3月8日(土)

いやー、楽しいイヴェントでした。正直言って不慣れなこともあり、運営が少々不安だったけれど入りも上々、やはりやってよかった。いーぐる初の巻上公一さん生音ライヴ、お客様にも大好評。それも上は私より年配のご婦人から、下は20代のミュージシャン兼D.J.君までと、年齢、客層に関わらず楽しんでいただいたようだ。
もう、いろいろ考えることがあって、とうてい一度では書ききれないが、ひとことで言って、巻上さんは実に興味深い音楽家であると思った。巻上さんのことは店に来ていただいたこともあって以前から存じ上げていたが、このブログに書いたように、北里さんの出版記念パーティでライヴを聴いたのが今回のイヴェントのきっかけだが、その時私の頭に閃いたさまざまなことが、個人的レベルではあるけれど実証された思いだ。
それは、音楽とは、演奏とは、楽器とは、声とは、といったかなり抽象的で本質的な事柄にかかわることである。もちろん、具体的なレベルでも、彼の口琴、ヴォイスの音色が、極めて「触覚的」でもあることから、益子さんがこのところいーぐる連続講演で展開している「最近のジャズの聴き所」の一つとも関係してくる。
口琴の音は小さいので、耳をすませなければ良く聴こえない。これが大事。いやでも注意深く音を聴こうとする。いまどきの音楽の大半が、電気的増幅装置のため少々注意力散漫でも、音楽の方から「聴いてくれ」とばかり近寄ってくるのとは対照的だ。
この、「音を注意深く聴く」ということは、これからジャズを聴こうとする人に私がまず言うことである。ジャズについての薀蓄を知らなければジャズがわからないと誤解している方もいるようだが、一番重要なのは「音をちゃんと聴く」というごく常識的なことなのだ。そしてこれは、音楽を聴く時の常識でもあったはずなのだ。それが、楽器も含めた技術革新のため、かえって忘れ去られている。
また、いわゆるポピュラー音楽は大量消費を前提とするため、それこそソファーに寝転び、雑誌を眺めながら音楽を聴く、「受身の」消費者層にも届くような作りになっている。このことは事実として受け止めざるを得ないが、現在のジャズはそういう受身の姿勢ではわかりづらいところにまで行ってしまっているという現実がある。
つまり、いわゆるポピュラー音楽の流儀に慣れてしまった音楽ファンにジャズに聴いてもらうには、音楽を聴く時の基本姿勢を少しばかり変えてもらう必要があるのだ。しかしこれを言うと「音楽の聴き方に注文を付けるのか」と誤解されてしまう。そうではなくて、もともと音楽というものは「こちらから聴きに行くもの」だったということが忘れられているのである。
もう一つのポイントは、巻上さんの音楽は曲という概念では掴めないということだ。そうではなくて演奏、それも彼の「身体と直結した演奏」という視点で聴かなければ音楽の中に入っていけないだろう。そしてこれは私がジャズについて常日頃言っていることでもある。他にも、音自体についてだとか、演奏する姿勢だとか(この2つについては、いずれ日を改めて論じたい)、巻上さんの音楽はジャズではないけれど、私がジャズについて考えていることと直結する問題を鮮明に映し出すようなものだったのである。そしてもちろん、音楽として実に面白く楽しめるものであった。
打ち上げは例の福翔飯店。巻上さんの話で面白かったのは、温泉の効能は源泉からの距離に比例するということ。近頃は後楽園ラクーアぐらいしか行ったことのないわれわれにはちょっとショック。もう一つ、巻上さんは大昔のピンク・フロイド箱根アフロディテ初来日に行っているという。それもステージ直前で見たそうだ。私など図々しくもあの時高く組まれたステージ上まで登って、彼らの機材をわかりもしないのに覗き見たりしたのだから、巻上さんとは数十メートル以内の距離にいたことになる。それにしてもあの時初めて聴いた、ウェムだかヴェム(と発音していたように記憶する)のP.A.の音色は素晴らしかった。