11月19日(日)「いーぐる掲示板」にて「かわらけ」さんにご紹介いただいた、村上隆の『芸術起業論』(幻冬舎刊)を読了。アニメ世代ではない私は、村上隆の作品にさほど興味は無かった。その理由は、彼の作品のモチーフであるオタク的フィギュアに対する無関心だけではなく、アニメ、コミックといったサブカルチャーを素材としたアートは、既にリキテンスタインがやってるじゃないかといった既視感も手伝っている。
しかし彼の主張は非常に興味深い。いや、無視できない。まあ、反論の余地も無くはないのだが、現代美術の現場で成功した彼ならではのリアリティには、説得されざるを得ない。「かわらけ」さんのご意見の通り、日本美術界に対する彼の辛辣な批判は、ある部分においてはそのまま日本のジャズ界にもあてはまるだろう。ジャンルに関わらず、アートに関心のある人間にとって必読の書と言っていいと思う。
面白かったのは彼の美術観で、ゴッホよりボナールの技術を、ピカソよりマチスの才能を高く評価するところなど、シロート美術愛好家である私の実感とピッタリ一致している。
批判点は、村上氏の主張というより、彼が美術界の現実として肯定している、現代美術の潮流としてのコンセプチュアル・アート概念芸術)に対する、私の違和感だ。厳密な議論はいずれthinkで展開せざるを得ないだろうが、私見では、アートは本来「感覚的」なもので、概念をもてあそぶ一部の現代美術は、既に病理的領域に入っているというのが、個人的意見である。

11月18日(土)林さんの「ビ・バップの巨人たち〜リズム楽器編」は、私がパーカー、パウエルといった、一握りの天才たちの技から思い描いていたビ・バップ像を、実証的に解明してくれた労作だ。言ってみれば、身も蓋も無い(実験)音楽であるビ・バップが、ジャズの行く末を大きく進路変更させてしまったのではなかろうか。
そのせいか、アフターアワーズでもあまりジャズの話題は出ない。ビ・バップは、どこかしら言語を拒絶するようなところがある。
どういう成り行きからか、深夜店でかけたケン・マッキンタイアの『ルッキング・アヘッド』のドルフィーの素晴らしさを再発見。続いてかけた『アウト・ゼアー』の異様な音色のよさに皆さん驚愕。やはりドルフィーはパーカーの正統な後継者ですね。