11月8日(土)

今日は1時から3時まで朝日カルチャーセンター講師として、ニールス・ウインター主宰のスティープル・チェースについて、アルバムをかけながら解説。4時からは『白熱MILES鼎談』(プリズム)刊行記念イヴェント。還暦の身には少しばかりキツイ。中山康樹さん、村井康司さんとの公開鼎談中、注意力が衰えないようにするため、コーヒーとチョコレートでエネルギー補給(これ、ダイエットにもなるんですよ)。
もっとも事前の打ち合わせどおり、今回は中山さんが中心になって「1969マイルス問題」の解明(といっても公開イヴェントの席だからその端緒ではあるけれど)がテーマなので、こちらは聞き役。
話のきっかけとして、『白熱MILES鼎談』でも主張したとおり、チャーリー・パーカーとマイルスの関係を理解していただくために、サヴォイ・セッションからパーカー・サイドマンとしてのマイルスの演奏と、彼が独立してからもビ・バップをスタート地点としていた証拠として、49年のパリ国際ジャズフェスティヴァルの演奏をかける。
続いて村井さんが「鼎談本」ではあまりふれなかったギル・エヴァンスとマイルスの関係を探るべくいくつかの音源をかけ、いよいよ今日の主題、1969年のマイルスに何が起こったのか。
その詳細は、いずれ中山さんが雑誌『en-taxi(エン・タクシー)』で書かれるだろうし、あるいはプリズムさんから本日の公開討論が刊行されるかもしれないのでそちらを参照していただきたいが、私にとって興味深かったのは、中山さんの研究手法だ。実に丹念、精密。エッ、そんなものまで聴いてるの、と驚くような音源から、マイルス・ミュージックの謎に迫るのだ。私にはとうてい出来そうもない。
最後の質疑応答の場面で面白かったのは、発売当時の『ビッチェス・ブリュー』に対する、中山さん出身の大阪と、東京のジャズファン気質の違いだった。あるいはロックからジャズに入った中山さんと、60年代当時、私の周辺にたむろしていた“純正”ジャズファンの意識の差と言っても良いだろう。結果としては、最初からこのアルバムを評価した中山さんたちのセンスの方が良かったことになるが、当時、東京のジャズ喫茶周辺での“エレキ・マイルス”評は、まさに賛否両論、いや、若干否定的意見の方が多かったように記憶している。
当然打ち上げも盛り上がり、三具さん、小針さんの中年(失礼)コンビはじめ、原田さん、須藤さん、益子さんたち若手(と言っても、もういいトシだが)、そして、最近アフターにも顔を出してくれるようになった、宮坂さん、鈴木さんら熱心なジャズファン同士の打ち解けた交歓が行なわれた。
個人的には、中山さんの、書き手としてのモチヴェーションを高めるため、自分を追い込んでゆく迫力ある姿勢に大いに啓発されました。やはり彼は凄い。