7月12日(土)

Andrew D’Angeloで始まった益子さんと原田さんの新譜特集、とても楽しめた。やはり、新しい演奏からは昔のジャズにはない同時代的リアリティが感じられる。それは、こうした音楽がパーカー、マイルスを凌いでいるということとはちょっと別の話だ。鮨と中華料理のどちらが旨いかという設問が無意味なように、どちらも美味しいし、そして、どちらもないと困る。
そもそもこうした試みは、益子さんが私に新譜を聴かせても反応がいまひとつニブかったので、なんとか私の感覚をリフレッシュさせようとして始まった。実にありがたいことである。
そうした「感覚の訓練」の成果は上がりつつあり、以前ならせいぜい1〜2枚にしか反応しなかった私のセンサーが、5〜6枚にまで広がったのだから、これは嬉しい。もちろんそれには、益子さんの言葉による適切なサゼスチョンがあったからなのだが、、、
こうした良い講演のあとは当然打ち上げも盛り上がり、最近顔を見せてくれるようになったKirkさん、ミヤサカさんらとジャズ談義やら文学談義に花が咲く。お二方とも文芸方面の造詣が深く、ワタシのようにふだん警察小説ぐらいしか読まない人間にとっては実に面白いお話しが聞けた。

話は変わるが、双方が相手側に対して何のリスペクトもない「タフな議論」の典型は、外交交渉だろう。これは一歩間違えればミサイルが飛び交う超ヤバい世界だ。そこではまず、相手を交渉のテーブルに着かせることが先決で、次いで、こちら側の“意図”を正確に相手に伝え、理解させることが肝要だ。歴史的に、双方(あるいは片方)の意図の読み違えは、戦争を引き起こす。第2次大戦然り、朝鮮戦争然り。そして議論の目的は、相手側をして、納得ずくで、こちら側の主張を受け入れさせることだ。

またもや話は変わるが、私は自分の信じる信念(政治的であれ思想的であれ、あるいは美学上の問題であれ)をもって他人と議論を戦わせた結果、自分が誤っていたとわかれば直ちに信念を変更する。もちろん人間だからその際葛藤はあるが、やはり変更する。現にしてきた。それではオマエのアイデンティティはどうなるのだ、という質問に対しては、アイデンティティなどというものは所詮フィクションなのだから、別にどうということはないと答えるだろう。