3月15日(土)

四谷見付の交差点で近所に住むディディエと会う。ジャズファンならご存知、東京ジャズアクションのディディエ・ボワイエさんだ。なにやら大きな荷物を持っている。神戸に教えに行くという。彼は合気道、居合い抜きの師範でもあり、以前、某国某機関に格闘術を指導に行くときも同じような荷物を抱えていた。
ちょっとした思い付きで、「私みたいなジジイにも合気道を教えてくれるか」と訊いてみたら、気軽にいいよと言ってくれた。思いつきと言ったがきっかけはあって、「格闘技通信」の「知られざる合気道。即ち実戦柔道」という記事を読んで、合気道に興味を持ったのである。この記事は、柔道と合気道の意外な関わりついて教えてくれた。まあ、この日記の読者はその方面にはあまり関心ないだろうと思うので、詳しい内容を知りたい方は直接雑誌をお読みになっていただきたい。
と言いつつ、私事を書き連ねてしまうが、高校の柔道部時代、競技に勝つ技術と同時に、実戦武術としての技を同好の士(まあ、ヒマ人と言ってよいだろう)たちと稽古が終わった後の道場で盛んに研究したものだった。空手部の友人たちとは、彼らは投げられない技術、われわれは突いたり蹴られたりしないで投げる術をお互いに研究しあった。おかしかったのは、剣道部の連中とのケースで、われわれが剣道の防具を付け、柔道着を着て竹刀で打ってくる剣道部員と素手でどう戦うかという実験だ。
まあ、当然のごとくそれは無理な相談で、彼らにさんざん面を打たれたものだった。防具の上からでも連中の打ち込みは凄く痛い。とは言え、われわれも悔しいので、何とか対抗策を考えた挙句、面を打たれた瞬間、思い切って相手の左側面に身体をひねりつつ頭から身を投げ、腰の辺りに抱きつきつつ横捨て身的に相手を後方へと投げる技を考え付いた。試してみると、1回だけは成功したのである。
だが、次からは読まれてしまい、またもやさんざん打ち据えられた。しかし、この技は素人相手には有効で、柔道部員に竹刀を待たせて打ち込ませると、けっこううまくいくのである。もちろん抜き胴をやられればアウトだが、素人にそんな技術はなく、おおむね右斜め上段に振りかぶり打ってくるので、慣れればかなりの成功率で相手をバックドロップ的に投げ捨てることが出来るようになった。
こうした「異種格闘技戦」は当時の慶応高校武術系体育会員の流行となり、なんとフェンシング部対剣道部の対戦が実現したのである。フェンシングの選手が剣道の防具を付け剣を持ち、剣道部員がフェンシングの防具で手には竹刀を持ち、ポイントはお互いの流儀で付けた。
みなどうなることかと見守ったが、結果は圧倒的にフェンシング優勢。考えてみればわかるが、両手で竹刀を持つ剣道と、片手で剣を持つフェンシングでは打ち込める間合いが相当に違い、だいたい剣の方が先に突ける。もっともこれは摸擬戦なので、真剣でやればまったく違う結果が出る可能性は十分にあるはずだが、そんなことできるわけはない。
そうこうするうち、各部監督たちにわれわれの「暴挙」を察知され、こうした試みは沙汰やみとなったが、もともとの発端はレスリング部が投げ技を学びたいと柔道部に合同稽古を申し込んだのがきっかけ(柔道部が彼らに寝技を習いたいと持ちかけたのかもしれない)なのだから、監督連もあまり文句は言えない。
このときの経験から言えば、互いに柔道着をつければ大学の選手クラスでも簡単に投げることが出来る反面、先方が掴みどころのないユニホーム、われわれが短パンTシャツで彼らと対戦すると、そう簡単に投げられはしないもののこちらから相手を投げることはまあ難しく、慣れないタックルから両足を持ち上げられ頭から落とされたときの恐怖は、心底身に沁みた。そして寝技になるとルールの違いもあるけれど、あっという間にポイントを取られてしまう。
相撲部ともやった。彼らに柔道着を着せて投げようとするのだが、これも無理。彼らはまわしを着けろといったが、いけない皮膚病(インキンと言う)がうつりそうなので、これはやんわりご辞退申し上げた。もちろん柔道着を着けての押し合いではわれわれはまったく歯が立たなかった。いくら押してもぜんぜん力が入らない。このとき相撲も力ではなく技術なのだと深く納得したものだった。
そんな経験はあるのだけど、合気道は正式な部が無かったので対戦したことが無い。だからディディエに声をかけてみたのだけど、本当に習う気になるかはまだなんとも言えない。そもそも締め切りに追われ、いまやっている空手の稽古もここ数週間行ってないのだ。まあ、そうした欲求不満がこうした駄文を書き連ねさせるのだろう。お目汚し、ご容赦。