think11 -- ジャズを聴くことについての原理的考察 第11回 

さていよいよこの考察の主たる目的「ジャズが分かる」とはどういうことか、自分自身のパーカー体験に基づいて考えてみることにしよう。まず私が初めてパーカーを耳にしたのは20歳、ジャズ喫茶をはじめたときと時を同じくしている。すでに他の本で書いたことだが、店を開店するに当たって不足するレコードを友人から借りることになり、その中に大量のパーカーのアルバムがあった。
もちろんそれ以前にも「DIG」などでパーカーを聴いていた可能性はあるけれど、はっきりとした自覚はなかった。だからパーカーとの最初の出会いは「いーぐる」開店のときと考えてよいだろう。これもまたすでに書いたことだが、私は、多くの皆さんが想像しているように、ジャズ・マニアの熱が高じてジャズ喫茶を始めた、というわけではなかった。
本考察に関係のないさまざまな事情は省くが、要するに当時の私は、この連載を読んでいる皆さんよりはるかにジャズの知識は少なかったのである。ジャズの歴史、ジャズ用語などの言葉による知識も、実際にジャズを聴く体験においても、ごく通り一遍の、それもかなり底の浅い一ジャズ・ファンでしかなかった。だからというわけではないけれど、ジャズ入門者にありがちな誤解の一覧表はほとんど体験したし、その原因も分かるつもりだ。
ちなみに、そのころ私に理解できた、というかこの連載を通読された方はお分かりと思うけれど、「理解できたからこそ好きにもなれた」ミュージシャンを列挙してみよう。まずオスカー・ピーターソンM.J.Q.の演奏は、ライヴを体験したということもあるが、最初に接したときから少なくともなにをやっているのかはわかった。そしてレコードでしか聴いたことはなかったが、ビル・エヴァンスの演奏も素直に好きになれた。いささか奥歯に物の挟まった言い方をしているが、これには理由がある。私が20歳の時点では、誰が好きかと人にたずねられれば彼らの演奏を「好きだ」と言ったと思う。しかし今の時点で思い返してみると、それはことばの浅はかな使い方でしかない。今、私は彼らの演奏が好きだ、しかしその好きさかげんを仮に10とすれば、当時の好きはせいぜい2か3 だ。
つまりそのころの私は、彼らの演奏のオイシサの2割か3割しか味わっていないくせに、エヴァンスいいねえ、などとほざいていたのである。まあ、反発を招くであろうことを覚悟で言えば、大方のジャズ・ファンが好きだと言ってるその先に、まだまだ好きのレベルが上がる可能性がジャズには残されているのだ。吉野家の牛丼もイケるけれど、和牛ステーキはもっと旨いですよということなのです。
もうひとつ当時のジャズ体験で特徴的なことを挙げれば、好きなミュージシャンは10のうち2か3で、あとの7、8割は、嫌い、とまでは言わずとも、(なにをやっているのかよく理解できなかったので)受け付けなかったのである。これは、成り行きでジャズ喫茶を始めたという特殊性が大きく関わっている。購入レコードの選択を、自分の好みではなく、ジャズに詳しい友人に頼んで、60年代後半におけるジャズ・シーン全体を、薄くカヴァーしたセレクションとしたのが原因だ。
一般ファンは好きなもの、興味のあるものしか買わない。だから所有アルバムの半分ぐらいは、まあいいだろう、と思うミュージシャンで占められているのではなかろうか。それに引き換え私は、ジャズ喫茶という職業のため、分かる、好き以前に、たとえばセシル・テイラーオーネット・コールマンといったフリー・ミュージシャン、あるいはスタン・ゲッツリー・コニッツといったクール派のアルバムを否応なく「聴かせられた」のだった。しかしこれらのことごとは、今になってみれば僥倖とも言うべきめぐり合わせだったと思う。
それを僥倖と言うのは、彼ら当初ネガティヴな感想しかもてなかった人たちの演奏も、その大部分を後に好きになったからである。好みの幅は圧倒的に広がったのだ。もしジャズ喫茶をやっていなかったら、こんなことはありえなかっただろうと思う。今では10のうち2から3という比率の中身は逆転し、7、8割のミュージシャンは好きと言える。そしてジャズを聴き始めた当初と比べ、好みの中身も大きく変わった。たとえば最初からなにをやっているのかわかったオスカー・ピーターソンより、はじめは聴き所すら掴めなかったリー・コニッツのほうが、日ごろ聴く比率は高い。
私が自著の中で「好き嫌いを言う前に、とにかく聴け」というのも、こうした自分の体験がもとになっている。ジャズ・ファンが自分の好みから入るのは当然としても、いつまでもそこに留まっているのは本当にもったいないと思う。ステーキも旨いけれど、寿司だって美味しいですよという、単純際まりない話なのだ。
話を元に戻せば、こうした状況において聴いたチャーリー・パーカーは、録音の古さもあるけれど、「よく分からない」というのが正直な感想だった。たとえば有名な『ジャズ・アット・マッセイ・ホール(紙ジャケット仕様)』なども、やたらいろいろな音が高速で渦巻いているという混乱した感想しかもてなかった。しかしそう感じたことの理由も今ではよく理解できる。なにしろそのころは、ジャズのオイシサの中核を占める“ハードバップ”ですら、聴き所がさっぱり掴めず、みな同じに聴こえたのだから。
要するに当時の私は、ジャズの花形楽器トランペット、サックスのサウンドに慣れていなかったのだ。1960年代の通り一遍の音楽ファンは、トランペットといえばニニ・ロッソ、サックスといえばサム・テイラーではないけれど、その音色は知っていても、それらの楽器を、たとえばサッチモやパーカーのように、自分の身体に引き付けてジャズ的に演奏したサウンドはそれこそ初体験だったのである。
それに比べ、ピアノの音色は学校の音楽教育で日常的に聴いて親しんでおり、だから初めて聴いてもオスカー・ピーターソンはなにをやっているのかが分かるのだ。そしてその「分かる」の中身は、メロディの把握が容易に行えるという事情に大きく負っている。これはヴァイブ・サウンドが特徴的なM.J.Q.も同じで、サウンドこそ物珍しいけれど、シングル・トーンで、打楽器だから一音一音の立ち上がりが明快なミルト・ジャクソンのフレージングは、誰にでも容易にメロディ・ラインが聴き取れる。
そして問題のアドリブである。ピーターソンはテーマも明快ならアドリブ部分も原曲の変奏的要素が強く、まあ初心者でもその狙いは大体分かる。一方パーカーのアドリブはほとんど原曲のメロディを残さない徹底的なものなので、アドリブというものの聴き所が分からなければどうしようもない。
こうしてみると、当時の私がピーターソンは分かってパーカーは分からなかったのは、音色に対する慣れとメロディの認知という、至極単純かつ明快な理由によっていることが理解できるだろう。そう、好き嫌いも何も、対象の認知という音楽以前のところで最初から結論が出ているのだ。
これが再三言っているゲシュタルトの把握の問題である以上、ことは個人的でなく、1960年代の平均的音楽ファンの大多数に当てはまる基本的な音楽聴取の前提条件なのである。その証拠といっては何だが、当時ピーターソン・ファンとパーカー・ファンの比率は、10:1以上離れていたように思われる。言わずもがなのことを言えば、ポップス・ファンとジャズ・ファンの比率は10:1どころではないのではなかろうか。だが、この悲惨な比率の原因は、ゲシュタルト云々以前に音楽に接する姿勢の違いだろう。この問題については後に詳しく見ていくつもりだ。そして最後に確認しておけば、ゲシュタルトの認知はいくらでも改変可能な流動的ファクターなのである。
私のジャズ演奏に対するゲシュタルト認知の構造は、開店以来毎日少なくとも6時間以上ジャズ・アルバムを聴き続ける特殊な生活環境によって、知らぬ間に少しづつ変わって行ったのだと思われる。「思われる」という不確定な言い方をするのは、こうした耳の進化は、たとえば逆上がりが出来る、自転車に乗れるようになるという形での、明確な上達の兆候を掴み難いからだ。
しかしその変化が劇的な形で現れたのが、本考察の冒頭で述べたパーカー体験であった。いーぐる開店からおよそ5年後、必要に迫られてパーカーを集中的に聴いていたとき突如としてパーカーのアドリブ部分の面白さが理解できたのである。この考察を続けて読んでいただいた方にはお分かりかと思うけれど、この「理解」は数学の命題が解けたというような知的な理解ではなく、むしろ今まで出来なかった身体動作が出来るようになるという意味での身体感覚の統合が、不連続に成立したということだろう。
もうくどくは説明しなくても分かっていただけると思うのだが、あたかも意味不明の探し絵の中からが突如鮮明なナポレオンの立ち姿が輪郭を現すように、あるいは杯にしか見えなかった反転図形*1から突如向かい合う人の顔が浮かび上がるようにして、パーカーのアドリブ部分から聴き取るべき形態が浮かび上がってきたのだ。要するに連続する音響現象の中から、ジャズとして有意味な表現を正確に把握することが出来るようになったのである。

*1:ルビンの杯=ビル・エヴァンスの『インタープレイ+1(K2HD/紙ジャケット仕様)』のジャケットを参照のこと。