6月11日(水) 【優れた修復で蘇った、フェリーニの名画】

朝の9時から、神宮前にあるオノセイゲンさんのスタジオで映画を見る。「いーぐる」ホームページの初代ウェブ・マスターだった「イマジカ」の山下泰司さんが制作した、イタリアの巨匠、フェデリコ・フェリーニの『道』(1954製作)の試写会だ。この映画は、有名な哀愁を帯びたニノ・ロータのテーマソングと共に、年配の方は「なんとなく」ではあっても記憶に残っているのではないだろうか。

かく言う私も、試写が始まってしばらくするうち、うっすらとではあるけれど、「ジェルソミーナ」の旋律を思い出した。しかし、それが幼児期の体験(1957年日本公開)なのか、それともNHKか何かの「名作映画劇場」みたいなもので見たのか判然としない。というわけで、はじめてこの映画をちゃんと観たのだけど、これは正真正銘の傑作です。

だが、映画の中身の話をする前に、いろいろと思うところがあった。それは、僕らオッサンジャズファンはつい「いい演奏はラジオで聴いても感動する」なんて言うけれど、ちょっと考えた方がいいなということです。この場合の「ラジオ」は、私なんぞも出させていただいている「ミュージック・バード」のような高音質ラジオのことではなく、いわゆる昔の「中波ラジオ」のこと。

要するに「モンダイは内容である」というしごくまっとうな主張も、ちょっとばかり留保をつけるべきだと思ったのだ。それは、半世紀以上も昔のモノクロ映画の画面が、信じられないほど美しかったから。つまり山下さんは、荒れたフィルムの修復を実にていねいに行い、また、ふつうは行われることの無い音声のマスタリングまで、なんとぜいたくにもこの道の第一人者、オノセイゲンさんにお願いしたという効果が、間違いなくこの映画の感動を高めているのだ。

いや、そういう言い方は不正確かもしれない。60年前製作されたときにあった「感動」が、正確に再現されていると言うべきだろう。これは私の勝手な思い込みではなく、セイゲンさんが「修復」に際し基本としている考え方が、「勝手に良くする」のではなく、「元の姿に戻す」ことだと言っておられたことに通じる。私もそのとおりだと思う。

ちょっと専門的な話だったので、あるいは不正確かも知れないけれど、映像にしろ、音声にしろ、「より高性能の入れ物」に入れたほうが良いと言う話が興味深かった。と言うもの、もともとがそれほどハイ・フィディリテイでもない映画音楽やせりふを、ハイレゾで処理しても・・・というシロート考えがいかに間違っているか、セイゲンさんが実にていねいに説明してくださったのだ。要するに、「入れ物」の容量が大きければ、その中で修復の作業がより精密に出来るということらしい。

これは画像にも言えて、半世紀以上昔の映像でも、今話題の「4K」にすれば、ちゃんと効果があるそうだ。今回私が見た『道』は「2K」処理だが、「旧作」にありがちな画面のアレやちらつきなど微塵も無く、いや、それどころか、イタリアの田舎の景色がモノクロならではの深みと奥行き感をもって見事に再現されており、景色を眺めているだけでも充分に画面に引き込まれてしまう。本当にきれいです。と言うか、単に美しいだけでなく、ちょっとブンガク的言い方かもしれないけれど「風景自体がなにごとかを語りかけて」来るのだ。いわんや役者の演技においておや・・・

思いつくまま並べても、イタリアの田舎道や道端に残った雪の質感、そして最後のシーンでアンソニー・クインが悲しみのあまり握り締める夜の海辺の砂の感触まで、実に実にリアルに表現されている。脚本の「深み」もさることながら、ハスミ節ではないけれど、「映像自体が美であり感動」なのだ。

というか、そういった画像の細部がリアルで美しいからこそ、マッチョの典型アンソニー・クインの圧倒的存在感や、ナゾの女としか言いようのないジュリエッタ・マシーナの快演というか「怪演」というべきか迷う演技が、ジンと胸に沁み込む。もちろんそれは音声にも言えて、というか、当然画面と音声がいっしょになって観客の知覚、そして感情に訴えてくるのだと思う。

山下さんは古くからの友人なのだけど、今回の『道』修復はほんとうに素晴らしい仕事だと思う。まさに文化的貢献だ。イタリア人は山下さんに感謝すべきだろう。というか、イタリア文化会館で上映したら、山下さんはイタリア人から握手攻めにあったそうな・・・けっこうなことです。

話を元に戻すと、ダメな内容の映画・音楽はどんなに画質・音質が良くてもどーしよーもないけれど、中身が良いからといって、それを再現する映像なり音声なりの「質」をないがしろにしてはいけないということ。というか、良いものの感動自体が「優れた再現」によって保証されていることを、わたしたちはもう少し自覚すべきだと改めて思ったのでした。

それにしても、マジ「文化」のことを考えてお仕事をしている山下さん、セイゲンさんに心から敬意を表したい。

最後に『道』の内容。ホントにこの映画は見る人それぞれ、まず男か女かによって「見どころ」が違うだろうし、また、その人の性格・気質によっても「感情移入」の場所が異なりそう。つまりは質の良いオトナの映画なのです。また、繰り返し見れば「見方」もかわりそう。