2月20日(土)

日本の男性ジャズヴォーカリスト、ナンバーワン、金丸正城さんはいーぐるの最も古い常連さんだった。金丸さんがまだ上智のジャズ研だった頃、都電通りに面した開店間もない古い木造のいーぐるに、金丸さんは足しげく通ってくれたのだ。もう40年以上も昔の話だが、驚いたことに金丸さんの風貌は当時のイメージそのままだ。お若い。もっともその頃は私の方がまったくジャズをわかっていなかったので、あまりジャズの話はしたことは無い。今回いーぐるの連続講演というオフィシャルな場で金丸さんのお話を聞けて、本当に嬉しかった。
ビリー・ホリディという超大物を捌く金丸さんの手際は、見事としか言いようが無い。本当のプロだと思った。奥がめちゃくちゃに深いのだ。彼女に関心はあるが「とっつきの悪さ」から手をこまねいており、この際聴いてみようというホリディ初心者にわかりやすく彼女の魅力を解説する一方で、私のようなホリディは好きだがそれほど詳しくないファンには、「眼からウロコ」的含蓄に満ちたヒントをそれこそ山のように盛り込んでくれる。ジャズにたとえれば、ビル・エヴァンスのように、ジャズ初心者からジャズ通までをうならせる懐の深さが金丸さんの解説にはあるのである。
ビリー・ホリディは誰でもがその名を知っているけれど、彼女の歌の本当の聴き所を掴んでいるファンは、おそらくそれほどいないのではなかろうか。もちろん私自身も今回の金丸さんの、実にていねいかつ「深い」解説で、ホリディのことを少なからず誤解していたことを知らしめられたのだ。
それは有名な「奇妙な果実」についての評価で、金丸さんはこの歌の持つ微妙な意味合いと時代背景をていねいに説明し、ホリディが他の歌手とは違うスタンスで歌っていることを、音源を示しつつ解説してくれた。確かにホリディの歌い方は違う。クールなのだ。これは大発見。
それを裏付けるように思えたのが、映像だった。彼女の「眼線」が実にユニークなのである。たまたまホリディと同じ画面に登場するサッチモと比べると、その違いは歴然としている。つまり、サッチモは、「あの時代」の「黒人芸人」にとって似つかわしい振る舞いを踏襲し、あるいは、芸能人一般の常識に従い、ファン、聴衆に「媚る」姿勢にごく近いところに(白人聴衆層を安心させるため)自らの存在を注意深く置いている。「媚びる」という言い方が言いすぎだとしたら、ミュージシャンとして当然の「自己アピール」を行う目付き、とい言い直しても良い。
それと比べ、ホリディの中空を漂うような視線はまったく異質に見えたのだ。それはミンガス、ローチらの「挑戦的」な、逆の意味でわかりやすい目付きとも異なっていた。フト思い出されたのが数少ないパーカーの動く映像である。動きがあると「目付き」の持つ意味はより具体的に伝わってくるものだが、それが似ているのである。ただ、それは、「媚び」「自己アピール」「挑戦」といったわかりやすい言葉に置き換えることがむずかしい。
ただ言えることは、これは金丸さんがホリディについて解説したことなのだが「自分自身の内側に向かう視線」なのである。つまり、ホリディにとって聴衆の存在よりも自己の内面の方が重要なのだ。パーカーがそれと同じだとは言わないれど、どちらかというとそれに近い精神状態を表す目付きのように思える。少なくとも両者は共に“クール”なのである。難しい言い方をすれば、「自己を相対化」しているように見える目線、と言っても良いだろう。
パーカーはさておき、この件については金丸さんが、ブルース歌手一般の聴衆との関係性という言い方で実に明解に解説してくれた。つまり、「ブルースの皇后」と呼ばれたベッシー・スミスはじめ、ブルース歌手は歌われる出来事、状況(つらい労働とか、失恋といった)を、黒人聴衆たちと(仮想的にであれ)共有するスタンスに身を置いて歌う。それに対し、ホリディはそうした意味での「感情移入」は行わず、あくまで「自分の歌」として歌っている、というのである。
そのことは、前述した「奇妙な果実」をJosh Whiteが歌ったバージョンとホリディを聴き比べ、実に納得させられた。彼の歌はこの歌の文脈に添った感情移入を行っており、ある意味「わかりやすい」。それに比べるとホリディの歌は、確かにそうした状況(黒人のリンチ)に対して直接感情移入しているというわけではない。とは言え、一部の誤解のように彼女がこの歌の意味合いを理解していなかったというような話でもない。結局は、ホリディはこの、歌われた時代背景(1939年)を考えれば微妙な歌を、「自分の歌」として歌っているということなのだろう。付け加えれば、「自分の歌」と言っても、ふつうの意味で歌に「感情を込め」ているというわけでもないのである。それが“クール”な感覚に繋がるのだが、この辺りの機微を私は感じ取れていなかった。「誤解」とはそういうことである。
こうした「深い」話は今まで聞いたことがなかった。それだけでも今回の講演はありがたかったのだが、技術レベルでもホリディの歌の特徴を、ミルドレッド・ベイリー、エラ・フィッツジェラルドといった他のヴォーカリストとの比較でていねいに解説され、そうか、そう言われればそうだよねと深く納得したのであった。それは音程の確かさであり、リズム感の巧みさであり、歌の解釈の斬新さであり、つまり、ホリディの歌の表現の深さは、そうした具体的歌唱技術によって裏付けられているという発見である。
私はホリディを、よく知られた「物語を通して聴く」ことの危険性を自著でも述べたが、金丸さんほど深く彼女の歌を理解していたわけではなかった。自分なりにホリディの歌の魅力を捉えてはいたつもりだが、それは山登りにたとえれば五合目までも届いていなかったように思う。優れた解説者によって拓かれるジャズの魅力は、それこそ際限が無いように思える。ジャズファンの皆さん、ジャズはあなたが思っている以上に、感じている以上に、奥深く面白い音楽なのですよ。