4月29日(水)

ユリイカ』のクリント・イーストウッド特集をパラパラ眺めていたら、面白い記述にぶつかった。蓮実重彦黒沢清の対談で、黒沢が、「イーストウッドはほとんどテストをしないで、最初に俳優がやったものをそのまま使う(中略)これはふつうに考えたら、なにが出てくるのかわからないわけで、むちゃくちゃ怖い事態なんですけれど、それをOKできるタフな強さがある。」と発言している。
これって、まさにジャズじゃないですか。もちろんイーストウッドのジャズ好きは有名で、だからパーカーを描いた映画『バード』では、レニー・ニーハウスにパーカーの実演をデジタル処理して現代のミュージシャンと共演させるなんて凝ったことをやっている。映画そのものは実物のパーカーを観たイーストウッドにしてはちょっとアマかったが、これはパーカー未亡人、チャン・リチャードソンが自分に都合よくストーリーを語った影響だろう。
それにしても蓮見、黒沢の対談は面白く、何より語られた映画を見てみたいと思わせる力は抜群。それは彼らの映画好きが尋常でないことの表れで、私たちもジャズについて書いたもので、読み手に「ジャズを聴きたい!」と思わせるようもっと努力しないといけないなあと実感した。
もうひとつこの特集には面白い記事があって、若手音楽評論家として頭角を現している大谷能生さんの「世界最強の老人の鼻歌」は、ジャズファン必読。私が『バード』に抱いていたナマヌルさを、見事に言い当てている。まさに同感。そう、この映画はイーストウッドのパーカーに対するリスペクトが裏目に出ちゃっているのだ。大谷さんの言うように、ロバート・ジョージ・ライズナーの名著『チャーリー・パーカーの伝説』(晶文社刊)の証言を生かした破天荒なパーカー像こそ、イーストウッドには撮ってほしかった。
そして同じく大谷さんの言う「マイルス・デイヴィスの自叙伝にある、バードを探してジャズ・クラブを巡り歩いて、見つからないので店の外に出たらいきなりパーカーが立っていた」といったエピソードは、私も、イーストウッドが監督するにぴったりのシーンだと思う。