6月8日(土)

関口義人さんの新刊『ヒップホップ〜黒い断層と21世紀』(青弓社刊)の刊行記念講演、大盛況のうち終了。ゲストの原雅明さんとの対談形式で進められた催しは、ヒップホップの発端から移民たちの表現としてのラップまで、多くの音源を提示することによってヒップホップの全体像を示そうとするもの。

もちろん限られた時間なので全容というわけには行かないが、関口さんの解釈によるヒップホップとはいかなるものかは明確に伝わってきた。このジャンルに詳しくないのであるいは誤解、カン違いもあるかと思うが、私なりの理解を箇条書きにしてみよう。

まず、一般にヒップホップといえば黒人音楽というイメージが強いが、実際は(奴隷を祖とする)アフリカン・アメリカンだけでなく、(祖先は奴隷であったかもしれないが「移民」でもある)カリビアン・アメリカンの関与も無視できないという事実の指摘。これは私にとっては眼からウロコだった。ジャズ、あるいはブルースがその発端において黒人音楽であることは間違いないにしろ、ヒップホップは時代背景の違いもあって、「移民」の存在がクローズアップされるということなのだろう。

また、ラップの内容に明らかなように、この音楽がある種の反抗というか批判精神に裏打ちされたものではあるけれど、その内実は「反政府」あるいは「反権力」といった、古典的左翼の文脈に収まるものではなく、ギャングの抗争に象徴されるもっと卑近な「隣人同士」の利害対立、あるいは移民たちの軋轢がエネルギー源であるという事実。

私にとっては(カリビアン・アメリカンである)「移民」そして「ラップ」というキーワードがヒップホップを「世界音楽」たらしめたという関口さんの論旨は非常に説得力に富むものだった。付け加えれば、ジャズはもちろんロックに比べても「技術の壁」が低いヒップホップが、結果として「ストリートの実態」をより如実に体現する音楽であるという理解が得られたことは大きな収穫。

ただ、関口さんはヒップホップにおける「ことば」の問題を大きくとりあげていたが、私の耳にはむしろ今回の音源は(音楽的に)親しみやすいというか「取っ付き」の良いものに聴こえた。具体的に言えば、今まで行われた他の方々のヒップホップ講演の際に提示された音源に比べ、相対的に旋律がはっきり聞き取れ、またリズムパターンも定型的と言ってはいけないのかもしれないが「わかりやすい」ものが多く、たとえばマッドリブの一部のトラックのような「むずかしい」ものはあまり無かった。要するに「ポップ」なのである。
最後の質疑応答で甲府からわざわざ駆けつけてくれたいっきさんが、「反抗」といっても単に時代の流行音楽を利用しただけなのではないか、つまりロックやパンクとどう違うのかという疑問を提示したが、関口さんは、あるいはそうかもしれないが「ラップ」の存在はよりシンプルに(反抗の)メッセージを伝えることが出来るメリットがあると指摘し、いっきさんも納得したようだった。

個人的感想として、白人音楽であるロックやパンクは「アンチ」の対象が時の政治権力であったり世間の常識であったりとある意味で一般的であり、また反抗の姿勢も比較的ストレートであるのに対し、ヒップホップはそれこそ日常の瑣末な出来事や狭い範囲の移民同士のいさかいのように個別的であり、また、ブラック・ミュージックならではの「屈折した表現」であるラップに特徴があるように思った。

余談ながら、初期のヒップホップにおいては(カリビアン・ミュージックである)レゲエも取り入れられようとしたが、結局「受け」が悪かったという事実は、非常に興味深い。個人的にレゲエも好きな私はいろいろと思うところがあった。レゲエの比較的ゆったりとしたノリは、ニューヨークの過酷な状況にはフィットしなかったのだろうか。

(エラそうに)総括すれば、今回の関口さんの講演は、わかりやすい音源で聴き手を楽しませつつ、その主張において、かなり深遠というか、広い射程を持ったヒップホップ論であると思った。また、最後の打ち上げに若いファンの方々が大勢参加してくれ、世代間の交流が深まったことは実に有意義かつ嬉しいことだった。

付け加えれば、関口さんの著書『ヒップホップ〜黒い断層と21世紀』(青弓社刊)は、今後ヒップホップについて語るとき、基礎資料として必読のものとなるに違いない。