12月3日(日)
昨日に続き、ポピュラー音楽学会2日目はワークショップ「近代日本の音楽受容〜“眩しさ”の進化論」に参加。最初の発言者、竹内孝宏さんは東大で表象文化研究をされている方で、この人の問題提起が実に面白かった。
昭和10年代の「あきれたぼういず」を例に挙げ、日本の洋楽受容を「インチキ性」というキーワードで料理しようというのだ。司会の佐藤良明先生がつけたサブタイトル「“眩しさ”の進化論」の、「眩しさ」を「憧れ」とでも言い換えてみれば、私にとっての(続く発言者三井先生にとっても)アメリカン・ポップス、ジャズ受容体験は実にうまく説明されるのだが、「インチキ性」という概念は新鮮だ。
しかし、ジャズもオペラも浪曲も何の脈絡も無く「モンタージュ」してしまう「あきれたぼういず」を形容するに、竹内氏が引用した文章「〜やうやく浅草風な、インチキ(江戸前)性が、十分に発揮されて、構成のマンネリズムを脱却してゐる。〜」という、『ヨシモト』(現在の吉本興業の前身が発行していた雑誌)昭和12年6月号に掲載された肯定的批評文は、「ナルホドそういう見方もあるか」と思わせるものだ。
佐藤先生が「眩しさには照れの感覚もある」という指摘をされていたけれど、照れを江戸前の洒脱な感性と見立ててみれば、そこから肯定的インチキ性までの距離はさほど遠くないのかもしれない、などと妄想が湧き上がってくる。
続く問題提起者は、ロック評論家として有名な北中正和さん。彼はさまざまな音源、映像を駆使して日本のポピュラーミュージックにギターが導入されていった過程をたどる。演歌の代名詞的存在である古賀政男の代表曲《影を慕いて》が、新内の三味線にヒントを得ていることや、一方で、同時期の《月の浜辺》が意外と洋楽的であることなど、日本の洋学受容もけっこう複雑な過程を経ていることがナットクされる。
議論の本筋に関係ないのだが、川田晴久がギターで伴奏する美空ひばり(おそらく小学生だろう)が抜群の歌唱力をしめしているのには、改めて感心する。
3人目の三井徹先生はブルース研究の権威。氏が小学生から高校生にかけての日記を参照しつつ、進駐軍(現在の在日米軍)基地に出入りした経験に基づく「洋楽体験」は、私とは少しずれるが(三井先生の方が年上)いちいち思い当たるものであった。
最後にこれらの発言を東谷護さんがまとめる段になったのだが、これはなかなか難しい。しかし、「インチキ」という概念は「ホンモノ」の存在を前提とするわけで、日本の場合はそれが舶来に当たるのか、など、ジャズにおいても当然問題になるべき構図が提示されただけでも勉強になった。

12月2日(土)
久しぶりにポピュラー音楽学会に顔を出す。年に一度の総会だけに出し物も豊富だし、短時間でいける東大駒場キャンパスで開かれたことも、私の腰を軽くさせた理由だ。目玉のシンポジウムは音楽ファンなら誰でも関心のある「ビートルズの音楽」なので、村井さんらジャズ関係者も誘ってみる。
パネラーの和久井光司さんは81年に「スクリーン」を率いてレコード・デビュー、文筆活動でも『ビートルズ〜20世紀文化としてのロック』など多数の著書がある。和久井さん自らギター弾き語りでビートルズの音楽の特殊性を解説するのだが、実際の音があると非常にわかりやすい。
イギリス人が、アメリカのポピュラーミュージックを誤解して「スキッフル」をはじめたという話にはナルホドと思った。他にもビートルズは白人の音楽と黒人の音楽を混ぜようとしたこと、「半音マジック」の話、無意識にジャズのコード進行を使っているという指摘など、ジャズファンも興味の持てる内容だ。
もう一人のパネラー、佐藤良明さんは今大会の実行委員長でもあり東大の先生。『ラバーソウルの弾み方』『J-Pop進化論』など多数の音楽関係の著書がある。佐藤さんはビートルズ前夜、1956年ごろから69年にかけてのアメリカン・ポピュラー・ミュージックの流れを、実際の音源を流しつつ、ビートルズが「3でなく2ないし4の拍子を選んだ」というキーワードでわかりやすく説明してくれた。かつて無意識に聴いていたアメリカン・ポップスが、どのようにしてビートルズに流れ込んでいったのかということがじつによくわかる。
村井さんも興味を持ったようで、ポピュラー音楽学会に参加することになりそうだ。帰りに、夕暮れ迫る東大駒場の時計台を背景に、村井、須藤そして私の3人で記念写真を撮る。卒業生でもないのに、いったいどういう意味じゃ。