think08 -- ジャズを聴くことについての原理的考察 第8回

私がビートルズの音楽を一瞬にして「理解」できたということ。あえて理解という言い方をしたが、その理由をこの連載を読まれた方なら“理解”していただけるだろう。われわれは音楽にしろ絵画にしろ、〈感覚〉的対象から感動なり好感なりといったものを受け取るとき、その前提として、対象自体を一まとまりのゲシュタルト*1として把握していることが絶対に必要なのである。そうでなければそれらは単なる騒音か、視野に広がる無意味な対象としてしかわれわれは認知できない。いや、認知すらできず、意識に上らないまま、無意味な情報として切り捨てられてしまうことすら考えられる。
ところで最新の大脳生理学的知見によれば、意識は常に現実の時間よりほんのわずか(0.5秒だそうだ)遅れるという。そのタイムラグは脳が受け取る膨大な感覚情報を整理して「意識に上らせる」ための時間差であるという。以下「ユーザーイリュージョン―意識という幻想」(トール・ノーレットランダーシュ著、紀伊国屋書店刊)より引用。

意識が私たちに示す感覚データは、すでに大幅に処理されているのだが、意識はそうとは教えてくれない。意識が示すものは、生のデータのように思われるが、じつはコンテクストというカプセルに包まれており、そのカプセルがなければ、私たちの経験はまったく別物になる。

意識の内容は、人がそれを経験する前に、すでに処理され、削減され、コンテクストの中におかれている。意識内容は深さを持っている。(中略)たくさんの情報が処理済だが、その情報が私たちに示されることはない。意識的自覚が起こる前に、膨大な量の感覚情報が捨てられる。そしてその捨てられた情報は示されない。だが、経験そのものはこの捨てられた情報に基づいている。

私たちは感覚を経験するが、その感覚が解釈され、処理されたものだということは経験しない。物事を経験するときに、頭の中でなされている膨大な量の仕事は経験しない。私たちの感覚を、物の表層をじかに感知したものとして体験するが、本当の感覚とは、体験された感覚データに深さを与える処理がなされた結果なのだ。意識は深さなのだが、表層として体験される。(以上、p351, p352)

この本の著者、トール・ノーレットランダーシュは科学ジャーナリストなので、ある種の解釈が施された見解だと思うが、ともかく、われわれにとっての原初の体験であるはずの<感覚>ですら、すでに無意識のうちに行われる取捨選択(といっても彼に言わせれば、圧倒的に切り捨てる量が多いことになるのだが)の結果であるということになる。
確かに生命体にとって、自分の心臓の鼓動がどう生理的にコントロールされているかなどという余分な情報まで「意識」に上ってきたら鬱陶しくってやってられないだろう。そしてわれわれは当然のように意識に登ったことしか意識できない。彼はこの著書で意識がわれわれのすべてを統括しているという近代人の確信に疑問を呈しているのだ。
多分そのとおりなのだろう。ただ、さしあたってわれわれが問題にしている音楽の聴取という場面で考えれば、意識(自覚的な、といってもよい)の作用によって、生データの取捨選択の枠組み自体を変えることも可能なはずだ。詳しくはこの著書を読んでいただきたいが、コンテクストによって経験自体が別物になるという部分がそのことを示していると思われる。
ビートルズの音楽が内包するリズム、メロディ、ハーモニー、そしてそうした教科書的「音楽の三要素」では表現しきれない、声の質感や黒人音楽的シャウト感も含め、僕ら戦後世代は、前回述べたように自然に学習してきた結果、「一瞬の感動」が可能になったのだ。
「学習」ということばに特別の抵抗感を示すのはもうやめよう。恐らくそれは、われわれが意識できない大量の生データの処理過程に起こる一種の生理作用につけられた名称なのだろう。確かに行動主義心理学の教科書に必ずでてくる、迷路を這い回り出口を探すネズミの姿を想像すると、「学習」ということばになにかしら抑圧的響きを感じるのは理解できるが、僕らのやっていることだって天から眺めれば似たようなものなのだ(いや、だからこそ抵抗感があるのか)。
それにネズミならぬわれわれは、ともかく反省的意識を持って経験それ自体を自覚的に再点検することにより、経験の質を変容させることも可能なのである。ちょっと難しすぎる言い回しになってしまったが、要するに「カクテル・パーティ効果」はそういうことではなかろうか。
しかしこれも微妙で、パーティ会場の騒音の中から意味あることばを聴き取るきっかけは、無意識のうちに行われているのだ。つまり膨大な会話の集積の中から、たとえば「エリック・ドルフィー」の一言を聴き取ったとき、その時同時に聴こえていたかもしれない「アンドレ・ザ・ジャイアント」ということばの響きは意識に登らない。
もちろんその人の体験に裏付けられた関心の内容によっては「ドルフィー」と「アンドレ」の関係は逆転し、あるいは両者がともに意識に登り、どちらに焦点を合わせるべきかの葛藤が起こることだって十分ありうる、というか、実際そういうことを僕らは日常的に体験している。
ここで重要なのは、「ドルフィー」にしろ「アンドレ」にしろ、そのことばの持つ客観的側面ではなく、聴き手の個人的体験こそがそれらの単語に固有の価値を与えるという事実である。
話を戦後世代のビートルズ体験に戻せば、われわれの世代は1950年代からおよそ10年ほどかけて感覚の改変を自然に、いや自ら望む形で行ってきた。これはポピュラー・ミュージックならではの強みだ。20世紀半ば以降、ラジオ、レコードの普及に伴い大衆音楽は良い意味での商業主義と密接に結びつきながら発展を遂げてきた。その頂点に位置するアメリカンポップスは、常に大衆の感覚の半歩先という微妙なスタンスを守りながら人々の趣味趣向を捉え、また新たな流行を生み出すために(半歩分だけ)変革を加えた。
それらは決して啓蒙的に行われたのではなく、たとえば興行の成功を目指しレコードの販売促進を望む商業原則に則って行われたので、受け手は自分が主体であるという幻想を抱いたまま「無意識のうちに」感覚を改変させられてきたのである。
ところでちょっとした思考実験をしてみよう。
私の記憶をたどると、ラジオの「NHKのど自慢」で聴いた民謡、流行歌がおそらく最初の音楽体験だろう。当時蓄音機をもっている家庭は限られ、大多数の人々はラジオから音楽を聴いていた。
ちなみにそのころの流行歌、民謡で今でもメロディ・ラインを覚えているものを列挙すれば、「炭坑節」「星の流れに」「啼くな小鳩よ」(昭和22年)、「トンコ節」「青い山脈」(昭和24年)、「上海帰りのリル」(昭和26年)などである。なかでも映画の中で歌われたので記憶が鮮明なのが、昭和27年の「リンゴ追分」だ。少女時代の美空ひばりが歌っていた。
ところでその時5歳の私が、映画館からうちに帰ってラジオをつけたらタイムスリップが起こり、未来の空間から「ハード・デイズ・ナイト」が流れてきたと想像してみよう。果たしてどう感じたことだろう。それからおよそ10年後に現実に起こった出来事のように「一瞬にして感動」することができるのだろうか。
もちろんそんなことは誰にも分かりはしない。しかし想像してみるに、せいぜい「洋楽」といったってパティ・ペイジの「テネシー・ワルツ」ぐらいしか聴いたことのない子供にとって、あの強烈な音符の躍動、バックのビートを「音楽として」認知することが可能だったかどうか、大いに疑問である。
「学習」ということばに対する抵抗感を捨てられれば、「わかる」「わからない」という言い回しに対する抵抗感だって捨てられるはずだ。音楽が分かるか分からないかは、別にその人の知能に関係せず、単なる経験の関数なのである。

*1:改めて確認するが、われわれが音楽のもっとも特徴的で重要な要素と見なす「メロディ」の認知は、代表的なゲシュタルト(形態)の例である。そして再度確認するが、メロディを音楽の重要な要素と見なすのは「われわれ現代日本人」の感覚であって、アフリカ人の感覚あるいは、江戸時代の日本人の感覚まで含めた「普遍性」はないということも押さえておこう。