6月29日(土)

いまやブラジル音楽界の重鎮、中原仁さんだが、私にとって中原さんは生粋のジャズ人間。中原さんがまだ山下洋輔さんの事務所「ジャムライス」にいた頃から、仁さんは「いーぐる」には出入りされていた。今日中原さんにその話しをしたら「いや、もっと前、早稲田の学生の頃からいーぐるには顔を出していました」とのこと。となるともう40年近くも昔の話になる。

昔話はさておき、今日の中原さんの講演「70年代のジャズと黒人音楽とブラジル音楽のトライアングル」は大入り満員でお客様の反響も上々、そして私にとっても実に楽しくかつ勉強になる内容だった。

まず、最初のコーナーではウェイン・ショーター懐かしの話題作『ネイティヴ・ダンサー』に始まるジャズとブラジル音楽の馴れ初め。サラ・ヴォーンの『アイ・ラヴ・ブラジル』まで、すべてではないけれど私も70年代当時耳にしたおなじみのサウンド。ただ、こうして通して聴くと、改めて「ブラジル色」というものが私にも何とはなしに見えてくる。

というのも、当時のクロスオーヴァー / フュージョンにはそれこそ実に多様な音楽ジャンルとジャズの融合作品があり、中原さんのようにブラジルを強く意識していなかった私には、「どのあたりがブラジル音楽の特徴なのか」ということが良くわかっていなかった。そういう点で懐かしいだけでなく、過去の音楽体験の再認識という大きな成果があったのだ。

そして後半では、ブラジル音楽にアメリカ黒人音楽が及ぼした影響。つまり、ブラジル人が自分たちの中に流れるアフリカの血を意識しはじめ、それがファンクなどのアメリカン・ブラック・ミュージック経由でブラジル音楽にも現れたということらしい。とりわけ「黒いブラジル」と説明された辺りはまさに私好みの音。黒人音楽特有の小気味よいリズムに乗ったカエターノ・ヴェローソやらジルベルト・ジルの個性的な声の魅力はたまらない。

打ち上げの席で中原さんもこの辺りの黒っぽい音が好きでブラジルにはまったと聞いて、実に納得。というのも、当時の私にとってのブラジル音楽といえば、いささか軽めに聴こえたボサノヴァぐらいなもので(今ではボサノヴァのほんとうの魅力もわかってきましたが・・・)、今日の講演で紹介されたような「濃い音」にその頃出会っていれば、私の「ブラジル音楽観」もずいぶんと違ったものとなっていたように思う。

余談ながら、中原さんによれば、80年代にイギリスのDJ経由で紹介されたブラジルものには、この「黒いブラジル」的なものがあまりなかったとのこと。そのあたりも、何とはなしにブラジル音楽に対する関心が、私にとってはだけれども、わきにくかった理由のような気がする。

まあ、好きになるのに時間は関係なく、今からでも「好みの音楽」が一つ増えたことは大いに中原さんに感謝しなければなるまい。というわけで、中原さんによる講演会は大成功、今後も中原さんならではの深いジャズ体験を活かしたブラジル音楽周辺の講演を連続してお願いすることを約束し、楽しい一日が終わったのでした。中原さん、ありがとうございました! 今後もよろしく。