11月7日(土)
37年ぶりの謎が解けた。1972年、私は『ディスクチャート』というロック喫茶をやっていた。そのときのエピソードはいろいろあるのだが、とりわけ鮮明に覚えているのが、山下達郎さんがコカコーラのコマーシャルソング(♪スカッとさわやか、コッカ・コーラ、というやつ)の練習を閉店後のディスクチャートでやっていたときのことである。
そのとき、めちゃくちゃ巧いギター奏者がサイドで演奏していたのだけど、それが今日レス・ポール特集をやってくれた徳武さんなのだ。人間の記憶と言うのは面白いもので、還暦を越えた私は、昨日の朝食の献立もおぼろげなのに、そのときの徳武さんのギターの切れの良さ、カッコ良さは今でも「具体的なサウンドとして」鮮明に頭に残っている。
聞く所によるとまだ学生なのに、このリズム感の良さ、フレージングの気持ち良さは一体何なんだろうと、深夜店を彼らのセッションに開放しつつ、店の棚を作っていた私は思ったものだった。
そして今日、徳武さんがレス・ポールの特集をやってくれた。その影には田中さん村井さんのご苦労があったのだけど、私にとってはほんとうに嬉しい講演だった。まず、レス・ポールという、名前だけは当然知っているが、ジャズ関係者の間ではあまり話題に登らないギタリストのことが、徳武さんの愛のこもった解説によって、かなり理解できたことである。
徳武さんは言う。昔、商店街のB.G.M.として聴いたのが最初だ。また、当時はよくラジオでかかっていた。その話を聞いたとき、正直?マークが頭に2個ほど過ぎったのだけど、徳武さんの選曲を聴いているうち、そうだ、そうだと思い出したのだった。
私がまだ子供の頃、家で彼ら(レス・ポールとメリー・フォード)の《バイア・コン・ディオス》のレコードがよくかかっていた。それをきっかけとして、当時の記憶が蘇り、そういえば、あのころラジオからソリッドなギターサウンドをバックにした女性ヴォーカルがよく聞こえてきたけれど、それってレス・ポールだったよね、と思いだしたのだ。
それにしても、レス・ポールの多重録音のワザには心底仰天した。1940年代というのだから当然マルチトラック・テープなぞあるわけもなく、なんとなんと、カッティングマシンで多重録音をしたという。当然ミスをすれば最初からやり直しだ。
しかし、その緊張感が良い演奏を生み出したのだというから、まさにジャズである。もちろんそれはたとえであって、レス・ポールのフレージングはあまりジャズ的ではないけれど、ある意味での「過剰性」はけっこうジャズマンの発想に近いと思った。
「過剰性」というのは、カッティングマシンの速度を調節した多重録音をしてまでオクターヴ上の、当時としては「異様な」サウンドを作り出そうとしたレス・ポールの、音楽家としての貪欲さだ。「やりすぎ」一歩手前といおうか、半歩踏み出してしまったというべきか、ジャズがまだビバップだった頃のレス・ポールの果敢な実験精神は、今になってみれば驚くべきものだ。
そしてディスクチャートで私が体験した、70年代当時聴いたこともない徳武さんのフレージングの切れの良さは、まさにレス・ポールのカッコよさだったのだ。あのころ「ギターキッズ」は一生懸命ヴェンチャーズをコピーしていたのだが、その大元まで辿るような熱心な研究家はまったくいなかった。それをまだ学生の徳武さんはやっていたのだから、これは凄い。
今日、レス・ポールの「前衛的」ギターサウンドとともに、37年前の徳武さんのギターのカッコよさの謎が解けた。そしてもちろん、現在の徳武さんの新しいCDに記録されたレス・ポール・サウンドの、現代的再解釈がめちゃくちゃカッコ良かったことは言うまでもない。