4月25日(土)

前世紀末1999年に始まり、今年で10年目を迎えた朝日カルチャーセンターの講座、生徒さんの人数は増えたり減ったりしてきたが、ここ2〜3年、ありがたいことに少しづつではあるが、増える傾向にある。今回は年度初めということもあるのか、ここ数年最大の25名。現金なもので、解説にも気合が入る。
ところが、この日記を書いているときナナメ見していたTV番組で、自分のマチガイを発見。いまや飛ぶ鳥を落とす人気評論家、勝間和代さんのおかげである。この人、中等部から商学部と学校の後輩に当たる(能力、年収はエライ違いだけど)ことを知ってから親近感は持っていたが、彼女の本を読んだことはない。
彼女が言うに、本は「生産者の立場ではなく、消費者の立場で書いている」そうだ。これをカルチャーセンターの講義に置き換えてみれば、生徒さんの理解に合わせ、解りやすくしゃべれということだろう。もちろんそれは分かっているのだが、自分の好きなパーカーの話などになると、つい調子に乗って、ジャズを聴き始めたばかりの方にとっては難しすぎるパーカーの即興についてなど、滔々としゃべっちゃったようだ、反省。還暦を過ぎても進歩はあるのだ、優秀な後輩、ありがとう!
こんなことを書くと、読者の方の中には、それが解っているなら、なんで「think」やらcom-postの「往復書簡」ではあんな小難しいことを書くんだ、という声が聞こえてきそうだが、それはちょっと違うのです。
まずthinkは自分自身の考えるメモという意味もあるし、こうした「原理的問題」に関心のある一部の方向けと割り切って、難しくなってしまうことは承知の上。本音を言っちゃえば、未来のジャズ評論家に向けて、「これくらいのことは知っておいたほうがいいんじゃないの」という期待をこめて書いているのです。誤解してほしくないのは、thinkは、自説の正当性を主張しているのではなく、こういう見方もあるということぐらい知っていてね、というご提案に過ぎない。だから当然間違いもあるだろう。どう受け取るかは読み手の自由だ。
それに対し、com-postの往復書簡は、thinkでの議論に対し当然あるであろう疑問、質問、反論に答える過程を通じ、自分自身もより幅広い知見を得たいという立場で書いている。こちらも出来れば誰にでもわかるように書くべきだけど、もともとこうした問題に関心のない人にまでこちらを向いてもらおうとは思わないし、それは所詮無理な相談だろう。
まあ、本当のジャズ初心者と、ある程度わかっていて、より本質的な問題にも関心を持っている方々たちに対するスタンスをうまく使い分ければよいという、ごく常識的な結論だけど、人間、自分自身のやっていることには意外と気がつかないものだ。
4時からは林さんのエリントン特集。こちらも面白いことを発見。カルチャーセンターの講座で生徒さんといっしょに見たパーカー映像《ホット・ハウス》の切れのよいアドリブでコーフンし、やっぱパーカーいいよねと思っていたが、それとは対照的なエリントンのダークなサウンドを聴いていると、講演でしゃべり疲れた身体がダラーンと心地よく弛緩していくのだ。パーカーでテンションをあげ、エリントンでリラックス、これは良い。
去年のいーぐる連続講演で一番良かったものとして、林さんの「ローランド・カーク楽器研究」を挙げたが、このところ林さんの実証的講演は完全にジャズ評論家としてトップクラスのレベルにあるといっていい。
今回はエリントン・サウンドに的を絞った発表で、《ザ・ムーチ》《ムード・インディゴ》など、繰り返し取り上げられたエリントン・ナンバーのサウンドが、時代によってどう変化してきたのかきわめて具体的に示され、これは良い勉強になった。ただ、林さんの説明に何の異論もないのだけど、私の実感としては50年代以降の「進歩、洗練」されたサウンドより、30〜40年代の「エグ味」「癖」の強いサウンドのほうが好みに合っているようだ。ただしこれは、モダン以前をあまり聴き込んでいない私の感想なので、正当性を主張するつもりはない。というか、これは私のジャズの聴き方における個性重視、ソロ中心主義の結果かもしれないし、それは当然いまcom-postで議論されている「ポストモダンジャズ論議」における「聴き方の変遷、変容」の問題とも深くつながってくるだろう。
福翔での打ち上げでは、小針さんが「なぜ皆さんは、モダンとそれ以前の断絶を強調するのか」という興味深い問題提起をされ、若手代表の八田さん、大御所村井さんらを交えた熱のこもった議論が展開された。小針さんの立場はジャズ史における連続性重視であるのに対し、私などは、やはりビバップはジャズの大きな変革であるというスタンスである。ただ、従来、当然の連続性を過小評価する傾向があったことは否めない。とはいえ、それには日本おけるジャズ受容の特殊性も考慮すべきじゃないかと私は小針さんに説明した。
つまり日米戦争のさなかに起こったビバップ革命の情報は、戦後日本で広く知れ渡るまで10年近くのタイムラグがあり、それを埋めるため、私たちの先輩、油井先生などはビバップの意義を強く印象つける必要があったのではないかという擁護論だ。だとすれば、そうした必要がなくなった現在、過小評価気味だった「ジャズ史の連続性」にスポットを当ててはいかがなものかという小針さんのご意見は、傾聴に値すると思った。
そうした話の流れで、小針さんにはビング・クロスビーの次に、バップ以前の大物、キング・オブ・スイング、ベニー・グッドマンの講演をお願いすることが決定。なんと、いーぐる連続講演ではまだ誰もグッドマンをやっていないのだ。こうした生産的話の流れはまことに気持ちが良い。嬉しいと言えば、com-postに「ハーレム五十七士」を連載中の林さんが、com-postの正式メンバーとなってくれることとなり、これも喜ばしい限りだ。