【星野さんの2回目の「コメント」に対するご返事】

おっしゃるとおり、音楽の価値に普遍性がないことは「世間の常識」ではないかもしれません。しかし、星野さんは「音楽研究家」と肩書きされた名刺をお渡しくだされましたよね。ですから私は星野さんを専門の音楽研究者として扱い、世間ではさておき、「音楽研究者の間では」こうした事実は大前提となっていると申し上げているのです。

最近は忙しくてめったに顔を出せないのですが、私は「日本ポピュラー音楽学界」の会員でもあります。そうした学会での研究発表で「音楽には客観的で普遍的な永遠不滅の価値がある」などと言ったら、多くの研究者たちが興味をもってその根拠を尋ねてくることでしょう。私もぜひ聞いてみたいですね。

星野さんはさまざまな書物をお読みになっているようですが、たまたまでしょうが、民族音楽研究の基礎文献である、小泉文夫氏の著作はお読みになっておられないようです。氏の対談集『音の中の文化』(青土社刊)から、引用しておきます。


【小泉】 芸術に国境は無い、とよく言われます。が、たしかにその高みにあるものは文化の背景がそれぞれに違ってはいても、互いに理解し合うことができるでしょう。しかし、音の感じ方一つにしても、民族による違いがあって、ある民族にとっては意味のある音でも、他の民族には内容も理解できないし、なんの意味も持たない雑音でしかないことがあり得るわけですね。動作も同じで、私たち日本人の意思表示のしかたは、首を縦に振れば“イエス”、横に振ると“ノー”と、決まっているのですが、ブルガリアではこれがまるで逆になってしまいます。(同著、p106から引用)


これを読めば、音楽に普遍性などないことがご理解いただけると思うのですが・・・