3月15日(土)

佐藤大介さんによる『韓国ジャズ最前線』いろいろな発見がありました。しかしなんと言っても最大の驚きは、カン・テファンの凄さを再認識したこと。実はカンさん、ずいぶん昔に「いーぐる」に来たことがあり、少しばかりお話させていただいたことがある。ただそのときは演奏をじかに聴いたわけではなく、CDで彼の演奏に触れ、その独自性は知っていたけれど、今回佐藤さんが紹介した新作の凄さは圧倒的だった。

アルトによるソロ演奏、アルバム『ソレファ(素来花)』(Rec.2011)からの《20 Years Ago – Part1,2》は、まあ、大きなくくりから言えばフリー・ジャズに分類されるのだとは思うけれど、観念的なところなどひとつも無く、音自体に圧倒的な力・存在感がある。まさに「息吹の力」と言うべきだろう。

彼の得意技、循環呼吸法を駆使し、しかもアルト・サックスから同時に和音を響かす超高等テクニック自体が凄まじいのだが、それが単なる「技術のための技術」ではなく、表現と密接に結び付いているのだ。これが凄い。いわゆる「フリー」の中には、ちょっと気取った観念的な「思わせぶり」があったりもして、それを面白がるファンもいるけれど、私は苦手。

その点、カン・テファンの音楽にはギミックやスノビズムのかけらもない。まさに純にして素。しかし、「いまどきのジャズ」に一番欠けているのがこの「純」と「素」なのではないだろうか。確かに技術レベルの水準は年々上がり、また「音楽的知識」の積み重ねも昔の比ではないが、その割には素直に「感動」出来る作品が少なくなっている。

音楽を「人柄」と結びつける発想はあまり好きではなく、まあ、間違いだと思うのだけど、たとえわずかなふれあいであれ、実際に知っている人ともなるとそのあたり、まったく何も思わないわけにはいかない。彼、外見はまったく「ふつうの人」で、「この人があの音楽を!」という意外性は無視できない。

その辺り、私よりカンさんと付き合いが深い佐藤さんも言っていたけれど、何の飾り気もない温厚そうな人が、ひとたびアルトを持たせたら当代一流の表現者となる「落差」が、言い方は悪いけれど「面白い」のだ。

カンさん以外にも、ミヨンのピアノとパク・ジェチョンのパーカッション・デュオ、アルバム『Queen & King』(Rec.2005)からの《25 Cycle》が良かった。これもフリー的な演奏だが、ミヨンのピアノも素晴らしいが、パク・ジェチョンのパーカッションの音の良さと独特の「間」が、韓国ジャズの独自性を感じさせた。

話は前後するが、講演全体の構成は3部に分かれており、第1部は「偉大なる韓国ジャズ第1世代の追憶!」とタイトルされ、文字通り、現在70歳代以上の韓国ジャズ第1世代、リュ・ボクソンのドラムス・パーカションに、ヴォーカルのマルローが参加した演奏。

ひとことで言って「濃い味付け」。そしてリズム感が独特。まあ、「泥臭い」と言えばその通りなのだけど、ヘンに洗練されすぎて味も素っ気もない「現代ジャズ」ばかり聴いていると、こういう直球音楽は妙に懐かしさを覚える。

そして、ある年齢以上の人ならたいがい知っている《アリラン》が良かった。カン・テグアン(tp)、キム・スヨル(ts)、ソン・スギル(p)、イ・スヨン(b)、チェ・セジン(ds)、イ・パンギュン(arr)による演奏、撥ねる強いリズム感はアメリカ・ジャズとも、また日本ジャズとも異なる韓国独自のもの。

パート2が「多様化する韓国ジャズの世界!」とサブタイトルされた、いわゆる「民主化」以降の世代。このコーナーでは「東方神起」も登場。そして第3部は「韓国ジャズボーカルの知られざる魅力!」。

参考音源として紹介されたパンソリの土着的力強さは間違いなく韓国ジャズの血となっているように思えた。この辺り、ブルースとジャズの関係を思い起こさせる。総括すれば、韓国ジャズシーンもまた日本ジャズ史の流れと似た変遷を経ており、同じく「ジャズ輸入国」としての同質性と同時に、それぞれの文化背景の違い、風土の違いに根ざした「独自性」がかなり明確に見えた。

音の凄さ、そして韓国ジャズの歴史、加えて韓国ジャズの独自性が短時間に実感できた今回の佐藤さんの講演、実に巧くまとまっており、佐藤さんの韓国ジャズ理解の深さを感じさせる素晴らしいものだった。それにしてもカン・テファン、ほとんど名前は知られていないけれど、マジ、世界レベルで現代ジャズのトップ・クラスにいる。それを知っただけでも今回の講演、実に中身が濃い。