7月27日(土)

杉原志啓さんによる「日本のポピュラー音楽受容史」第2回目、これは団塊オヤジの私が完全に知っている時代。ちなみに杉原さんは私より4歳年下で、1960年代における4歳の年齢差はけっこう大きい。というのも、杉原さんも言っていたがこの時代は3年もすれば新しいスター、ブームが到来し、現在のように何年も昔のスタイル、ジャンルが並立的に混在し、聴かれているということは無かったからだ。

また、今と違って、ファン層の細分化が進んでおらず、大多数の青少年がほとんどの音楽ジャンルを流行現象としてうっすらとではあれ、知っていた。だから冒頭の映像、ヴェンチャーズなど、当然私は耳タコ。ただ、それは「うっすらと流行現象として」知っていたに過ぎず、杉原さんの実証的解説で、改めて「ヴェンチャーズとは何だったのか」を教えていただいた。

まず私たちの世代の一般的ヴェンチャーズ理解は「マニアックな音楽ファンにとってはちょっとハズカシイ存在」であり、また、来日回数の多さもあって「日本だけの流行現象」じゃないのか、といったあたりか。それに対し、杉原さんは具体的なアルバム売り上げ枚数を挙げ、ヴェンチャーズが全米的に安定した人気を得ていたことや、如何に多くのミュージシャンに影響を与えたかをインタビュー証言で明らかにしてくれた。やはり学者は凄い。

そしてすべての原点としてビートルズの映像を紹介。今では理解できない「世界的流行現象としてのビートルズ像」を明確に提示してくれた。私自身もラジオから流れ出るビートルズの歌声に一瞬にして魅入られた鮮烈な体験があって、まさに納得。ただ、ナマで体験した「来日ビートルズ」はいまいち盛り上がりに欠けており(騒ぎを恐れ、1階に客を入れない演出がマイナス要因のひとつでは・・・)、内心「ビートルズはアルバムで聴いた方がいい」と今でも思っている。

余談だが、たとえ「口パク」(後でわかった)であったとしても、後楽園球場(今の東京ドーム)におけるグランド・ファンク・レイルロードの方が途中からの突然の嵐にもかかわらず、聴衆の興奮度は高かった(何しろ球場に入れない客が外から投石するほど)。それはさておき、エレキ歌謡編として紹介された加山雄三の映像、いまさらながら彼の人気の理由がわかる。曲も良く歌もうまいし、その存在自体が当時としては斬新。

続くグループサウンズ時代、これも当然同時代ながら、ちょうど「いーぐる」を開店した時期と重なっており、ジャズに接する時間のほうが長く、正直このジャンルへの関心は薄かった。例外として、まだ人気の出る前のゴールデン・カップス本牧の「ゴールデン・カップ」で見ており、彼らだけは例外的に「ホンモノ感」のあるグループだと思った(ちなみに、彼らのグループ名の命名者TBSディレクター高樋洋子さんには、当時TBSでバイトをしていた友人日野原幼紀を通じ、ずいぶんお世話になったものだ)。

というのも、その頃霞町(今の西麻布)あたりに出現し始めた薄暗い「大使館」やら「スピード」「GT」といった「ディスコ」で聴くR&Bに比べ、当時の日本のバンドがいかにもダサく、例外的にデ・スーナーズ(当時住んでいた近所にあった加山雄三経営「パシフィックホテル茅ヶ崎」に出演)など、フィリピン・バンドがグルーヴ感のあるリズムを提供していた。そんな中、混血ながらいい音を出す日本バンドが出来たと聞いて、後にポニー・キャニオンからヴァージン・レコードに移った高校の同級生、ハリー金子らとワザワザ本牧まで出向いたというわけ。

だから私の記憶の中のゴールデン・カップスは、当時としては圧倒的だったルイズルイス加部のベースラインとマモル・マヌーの、まさに日本人離れした小気味よいリズム感に集約され、映像で見る歌謡曲調《長い髪の少女》はまったく別物。とは言え、杉原さんの説明を待つまでも無く、人気が出たのはそっち方面で、つまりこれが日本におけるポピュラー音楽受容の典型だろう。

ちなみに私はそのころ赤坂ムゲンでアイケッツを伴ったアイク・アンド・ティナ・ターナーやら、アトランティック・オールスターズ(と言ってもせいぜい3管ぐらいだったと記憶しているが)を伴ったサム・アンド・デイブの初来日公演を見ており、ハッキリ「ホンモノは違う」と思ったものだった。日本の洋楽ファンの「ホンモノ信仰」は、こういうところに原点があるのだろう。

ところで、今回の個人的収穫はキャロル。もちろん知ってはいたが、彼らが登場する70年代は完全にジャズ喫茶オヤジに成り切っており、あまり彼らに関心は持たなかった。だが、今回初めて観た解散コンサートの映像は、ようやく日本にもホンモノ感のあるバンドが出てきたと思わせるに充分。もしジャズ喫茶やってなかったら永ちゃんファンになっていたかも・・・

面白いことに、杉原さんも彼らを高く評価しており、たとえば《バラが咲いた》で有名なマイク真木などの生活感を欠いたフォーク路線より、キャロルの醸し出すリアルな感触に好感を持っていたようだ。これには私も同感。

今回は個人的思い出を語りすぎたようだが、精密な論証に裏打ちされた杉原さんの解説を聞き、当時の思い込みや違和感などの理由がかなり明確になった。やはり専門家は凄い。次回以降の展開が大いに楽しみ。というのも、1970年代以降は完全にジャズ路線を突っ走っていた(商売だから当然なのだが)ので、名前は知っていてもその実態を知らないグループ、歌手が大勢出現する。みなさまもぜひ「あの時代」を振り返ってみてはいかがでしょう。