think.24

これからthinkは以前と違って、気軽な「考えるメモ」として書き続けていこうと思う。まず最近の「いーぐる掲示板」上の興味深いご意見を糸口にして、、、
人間は人の表情を読み取ることが出来る。怒っている顔、笑っている顔、そして皮肉な表情や、ウソを付いた時の微妙な表情の変化までも、練達の刑事などは容易に見抜くという。その時私たちは、眉の角度が何度だから怒っているとか、唇が何度傾いたからウソを付いているなどとは判断せず、端的に、顔自体の「相貌」を読み取っている。不思議と言えば不思議だが、現実に人にはそうした能力が備わっている。表層(の表情)こそが真相を語っているのだ。
私はジャズを聴く時、ミュージシャンの(表層の)音からさまざまな表情を聴き取っている。もちろんそれは厳密なことばには翻訳できないが、たとえばパーカーの緊張感のあるアルトの音とか、ズートの緩やかなテナーサウンド、あるいはコルトレーンの突き詰めた表情であるとか、バリー・ハリスの洒脱な気分など、実に多様ミュージシャンの音の表情を音響という物理現象から聴き取っており、それがジャズを聴く楽しみでもある。
また、ジャズマンの個性を聴き取る時、フレージングが聴き所になるが、その時聴き取っているのは楽譜に書けるような定量的な要素(表情で言えば眉が何度釣り上がったというような)ではなく、フレージング自体を人の顔を見るときのように「表情」として読み取っており、その結果として、これはパーカーだとか、似たフレーズだがソニー・クリスだよ、などと判断しているわけだ。そしてこの微妙な「音の表情の違い」自体がパーカーとクリスの違いであり、そこに天才と、若干小粒ながら愛すべきパーカー派アルト奏者クリスの違いが生じる。
一方、ジャズの音を音楽理論の用語に翻訳し、それこそがジャズマンの伝えたいものだという人もいる。この言い方は、文章を読んで文法構造こそが文章の表現したいことだというような異様さがあるのだが、言っている方はそれと気付かない。いうまでもなく文章が伝えたいことはその文の意味、あるいは語り口(文章の表情、ニュアンスという言い方も出来よう)である。
この楽理の論法でパーカーの魅力を伝えようとしても、文法構造ならぬフレージングの構造(楽理構造)がほとんど同じな(コピーしているのだから当然なのだが)、パーカーとクリスの違いをうまく説明できない。しかし文章の意味(あるいはニュアンス)に当る音の表情の違いに着目すれば、『イングルウッド・ジャム』のような、ブラインドで聴いたらほとんど区別が付かないようなパーカーとクリスの違いも、判別が可能なのだ。
要約すれば、パーカーとクリスの違いというような、ジャズファンにとっては極めて重要かつ微妙な聴き所は、音楽理論の知識からは判別が難しく、むしろ長年ジャズを聴き続けてきた「耳の肥えた」ジャズファンこそがその判断の要所を掴んでいるという、極めて常識的な結論が出てくる。