6月25日(土)

今日は、今年の2月から始まった中山康樹さんによるシリーズ企画『ジャズ・ヒップホップ学習会』の最終回。今まで村井康司さん、大谷能生さん、原雅明さんなど、それぞれジャズ以外の音楽分野にも詳しいゲストの方々を迎え、ジャズとヒップホップとの関わりについて多角的に検討してきた。

そして今回5回目は私がゲストである。しかし、この「ゲスト」の意味は、前出のお三方とはいささか異なる。私の役割は言わばモルモットなのだ。全身が40年を超えるジャズ喫茶稼業でジャズ漬けになった人間が、果たして5回の「学習」でどれほど「ジャズとヒップホップとの関わり」について「体感」出来たかを「生体実験」してみようというわけなのである。

結論から言えば、「アタマ」ではある程度の理解を示したけれど、「カラダ」の実感は、まだ「ちょっと違うなあ」というのが正直なところ。しかしこれは中山さんの論旨が間違っているということではない。もちろん「正しい」というようなことも、今の私には言う能力が無い。スキーを始めて5回目でコーチの指導法をどうこう言えないのと同じことだ。

「アタマ」の理解からお話しよう。まず、この試みは「ジャズ史の見直し」ということが根底にある。定説化されたジャズ史を再検討することで何が見えてくるか、それが大本にある。そういう意味では、これは大いに斬新な試みであり、全面的に支持したい。

偶然だが(いや必然なのかもしれないが)、村井康司さんは『JaZZ JAPAN』に『ジャズ史で学ぶ世界の不思議』を連載しており、中山さんと同じように『いーぐる』で連続講演を行っているが、その内容はまさにジャズ史の見直しなのだ。現在発売中の『JaZZ JAPAN』では、キャブ・キャロウエイに代表される「ジャイヴ・ミュージック」の紹介を通して、現在のヒップホップにも通じる音楽史の「隠れた回路」を村井さんの記事は明らかにしている。

そして同じ号の中山さんのコラム『癒されないジャズ考現学』では、いわゆる「ジャズ正史」の大御所、油井先生の業績に最大限の敬意を払いつつ、その時代的制約(オーネットの『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』にもマイルスの『オン・ザ・コーナー』にも触れていない)による限界を指摘している。まさにこれは同時多発的現象だ。そしてその音源発表の場として『いーぐる』が携っているということは、実に喜ばしいことである。

では「カラダ」はどうか。まあ、なにごとも回数を重ねなければ見えてこないのはアタリマエのことで、まだ、今の私にヒップホップとジャズとかいうこと以前に、ヒップホップ自体の「概念」(というのも小難しい言い方だが)自体が良く掴めていない。だから、その「よくわからないもの」と(一応はわかっているつもりである)ジャズの関係も、よくわからないとしか言いようがない。

その上で言えば、(わかる、わからないは別にして)ヒップホップ自体を忌み嫌うというようなことは無い。当然のように、面白いものとあまりピンと来ないものがあるのだが、それはジャズでも同じこと。しかし、面白いと思ったのは、私のジャズの好みと同じで、リズムのノリが良く、勢いのあるもの(Public Enemyとか)が好きで、凝った構成というのだろうか、(こちらの勝手な解釈なのだが)アタマデッカチ風なのもは、あまり面白いとは思えなかった。

とは言えこれも、ジャズ初心者がレニ・トリスターノを聴いたときの感想のようでもあり、「聴き込む」ことによって変わる可能性はあると思う。そういう意味では、この試みはもう少し続けてみるべきで、中山さんにも、また、もう予定が決まっている(8月27日)原さんとAZZURROさんによる講演にも大いに期待している。

なお、今回の講演の記録は、「いっき」さんがたいへん詳しい報告をブログに掲載されていいるので、ぜひそちらも参照していただきたい。