7月11日(金)

いーぐる掲示板上でのやり取りが原因で、イーストワークスからオファーのあった「ジャズ批評」誌上での菊地成孔さんとの対談をお断りすることにした。これはどちらが悪いということではなく、間が悪かったとしか言いようがない。菊地さんの掲示板上でのご発言も、もうちょっと待っていただいて、来週月曜日にいーぐるで行なうことが決まっていた対談の席上でお話になっていただいたのなら、何の問題もなく「その場で」私が菊地さんに真意をお尋ねする形で解決したことだろう。
だからこれから書くことは私の一方的見解であって、自らの正当性を主張しようとするためではない。
私は議論というものを、お互いがさまざまな見解を持ち寄り、誠意と論理的妥当性を持って討議することにより、お互いがより高い認識のレベルに到達するための手段だと考えている。だから、特別に利害の絡んだ話でない限り、勝ち負けはあまり問題ではない。よって、議論において自らの立場を表明することが、相手との関係を損ねるようなことは本来無いはずだと考えている。
そういう前提で考えると、菊地さんのおっしゃるような「所詮客商売であるジャズ喫茶は、曖昧なかたちでしか議論が成立しない、ある種馴れ合いの場である」という見解は、とうてい受け入れがたい。
もちろん菊地さんにそういう意図がなかったとしても、結果として、「ジャズ喫茶という空間は、中途半端な議論空間である」という認識を受け入れることは、ジャズ喫茶店主としての私の立場を否定することであり、この苦しい経済状況の中で日々格闘していらっしゃる全国のジャズ喫茶店主の方々のお立場も軽んじるだけでなく、「DIG」中平氏はじめ、ジャズ喫茶での議論によってジャズの啓発を行ってこられた先輩諸氏の功績を貶めることに繋がると私は考えた。
これが、私が対談をお断りした主要な理由である。また、正直に言えば、いかにレトリカルな表現であったとしても、ジャズ業界では十数年以上先輩にあたる私をつかまえて、ある種面白がるような掲示板上での言辞は、私的空間ならいざ知らず、いささか礼を失しているのではないかと不快に感じたのも事実である。
こうしたモロモロの集積として、私は菊地さんと話をする意欲を完全に失った。