。

 

4月初頭の時点で、現実に欧米諸国並みの万を超える死者が出ていたのなら、廃業もまた一種の自然現象による「運命」とあきらめる気持ちを持てたかもしれません。しかしながら当時、例年のインフルエンザ並み(4月末の時点でおよそ500名)の死者数で緊急事態宣言が出され、あらゆる経済活動がシュリンクしたことは、極めて不合理な話だったのではないかと今でも思っております。

 

6月下旬に至っても新型コロナによる死者数は1000人未満で、巷間危惧されている「第2波」なるものが、年内仮に第一波の2倍2000名の死者を出したとしても、第一波と合算しおよそ3000名。しかしこれは一昨年の年間インフルエンザ死者数3225人より少ないのですね。ちなみに1950年代には年間7000人以上のインフルエンザ死亡者が出ています。

 

「コロナの怖さ」の大きな理由として、特効薬の無さが挙げられています。しかしながら特効薬の無い新型コロナより、ワクチンも治療薬もある従来のインフルエンザの方が死者数が多くなる可能性が高いという客観的事実を、多くの方々はどう考えておられるのでしょうか?

 

この間の個人的気持ちを要約すれば、今になって福島県のみなさんが被った科学的事実に基づかない「風評被害」の深刻さが実感されたということでしょうか。

 

そして過剰とも思える「第二波」への恐怖心を背景に、「コロナ後の日常」であるとか「ウィズ・コロナ」といった標語が当然のことのように囁かれでいます。その内容はおおむね例の「三密」を避ける生活スタイルが基調のようです。

 

前提として、専門家会議での「三密」とは、三つの好ましくない条件が「重なること」を指していたはずですが、実際は「二密」あるいは「一密」も避けるべきと、過剰に意識されているようです。非密閉空間である屋外スポーツの開催や観戦までが「自粛」されていたのは、そういう世間の「空気」のせいでしょう。私から言わせれば、いまだに野球等の屋外スポーツが「無観客試合」を行っているのは滑稽としか思えません。

 

確かに狭い密閉空間に多人数が密集し、大声でしゃべりあう状況の中に新型コロナ感染者がいれば、感染が広がる可能性が高いことは十分に理解できます。しかしこの感染条件は、従来の風邪やインフルエンザでもまったく同じで、人々はインフルが猛威を振るっているときは、自発的にこうした状況を避けていたのではないでしょうか。体調が悪いときは人混みに出ない、飲み会も遠慮する、これは従来から各自が自発的に行ってきた常識的な自衛行動です。

 

少なくとも現在の日本における客観的状況を見るに、新型コロナの死亡者数が、多めに見積もっても従来のインフルエンザ死者数並みであるとすれば、人々が従来からの自発的自衛行動を行えば済む話ではないかと個人的には考えております。つまりライブハウスなどの主催者側が過剰に自粛する必要は無いように思います。

 

そしてそもそも、ライブハウスやコンサート会場が三密条件に当てはまるとは思えません。例えば青山ブルーノートなどは十分な広さがあり、またミュージシャンが演奏している最中観客が大声でしゃべりあうなどということはありません。

 

とは言え広く世界に眼を向けてみれば、欧米諸国はじめ万を超える死者が出ている地域では、音楽・ジャズを含む芸術・文化活動がコロナによって変容を余儀なくされるであろうことは容易に想像がつきます。

 

ひとつ言えるのは、人々が集まって活発に話し合う状況である「三密」とは、コミュニケーションの基本的状況ですから、これを否定するのは社会生活、果ては文化自体を否定することに繋がります。文化を離れた芸術は根無し草です。「脅威」ということで言えば、コロナなど比べ物にならない「世界の消滅」もあり得た東西冷戦下における「全面核戦争」の恐怖の中でも、文化・芸術活動は続けられてきたのですから…余談ながらキューバ危機の際の恐怖感は、コロナなど問題にならないほど深刻なものでした。

 

最後にいささか手前味噌ですがジャズ喫茶は意図せず「コロナ対策」が出来ていたというお話をしておきたいと思います。というのも、新型コロナで問題視される「飛沫感染」は、近距離での「口角泡を飛ばすような会話」が原因ですが、「いーぐる」では午後6時まで会話禁止ですから、「飛沫感染」の危険は最初から無いのです。

 

そもそも昼間のジャズ喫茶はある意味で理想的な「おひとり様空間」で、実際当店でも、読書や、パソコンを持ち込んでの心地よい音楽が流れる仕事場として利用されるお客様が大半です。

 

また、これもジャズ喫茶ならではの特性なのですが、6時以降の「バータイム」でも、居酒屋さんのように多人数で来店する方は稀で、多くてもカップルがせいぜいです。こうした親密な関係では、お互いの健康状況も十分把握できているケースが多いと思われ、すなわち「感染」の危険は少ないとみて良いのです。結論を言えば、「ジャズ喫茶」は最初から十分に安全な空間なのです。

 

 

            「第二波にどう備えるのか?」

 

 

緊急事態宣言が解除され、「第二波」の恐れが喧伝されつつも、少しずつ日常生活が戻って来たようです。とは言え、当店の売り上げは宣言中の8割減という壊滅的状況こそ改善されたものの、午後10時までの短縮営業と相変わらずの自粛ムードのため、いまだ半減状態です。

 

おかげさまで有志の方々の好意的募金、好評な支援グッズの売り上げによって、当面「いーぐる」は生き延びておりますが、こうした状況が続けば、いずれ苦境に陥ることは眼に見えています。おそらく多くのジャズ喫茶さん、ライブハウス経営の方々、そして飲食店、居酒屋さんの台所事情もさほど変わらないはずです。

 

6月7日の朝日新聞デジタル版記事によると、3ヵ月ぶりに新型コロナによる死者が0人となったそうです。これまでお亡くなりになられた919人の方々のご冥福を祈りつつ、生き残った私たちにとってこれは朗報と言っていいでしょう。

 

もちろん「第二波」の可能性は残っており、危機を最大限に見積もって年内に第一波の倍の死者が出てしまったと仮定してみましょう。何と1838人もの死者が出ることとなります。第一波と合算すれば、年間2757人という膨大な数字となります。

 

ところで、2018年の日本の年間インフルエンザ死亡者数は3325人だったそうです。先のことは誰にもわかりませんが、私が悲観的に想定した特効薬の無い新型コロナ死者数より、ワクチンも治療薬もあるとされるインフルエンザ死者数の方が、500人ほど多いようですね。

 

思い出してみましょう、一昨年の夏、暑さをガマンしてマスクをし続ける人など、滅多に見かけませんでしたよね。

 

二つの考え方が出来るでしょう。一昨年は不用心に過ぎた。あるいは、今の状態は心配のし過ぎだ。

 

【緊急事態宣言の延長について】

 

 

コロナ対策のための緊急事態宣言を受けた外出自粛の影響で、売り上げが8割以上も減少した「いーぐる」は、資金繰りのためTシャツ等の支援グッズの販売を始めたところそれを知った有志の方々が募金に応じてくれるなど、多くのみなさま方のあたたかいご支援を受け、なんとか家賃、給料など4月末日の支払い危機を乗り越えられました。この場を借り、募金に賛同された方々、そしてグッズをご購入いただいたみなさま方に心から感謝の気持ちをお伝えします。ありがとうございました!

 

しかしながらこの安堵感は、緊急事態宣言が5月6日に終了し、その後は緩やかに自粛解除の方向に向かうという前提での見通しでした。今日(5月2日)の時点では未定とは言え、緊急事態宣言がほぼ一ヵ月程度延長されるようです。率直に言って、「いーぐる」がこの延長に耐えられるかどうか、極めて不安です。この気持ちは多くのジャズ喫茶、ライブハウス、クラブ、そして居酒屋さんなど、飲食に関わるみなさま方共通の思いではないでしょうか。いや、飲食業だけではなく、広く音楽、映画、演劇等に関わる方々も、おそらく同じ思いでしょう(聞くところによると、渋谷の著名クラブ数件が既に閉店とのことです)。

 

コロナ感染の危険を防ぐため、営業・外出を自粛するという行政の方針は極めてもっともなことで、特に反対する気持ちはありません。ただ一般論として、「生命の危険」と「自粛による損失」は、どちらか一方にのみ的を絞ることは難しいのではないでしょうか。

 

人命を数値として捉えることは極めて危険なことと承知しておりますが、現実問題として、私たちは生命の危険と利便性を天秤にかけているのでは無いでしょうか。例えば2019年の年間交通事故死者数は3215人ですが、誰も自動車の利用を止めようとはしません。自動車利用自粛の損失の方が命の危険より大きいと多くの人が考えるからでしょう。

 

また日本商工会議所会頭三村氏によると、現在の政府の支援策は、5月6日で自粛が終了する前提で計画されたもので、自粛が延長されると、企業倒産等による解雇で失業率が現在の2.4%から11%~20%以上にも増加する可能性があるとのことです。失業率が1ポイント増加すると自殺者が1000人増えると言われていますが、この想定にあてはめてみると、経済的困窮による自殺者数の増加は、優に1万人を超えてしまうことになります。

 

ちなみに4月26日の時点での日本におけるコロナによる死者は348人で、人口100万人あたり2.75人です。同時点でもっとも死者数が多いアメリカは5万3449人、人口100万人あたり160.7人で、これは日本のおよそ58倍ですね。また、もっとも同人口あたりの死者数が多いのはスペインで、481.8人。なんと日本の175倍です。

 

好ましくない例えであることは十分承知の上ですが、仮に日本の年間交通事故死者数が175倍の56万2625人にもなったとしたら、少なくとも私は自動車に乗ることを躊躇しますね。ですから、欧米諸国がさまざまな行動規制を行ったことは、それなりに理解できます。もし私がアメリカ人、スペイン人だったとしたら、当然行政の指示に従います。

 

しかしながら、そうした国々と比べ、58分の1ないし175分の1程度の危険性で、経済活動の委縮による1万人にも及ぶ自殺者の増加を招きかねない自粛措置の延長は、果たして妥当な政策なのかどうか… みなさま方いかがお考えでしょうか。

 

余談ですが、日本とは比べものにならない厳しい行動規制を行った欧米諸国と日本との、数十倍~百数十倍にも及ぶ同一人口あたりの死者数の違いは、手洗い、うがい、土足で家に入らないなどの「生活習慣」だけでは到底説明できない、異常とも思える格差だと私は思うのです。しかしながら、TV、新聞などでこの極めて根源的な疑問にスポットを当てた番組、記事が見当たらないのは、極めて不思議な現象ではないでしょうか。