8月14日(木)

暑い日差しの中、オーディオ雑誌『管球王国』の試聴の仕事のため、六本木ヒルズ裏手にあるステレオ・サウンド社に赴く。なかなか立派なビルで、防音完備の試聴室がいくつも並んでいる様は壮観。大昔、六本木交差点近くの「トリカツビル」だったかにステレオ・サウンド社あったころバック・ナンバーを買いに行ったことがあるが、ずいぶん大きくなったものだ。
初期型のアルテックA-7とイタリア製大型スピーカー、ジンガリでさまざまなソースを聴いたが、オーディオの専門家、新忠篤さん、和田博巳さんたちの耳はやはり確か。それにしても、新旧のスピーカーがソースによって表情を変えてゆく様は大いに勉強になった。およそ6時間ほどの試聴を終え、和田さん、『管球王国』編集長、高橋さん、そして当日の音源提供者の方たちと麻布十番でお疲れ会。瀬川冬樹さんなど私の愛読したオーディオ評論家の昔話や、ジャズ喫茶のオーディオ装置のことなど話題は尽きない。
実を言うと、和田さんと私はジャズの兄弟弟子なのだ。師匠は『ジニアス』のしょうちゃん、こと鈴木彰一さん。和田さんは若い頃『DIG』でアルバイトをしていたことがあり、その時のレコード係りが鈴木さんで、いろいろジャズのことを教えてもらったという。そして鈴木さんが独立して渋谷に『ジニアス』を開いてからは、すでにジャズ喫茶をやりながらまだジャズがよくわかっていなかった私が、彼にいろいろと教えてもらったのだ。今私がエラそうに書いている話の元ネタは、鈴木さんに教えてもらったことが多い。だから私にとって和田さんはジャズの兄弟子という浅からぬ縁。
そのうち和田さんとソウル・ミュージックの話になり、赤坂「ムゲン」に出演した「アイク・アンド・ティナ・ターナー」を和田さんも見ていることを知って驚いた。二人して、彼らのコーラス・ガール「アイケッツ」の女の子がマイクのコードにハイヒールを絡ませひっくり返ったことで盛り上がる。あの時私は、コケつつもゼッタイにマイクを離さなかったおネエちゃんと、死んでもラッパを口から離さなかった木口小平の姿が二重写しになり(ちょっとオオゲサか)、彼女たちのプロ根性に頭が下がったものだった。
同世代の人間の音楽体験はだいたい似かよるもので、例の後楽園、嵐のグランド・ファンク・コンサートも和田さんは見ているという。私は大雨でもよく感電しないなあなどとノンキなことを考えていたが、さすがミュージシャン、和田さんは当時から「口パク」を見抜いていたという。それにしても、一陣の突風とともに内野に並んだ立て看板が巻き上がったのは壮観だった。会場に入れない観客が石を投げたことなども含め、まさにあれは伝説のコンサートであった。