10月5日(土)

蓄音機、懐かしいことばの響きだ。亡くなった祖父がおもむろにケースから重く硬いレコードを取り出し、ぜんまいを巻き、針を差込むという、今から思えば儀式ばった一連の作業の末、なにやら荘重なクラシックの響きが狭い室内に鳴り渡る。祖母、母らがかしこまりこそせずとも、若干ふだんとは違った表情で音に聴き入る。

池上さんの「蓄音機でモダン・ジャズを楽しむ会」は、そうした忘れ去った子供の頃の記憶を蘇らしてくれた。それと同時に、「音楽を聴く」ことが半世紀ほどの間にずいぶんと違ったものになってしまったことを思い知らされた。

四半世紀ほど昔にCDが誕生して以来、今ではアナログ盤LPを聴く行為を「儀式的」とみなす風潮もあるけれど、SPの操作は、それ以上に「たいへん」だ。しかし、池上さんはこうした一連の作業を実に楽しそうに行う。

聞くところによると、1回ごとに取り替える鉄針の値段はおよそ20円ほどという。そして使い終わった針には、うっすらと黒い粉がこびりついているそうだ。SP盤は磨り減る。これは凄いことだ。イヤでも「音楽を聴く」という行為に集中せざるを得ない。

それに引き換えCDを「ながら聴き」する私。いや、私などはまだまだ「アナログ人間」な方で、若い方々はもっともっと違った「音楽体験」をしているようだ。当然音楽の意味も変質するだろう。言うまでもないが、どちらがいいということではないし、また、人間の体験を後戻りさせることは出来ない。

それにしても、電気的増幅装置を通さないパーカーの音色は独特のものだ。また、いまさらながら世に名高いブルーノート1500番台冒頭の演奏が、当初はSPで発売されていたことを実感させられた。

話は変るが、「いーぐる連続講演」は終了後講演者を囲み打ち上げを行うが、これが思わぬ「出会い」を生む。池上さんとは大昔の『ジャズライフ』時代からの付き合いで、今でも河出書房新社の『コルトレーン特集』ではたいへんにお世話になった。その池上さんに「どうして蓄音機」と尋ねてみれば、パーカー・ファンの熱が嵩じてとのこと。それを聞いた参会者、鈴木洋一さんの表情が一変、名にし負うパーカー研究者にして熱烈なパーカーファンの鈴木さんと、池上さんの距離が一気に縮まる。こうした場面に居合わす音楽ファンの幸せを感じる瞬間だ。

また、2次会では同じく河出コルトレーン本でたいへんお世話になった編集者長門竜也さん(この人も元『ジャズライフ』)相手に、ジジイのアホな昔話を無理やり聞かせ、勝手に良い気分になってしまいました。長門さん、ゴメンナサイね。ともあれ、音楽ファン同士の飲み会は実に楽しい。池上さん、長門さん、また飲みましょうね!