7月6日(土)

しかし素晴らしかった。小針さんによる『激情を歌う〜フランク・シナトラビリー・ホリデイ』は、いーぐる連続講演史上に記録されるべき名講演と言ってよい。これは個人的感想ではなく、音楽評論家にしてcom-post編集長である村井康司さんはじめ、多くの参加者のみなさまがたの声である。

お客様の入りも大盛況、解説良し、もちろん音良し、そしてなによりも内容が深いのである。わかりやすい解説付きで音楽を楽しめ、しかもジャズ、いや芸術というものの根幹に迫る深い含蓄のある講演など、めったにあるものではない。しかもそれが「何気に」生まれちゃうところがいかにもジャズ的。

そもそも前回の講演の後の酒席で、小針さんが「シナトラはホリディの影響を受けている」そして「彼ら二人は似ている」という話を聞いて、正直私は「?」っと思った。二人とも大好きな歌手だけど、まず両者を結びつけて考えたことなど一度も無かったからだ。

これがふつうのジャズファンの発言なら、「ハテナ」と思いつつもスルーしちゃっただろうが、相手は小針さんである。無根拠にそんなこと言うはずが無い。しかしそういう話を「音を聴かず」にしてもあまり意味は無い。幸い私たちには「いーぐる」という場があるので、さっそく講演をお願いしたという次第。

疑問は冒頭《ボディ・アンド・ソウル》をホリディ、シナトラの順に続けて聴いた瞬間に氷解した。「あ、そうか、小針さんの言いたかった事はこれだったんだ!」とわかっちゃったのである。

ポピュラーな人気を誇るイタリア系白人シンガーと、ジャズファンの間でこそ高い評価を誇りこそすれ、必ずしもポピュラーとは言い難い黒人女性ジャズ・ヴォーカリストという大きな「壁」を乗り越え、二人の歌の表現のあり方は同型なのだ。

それはもうジャズ・ヴォーカリストとポピュラー・シンガーの違いとかいった表層的レベルを超えたところにおける「共通性」なのである。「似ている」と言っても、たとえば同じパウエル派であるケニー・ドリューバリー・ハリスのフレージングが似ているといった話ではない。

そうではなくて、歌の表現のあり方が似ているのだ。具体的に言えば、どちらもあまりフレーズを崩さず、比較的原曲に忠実に歌いつつ、しっかりとその中に彼らならではの情感を込めている。それも表面的にはあまりオオゲサではないのだけど、ちゃんと聴けば実に深い情動の動きが感じられるのだ。小針さんが「激情を歌う〜」と歌ったのもうべなるかな。

なんて言うんだろう、「優れたアートは、究極において共通するものがある」ということを実感した。まあ、何が「アート」なのかという話しはたいへん難しく、「実感」の中身を厳密に説明するにはそれだけで大論文になってしまいそうなので、ここでは、私が最近なんとなく思い描いていたことの答えのきっかけが見えた、というぐらいにしておきたい。

話しを講演に戻せば、同じ曲を二人の歌で聴き比べるというたいへんシンプルな構成が実に説得力を持っていたことは特筆しておきたい。もちろん、要所要所で語られる両者のエピソード(二人が同い年だとか、ホリディ臨終の病床をシナトラが訪れたとか)を含めた小針さんのわかりやすい解説が、私を含めた参加者の理解を大きく助けたことは言うまでもない。

最後に、両者の立場の違いを示す映像が大きな効果を持っていた。アメリカン・エンターテインメントの王者としてのシナトラを象徴するカラー映像と、それと対照的な(アングラ)世界に属するジャズマンたちに囲まれたホリディのモノクロ画面が、今回の講演のキモである「差異と同一性」のフシギを端的に示していたのである。

それにしても、ベン・ウエブスター、コールマン・ホーキンスレスター・ヤングといった「存在自体がジャズ」のような巨人たちを従え、楽しげに歌いつつ彼らの演奏に聴き入るホリディのなんとも言えない表情を見ていたとき、私は「ジャズファンの幸せ」を心から実感したのである。

あまりにも受けたものが大きく、かつ深いので、かなり舌足らずな文章になっているが、それは私の日ごろの関心事(芸術とは何か?!)の答えが、思わぬ形で具現化していたから、ということでご容赦いただきたい。小針さん、ありがとうございました!