4月14日(土)

小針俊郎さんによる『オリジナルで聴くジャズ・スタンダード』、実に勉強になった。それは小針さんの講演には「視点」があるからだ。単に、よく知られたスタンダード・ナンバーの初演に近いものを聴いて楽しむだけでなく、ミュージカルや映画の主題歌であった「ポピュラー・チューン」が、何ゆえジャズマンに取り上げられるようになったのか、また、どのように変化してきたのか、という明確な「問題意識」がお話を興味深いものにしている。

余談ながら、ご存知のように小針さんは長らくFM畑で活躍されてこられた方だが、それは制作者としてであって、アナウンサーではないはずなのに、実に話し方がうまいのだ。滑らかな語り口と明確な論理性、この二つが相まって、聞き手を心地よく小針ワールドへと誘導する。

話を戻すと、小針さんは「オリジナルに近い曲」とジャズの「距離感」を問題にする。確かに、私もはじめて聴く初演に近い《朝日のように爽やかに》は、想像するような「爽やかさ」のカケラもない、むしろ靄のかかったような少々陰鬱なオペラ調の歌唱で、次に聴いたご存知ロリンズ版《ソフトリー〜》とはえらい違い。この「距離感」が何ゆえに生じたのかという問題設定は重要だ。

小針さんは、それはジャズマンが自分なりに「原曲」に対するひとつの「補助線」を引く作業だと解説されたが、まったくその通りで、その作業こそが個々のジャズマンのオリジナリティを生み出す原動力となっているのだと思う。

もう一つの問題意識は、何ゆえ1920年代から30年代にかけての「ポピュラー・ナンバー」が多くのジャズマンに取り上げられ、しかもその期間が1950年代から60年代に集中しているのかという、これも興味深い疑問である。

小針さんのお話によれば、それはこの時代、時期における、ポピュラー・ナンバーとジャズとの微妙な距離感、近さと遠さの絶妙な関係が理由ではないかという。確かにそれは言えると思う。1970年代以降のジャズは、どちらかというとオリジナル中心に動いている。

小針さんには次回も講演をお願いすることが決まり、内容は4〜5回の連続で超大物、デューク・エリントンの特集。第1回は6月16日に決定、ご期待ください。なお、エリントン特集は過去にも林建紀さんにお願いしたことがあるが、エリントンぐらいの大物ともなるとさまざまな視点がありうるので、それらを比較してみるのも大事だと思う。