think14 -- ジャズを聴くことについての原理的考察 第14回

ところでジャズを芸術音楽としての視点から眺めてみるという作業の前に、ちょっとした下ごしらえが必要だと思う。それはジャズとポピュラー音楽の関係だ。あるいは、ジャズは果たしてポピュラー音楽であるのか、という設問に置き換えても良いだろう。これは中村とうようさんの説に異論を唱えるということではない。
ラジオ、レコードの出現によって、世界の音楽が従来とは比べ物にならないほどのスピードで伝播する前からの伝統を持つ、クラシックや民族音楽に対し、 19世紀後半から20世紀にかけて出現したジャズ、タンゴ、サンバなどの新興音楽を、「ポピュラー・ミュージック」と命名するのは当を得た発想だ。
それはそうなのだけど、ポピュラー・ミュージックを直訳すれば大衆音楽ということになり、とうようさんの著作名もそれを踏襲している。だが日本語で大衆と言ってしまうと、当初の命名意図以外の意味合いも付随してしまうのはやむをえない。それは、多くの人々に聴かれる大衆的な音楽というイメージだ。もう少し付け加えれば、似たようなものでも、居酒屋と言うのと大衆酒場では微妙に印象が異なる。彼女を居酒屋に誘うのはアリだけど、大衆酒場に同行させるのは相当の大物だ。
ジャズ以外のポピュラー音楽に対する知識はたいしたこと無いので断言は出来ないけれど、例えばタンゴは、日本でジャズが流行る前(昭和30年代)は、タンゴ喫茶などというものまであったぐらい人気のあった音楽だそうだ。タンゴはかつて大衆音楽だったのだ。余談ながら、神田神保町の「ミロンガ」はいまだ健在だそうな。余談ついでに言えば、僕ら団塊世代以上のジャズ・ファンには、タンゴ・ファンからの転向組がかなりあったというようなことも聞く。
ロックについては同時代音楽なのでもう少し責任のあることが言えると思うが、1960年代には、ロックはまさに大衆音楽というにふさわしい音楽だった。ビートルズの「イエスタデイ」は誰でも知っていたし、プレスリーの映画は若いファンで満員だった。
しかし21世紀の現在、気まぐれなタンゴ・ブームが一部で興ったとしても、それを大衆音楽というには無理がある。ロックだって、幼稚園児から爺さんバアさんまで名前を知っているロック・ミュージシャンが、いったいどれだけいるというのだろう。
というようなことを考えてみたとき、音楽をジャンル分けする際の便宜として、ジャズをポピュラー音楽に分類するのはいいけれど、誰でもが知っている音楽という意味での大衆音楽と言うには若干の留保が必要だと思う。というわけで以下の文脈では、ジャンルとしての「ポピュラー音楽」と、一般的な誰でもが知っている音楽という意味での「大衆音楽」を分けて使用することとする。
私が理解する限りでは、ジャズが真の意味での大衆性を備えていたのは、歴史的に一度しかなかったと思う。それは1930年代のスイング・ムーヴメントだ。ここはジャズ・ファンを名乗るものが古本屋巡りをしてでも購入すべき基本必読書、油井正一先生の名著「ジャズの歴史物語」(スイング・ジャーナル社刊)にご登場願おう。というか、今この本が誰でもが読める状態になっていれば、ウケれば何でもありの俗論がまかり通るような現在の退廃したジャズ・シーンありえないはずなのだ。

不況を克服したアメリカ市民は二才の童子から八十才の老人までが、ベニー・グッドマンのスイング・ミュージックに狂喜乱舞したのである。『これこそアメリカの音楽だ!』と彼らは叫んだ(p. 92)

今日だと少年少女を熱狂させるがオトナたちは比較的つめたいという音楽が多い。グッドマンは、幼児から老人たちまでを熱狂させた。ここがちがう。景気の回復とともにグッドマンが口火を切ったスイング・ブームは、ジャズがはじめて全世界の注目を集めた画期的な出来事であった。(p. 93)

グッドマンのスイング・ブームは、陽のあたらぬ場所で演奏されていたジャズをはじめて大衆の音楽とした。(p. 94)

これが1935年から37年にかけてのできごと。ということは1900年前後に誕生したといわれるジャズも、はじめの40年間ほどは大衆音楽とは言えなかったということだ。ではその後の状況はどうだろう。あのビ・バップ革命もその音楽的内容は素晴らしいけれど、聴衆は都市部の「ヒップな」ジャズ・マニアであって、どだい大衆音楽というには無理がある。というか、今でこそパーカーからマイルスに連なるジャズの主潮流(ビ・バップからハードバップへの道と言い直しても良い)は、誰でもが認めるところとなっているけれど、1940年代半ばの時点でのビ・バップは、まごう事なき前衛音楽だった。
それに比べれば、はるかに一般的人気がありそうに思える“50年代ジャズ黄金時代”の名盤の数々にしたところで、ブルーノート1500番台の初プレスがせいぜい1000枚程度だったことを考えれば、これまたとうてい大衆的とは言いかねる。そもそもわれわれが想像するのと違って、当時一般の黒人はほとんどジャズを聴かず、もっぱらリズム・アンド・ブルース、ソウル・ミュージックを愛聴していたというのだから、多数派白人層のジャズ認識は想像がつく。
70年代に至っても、なにしろジャズ界ではカリスマ扱いのマイルスですら、「フィルモア」に出演したときはロック・ミュージシャンの前座扱いだったことを思えば、あとは推して知るべしだ。加えればマイルスが『オン・ザ・コーナー(紙ジャケット仕様)』を発想したのは、自分の音楽を若い黒人層が聴いていないことが理由だったというような記述を読むと、おのずと当時のジャズの位置が見えてくる。
要するに『サキソフォン・コロッサス』がいくら有名でも、『カインド・オブ・ブルー(紙ジャケット仕様)』の累積販売数が300万枚に達したとしても、それらは突出した特殊な事例であって、ジャンルとしてのジャズ全体は、大衆音楽というには少しばかり難しい場所に位置した音楽なのである。
というように事実認識を前提にして、ジャズは人の感覚を拡大、深化させる音楽であるのかどうか検証してみよう。しかしジャンルとしての民俗音楽、ポピュラー音楽に比べれば、ジャズはもう少し範囲が限定されているとはいえ、やはりその歴史も100年を超えた音楽を一括りにするのは無理がある。というか、前にも述べたように、変化こそがジャズの特徴でもあるような音楽を、いっぺんに語っては間違いのもとになるだろう。ここは少し腰を落ち着けじっくりと見ていこう。
まずは今までの話に出てこなかったジャズの超大物、“サッチモ”こと、ルイ・アームストロングである。またもや油井先生にご登場願おう。

ところがアームストロング自身の見解はまったく反対なのだ。彼の考えにしたがえば『ジャズは芸術ではなく、大衆芸能の一種』なのである。にもかかわらず『芸術』といわれるジャズをつくった当の男がルイ・アームストロングなのだ。この矛盾にみえる論理を理解しないとジャズはあなたのものにならないのである。(前出書p. 66)

こういう油井先生の透徹した発言を読むと、いまさら私ごときがジャズの芸術性についてあれこれこと上げするのはいかがなものかと思うけれど、30年以上も昔にすでに常識であったことが、今やなし崩しにされている現状に鑑み、あえて微力を振るおうと思うのである。
さすがインテリ、油井さんは芸術の本質をズバリと突いている。芸術は作家の意図と無関係なのだ。如何に本人が芸術作品を作ろうと苦心惨憺してもダメなものはダメだし、その逆に、作り手は大衆芸能と信じてやったことが、外から見れば立派な芸術性を備えていることだってあるのが、芸術の冷厳なところでもあり面白いところなのだ。
これは日本の仏像彫刻などを考えれば想像がつくだろう。かつての仏師たちは、自分を芸術家とは思ってもいなかった。ただ職人としての意識、あるいは信仰心が彼らをして仏像つくりに邁進させた。その結果できあがったものの中には、芸術品としてみても優れた作品がいくつもある。
サッチモの芸術性については油井さんが前掲書で、1 トランペット界に与えた影響、2 他の楽器への影響、3ビッグバンド・アレンジャーへの影響、4歌手への影響の四項目に分け、適切かつ明快な解説をされているので詳しくはそちらを参照していただきたいが、ここでは私の個人体験によるサッチモ像をご紹介しよう。
パーカーとはまた別の意味で、サッチモの本質を理解したのはジャズを聴き出してからずいぶんと経ってからだった。というのも僕らの世代は「白いハンカチで汗をぬぐいながら恰幅のいい爺さんが目玉をクルクル動かして《ハロー・ドーリー》を歌う。喝采にこたえて後半部を二度三度とくりかえし、歌い終わると両手で投げキッス。」(油井前掲書、p. 65)の「芸人としてのサッチモ」を先に知っているので、かえってジャズマンとしての彼の実態が見えにくかったのだ。だから一般のファンが彼の芸術性を発見しにくいのも当然であると、油井さんも同著で言っている。
おそらくその記述を読んでのことだったと思うのだが、それではと私もサッチモのホット・ファイヴ時代の演奏を聴き、なるほどと油井説に納得したのだった。その納得の中身はジャズの本質的部分に関わることで、“声としての楽器”の使用法が実感されたのである。
クラシック音楽は門外漢なのであまり知ったかぶりをしてはいけないが、クラシックの楽曲における管弦楽合奏やピアノの音色から、人間の声(肉体性のたとえ)を想像することはまれだ。クラシック音楽の歴史の中で大きな位置を占める教会音楽、その精華というべきパイプオルガンの音色は、あたかも俗世界から隔絶したような感覚を与えるし、聖歌隊の歌声はそれを歌っている個々の人間の私生活や性格をイメージさせるような唱法は取っていない。より俗なジャンルであるオペラにしてからが、人間の自然なナマの声というよりはあたかも声を楽器のようにして使用しているように聴こえる。
それに引き換えサッチモのダミ声スキャットは、彼がステージに上がる前に食べたソウル・フードの匂いまで漂ってきそうな身近で人間的シロモノだ。そしてトランペットの音色までもが、あたかも彼の肉声のようなリアルな身体性を帯びて聴こえてくる。同じトランペットでも楽器の使い方、意味がクラシックとジャズではまったく違うという原理的な事柄に気が付いたのは、サッチモのおかげといっても良い。
クラシック音楽での楽器は、譜面に書かれた楽曲を、理想的な形で音響として具現化させるための道具という発想で演奏しているように聴こえるのに比べ、ジャズは楽器を思い切り演奏者の身体に引き付け、肉声の延長のようにして演奏する。まさにサッチモの分厚い唇の延長として、トランペットが存在するのである。クラシックが楽曲の音楽だとしたらジャズは身体の音楽なのだ。もちろんこれはどちらが優れているというようなことではなく、二つのまったく異なった原理によって演奏される音楽というに過ぎない。
楽器の音色についての個人的体験を物語ると、ナマ楽器の音色に最初にシビれたのは小学生の頃だった。私の通っていた麹町小学校は妙にシャレた小学校で、ピアノはもちろん当時(昭和30年代)としては異常と思われるほどヴァイオリンを弾ける子が大勢いて、音楽会などは小生意気にもクラシックの小曲をご披露なさる。
弦楽合奏を初めて聴いたのはそのときだったが、やはりナマ音は迫力があり、オォこれは大したものと素直に感動したものだった。その後音楽教育に熱心な女性教師の指導もあって、軽クラシックのコンサートなどもクラスごと聴きに行ったが、やはり圧倒されたのは音色の美しさだった。当時のチャチな蓄音機から聴こえて来る音とはまったく別物といってよいヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの合奏が醸し出す音色の綾は、子供心にも西洋文化恐るべしの感を抱かせたものだ。
思い起こせば、感覚の拡張の最初の体験は、この頃の出来事にあったのかもしれない。当時の平均的日本家庭で聴けるナマ楽器といえばオルガン、ギター、アコーディオンハモニカがいいところで、大多数はラジオから聴く音が音楽のソースだった。ステレオ(オーディオではなく)が家庭に普及するのは私が高校生になってからだ。そうした状況では、たとえ小学生のガキの演奏にしろ(というか、今思い起こしても彼らの技量は相当のレベルには達していたと思う)目の前で鳴り響くヴァイオリンの音色は、一種のカルチャー・ショックなのだ。
というような体験の持ち主にとって、ヴァイオリン、ピアノといった楽器の出す音色は、人間の汗や体臭をイメージさせるようなものからは程遠い、いや、その対極にあるような抽象性を帯びた美しさをもったもの、という固定観念が出来上がっていたのである。だからこそ、そうした楽音に対する先入観を持って聴いたサッチモのトランペットは、なんとも異様で、このひび割れたような音のどこに良さがあるのかまったく理解できなかったのだ。パーカーを当初聴いていたときに起こったズレと似たような構造が、ここにもある。
だがこのときも油井先生の言うことを信用し、何度か繰り返し聴くうちに、サッチモのトランペットのなんともいえない魅力的感触に次第に引き込まれていったのである。その感触を説明するなら、まさに具体性に富んだ人間の(たとえとしての)声の持つ力というしかあるまい。そしてそのことが見えているかどうかが、ジャズという音楽の本質的理解にとってきわめて重要であることがわかったのは、またずいぶん経ってからのことだった。
ともあれ、このとき私の音楽というものに対する認識は大きく変わった。こういう手もアリなのだということが実感として理解できたのである。そしてそれがジャズという音楽の特殊性なのだということも。その変化のきっかけは、楽器の奏法、音色に対する固定観念が変わったことだった。私の感覚はサッチモによって変化し拡張されたのである。油井さんが言うとおり、ルイ・アームストロングの音楽はまさしく芸術音楽なのである。