9月3日(土)

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栗本斉さんと柳樂光隆さんによる「アルゼンチン・ジャズの真実」、楽しく聴くことができた。ただ、このところ「ジャズ」からかなり距離のある音楽の特集が続いたせいか、「アルゼンチン・ジャズ」といっても、何の違和感もなかったことがちょっと意外ではあった。無意識のうちに、何か私がまだ知らない、それこそヒップホップとかワールドミュージックのような未知の音楽が聴けるのかと期待したが、ほとんどがすでに耳なじみのある音ではあった。

また、お二方の解説では、あえてあまりジャズに詳しくないお客様のことをおもんぱかってのことではあるのだろうが、再三「ジャズとはいえないかもしれないが」とか、「クラシック的」あるいは「ロック風」という形容が出てきたが、長年さまざまなジャズを聴いて来た人間からすれば、「こんなの当然ジャズですよ」というものばかりであった。

つまり、例えば、ECMあたりの「ジャズ」の中には、今日聴かせていただいたトラックより、よっぽど「非ジャズ的」なのものがたくさんあり、そうしたものも私たち「ジャズ喫茶族」は、すでに1970年代から耳にしている。つまり「慣れて」いるのである。

とは言え、何の発見もなかったというわけではない。栗本さんはさかんに「これだけではアルゼンチン・ジャズと言ってもまとまったイメージが得られないのではないかと思いますが」という意味の謙遜されていたけれど、今まで「アルゼンチン・ジャズ」というくくりでまとめて音源を聴いたことなどないので、改めて聴かせていただくと、それなりにアルゼンチンの音楽のテイストみたいなものは、ほんのりとではあるけれど見えてきたのだ。

と言ってもそれは「ジャズ」にとって特別なのものではなく、それこそ私たちが「北欧ジャズ」と言った場合、それなりのイメージが沸いてくるし、それはそれで北欧の風土、文化に根差しており、まったく無根拠なものではない。そういったレベルでの「アルゼンチン・ジャズ」のイメージは充分に喚起された。しかし、それはある程度幅広くジャズを聴いて来たファンなら「すでに見慣れた光景」でもあって、「オォ、こんなところに私の知らない凄いジャズがあったんだ」というようなものではまったくなかった。