4月27日(土)

冒頭、昭和歌謡もビックリのレトロ調演歌もどきで一気に聴き手の注意を引きつける。思わず「エッ、これ何?」と耳をそばだてて聴けば、歌詞は未知のことば。それにしてもバックの旋律の節回しといい、リズムといい、私たち団塊世代が散々聞いた、これは「戦後日本の歌」。

2曲目も、叙情たっぷりに歌い上げる「ティジータ」と呼ばれるらしいエチオピアの歌は、その余韻の引きかた、途中に挿入された「語り」まで含め、「日本」だ。ともに1970年代のエチオピア歌謡。しかし、この「似具合」は「日本の影響」というわけでもないという。フシギ。3曲目、女性歌手が登場、Bezuneshe Bekele。声の張り上げかたは、こちらは日本の民謡、あるいは音頭のよう。

荻原さんの講演はいつも説明がわかりやすく、しかもそれが具体的な「音」で実証される。しかも選曲が良い(もっともこの件は、私と音楽の趣味が似ているからかもしれないのだが・・・)。だから期待を裏切らない。『エチオピアン・グルーヴ!』〜世界に拡散するエチオピア音楽という今回の講演テーマ、私なりにだけど、実に良くわかった。

1、 確かに日本の歌謡曲、演歌に似ているが、細かく聴けば、当たり前だけどやはり違う。

2、 また、それが日本の影響ではないということが、「世界音楽」の面白さを私に実感させてくれた。この件は講演終了後の質疑応答における、音楽評論家、真保みゆきさんへの荻原さんの回答「いわゆる“4、7抜きメロディ”はエチオピア正教会の教会音楽の影響がある」という説明で納得。

3、 冒頭の「レトロ演歌」から後半の「ボストン、メルボルン、パリ、ジュネーヴ」の「ディアスポラ組&非エチオピア人」の最新アルバムまで、ハッキリと音楽的テイストの一貫性が聴き取れた。

4、 そのテイストの特徴を個人的な理解の範囲で言うと、良い意味での泥臭さの魅力と、それぞれが個性的な男女歌手たちの声の力強さにあるのでは・・・と感じました。気取らない良さっていうのでしょうか。そして、こういう感じ、私は好きです。

5、 こうした音楽は「あるようでない」。こうした音楽が成立した背景として、エチオピアの特殊事情、アフリカにおける数少ない西欧の植民地化を逃れてきた国ということがあるのかもしれないと思いました。

6、 それにしても「アフリカ」は広い。今までホンの少しですが知っていた、セネガル、マリ、南ア、ナイジェリア辺りの音楽とはまったく違う。

他にも、例のラスタファリ運動の概要など、「ためになる豆知識」が満載。「聴いて得する」講演でもありました。音源はみんな良かったのですが、特に後半のChecheho (Aster Aweke)2010、Fano (Yeshi Demelash)2012、Addis Ababa Bete (Dereb The Ambassadar)2010、Aykedashem Lebe (Ukandanz)2012あたりの声の力・魅力、個性に惹かれました。

また、エチオピアの音楽、ちょっと前「いーぐる掲示板」を賑わした「白黒論議」の文脈に当てはめると、まさにこげ茶色の魅力。それも油絵の具でも透明水彩でもないグワッシュ不透明水彩のダークな感触が聴くほどに心に染み入ります。

最後に、「私なりの理解」ですが、こうしたエチオピア音楽が現在世界的に幅広く受け入れられつつある理由として、エチオピアの特殊性、つまりアメリカ・西欧音楽の影響を限定的にしか受けなかったことがあるように思えます。つまり「アメリカン・ポップスの影響」や「西欧的洗練」の罠をうまく逃れて、現代音楽が忘れつつある「素の魅力」というか、「生身の人間の存在感」がリアルに感じられるのです。

荻原さんの講演は、終わるといつも「次」が聞きたくなります。いろいろとお忙しいようですが、ぜひ次回の企画をお考えください。