【佐藤英輔さんと、おおしまゆたかさんの講演に触発されて】


このところ「いーぐる連続講演」のご報告が遅れ気味で申し訳ありません。ご存知かと思いますが、一昨年から始まった私が監修する小学館の「ジャズ100年」シリーズは隔週発売なので、そちらの締め切りに追われてしまうことも一因です。おかげさまでシリーズ第3弾『ジャズ・ヴォーカル・コレクション』創刊号は、創刊翌日に重版がかかるほど売れ行き好調です(率直に言って、ヴォーカル人気がこれほどとは思いませんでした)。これもひとえに読者のみなさま方のお陰と深く感謝しております。

しかしそればかりではなく、講演の内容によっては、単なる「ご報告」では済まない様な、私にとって極めて重要なものもあって、ちょっと考えてから書こうと思い、つい時間が経ってしまったのですね。

「重要」というのは、私の自覚せざる「音楽観」を掘り起こしてくれるような講演です。たとえば、去年からことしにかけて2回、佐藤英輔さんにやっていただいた「『後藤雅洋 R&B / ファンク 25番勝負』〜そのソウル耳を問う」や、先々週のおおしまゆたかさんによる「イスラームの音楽」などです。

佐藤さんは私のブラック・ミュージック好きを知って、60年代から70年代以降の代表的ブラック・ミュージックを系統的に聴かせ、果たしてどんな感想が出るか面白がっている風でしたが、この体験はほんとうに貴重でした。

私は以前から、なんとなく自分の好みは「黒っぽい音楽」(ジャズ、ソウルetc)であるという思い込みがあったのですが、どうもコトはそれほど単純ではなかったようです。もっともその件についてはずいぶん昔に気付いてはおり、たとえば、1998年に講談社から上梓した『JAZZ百番勝負』の第7章に、“ファンキー・ジャズ”の「黒さ」の変遷、そして「ジャズの黒さ」とアフリカ音楽の関係について、ちょっとした考察をしています。

そうした経緯もあって、その後の「いーぐる連続講演」では、ジャズを単なるブラック・ミュージックとして捉える(中村とうよう『大衆音楽の真実』ミュージック・マガジン)だけでなく、かつて油井正一がいみじくも指摘した(『ジャズの歴史物語』アルテスパブリッシング)とおり「ラテン・ミュージック」の一変形としても考えてみようと、意識的にラテン音楽関係の専門家の方々に講演をお願いしました。この試みは大正解。いろいろと見えてきたこともありますが、なにより私にとって良かったことは、ダンスも含めた「ラテン音楽の楽しみ方」が体感できたことです(それに素敵な友人たちもたくさんできました)。

その過程で、中南米・南米諸国の旧宗主国、スペイン、イベリア半島が一時期イスラーム圏であったことが浮き彫りとなり、白色文化と黒色文化の媒介地帯に「褐色文化」たるイスラームの重要性が浮上してきたのですね。

もっともこの件についてもはるか昔、1990年代の「ワールド・ミュージック・ブーム」時代に聴いたヌスラットの音楽にえらく感動したという「下地」はありましたが、今回、より包括的視点からイスラームの音楽に対する関心が強まったのです。要するに、一見無関係にも思える佐藤さんの講演とおおしまさんの講演は、私の中では一続きものだったのです。

それをひとことで要約すれば、と言っておいて実は二つなのですが、まずは「世界音楽の中でのジャズの位置付け」の問題と、私の個人的な音楽的嗜好の分析です。前者についてはそうかんたんに答えが出るようなものではありませんが、後者についてはこのところけっこう見えてきたものがあります。

まずブラック・ミュージック好きとはいっても、私にとってのそれはせいぜい60年代までのもので、70年代以降についてはさほど惹かれなかったということ。かなり乱暴な感想ですが、70年代以降のそれは、私にとってはクロスオーヴァー / フュージョン的なコンフォタブル・ミュージックと地続きに聴こえてしまい、60年代ソウルに初めて触れたときのようなドキドキ・ワクワク感覚が薄いのですね。

思い起こしてみれば、「本業」であるジャズ以外で興味関心を持った音楽は、80年代以降はレゲエ、90年代はワールド・ミュージックといった塩梅で、要するに私はけっこう軽薄な「新し物好き」だったというわけ。もちろんそれは、団塊世代ならではの「60年代洋楽憧れ感覚」の延長上でもあるのですね。私たちは当たり前のようにヴェンチャーズに驚き、ビートルズに狂喜したのでした。そしてジャズにも・・・

イスラームの音楽もまた「新し物好き」の一環という面もありますが、それだけではなく、人間以外の存在をも意識した音楽」の凄みを実感させられたのです。「人間以外」とは要するに「神さま」のことで、それは何もアッラーとかキリストに限らず、人々が想像する抽象的な観念の一形態と捉えれば良いように思います。つまり、ポピュラー・ミュージックが対象とする聴衆とは、ちょっと異質な聴き手をも想定した音楽なのですね。これが面白くもまた強く心に響くのです。

とりあえず今日はここまでといたします(おおしまさんに借りた、カイハン・カルホールを聴きながら・・・これは凄いです!)。