5月2日(土曜日)

現在ジャズ・ヴォーカルを語らせたらもっとも見識の高い論者の一人、小針さんによる『ホリディ・シナトラ生誕100周年』を記念する講演、予想通り素晴らしいものだった。20世紀を代表する二人の優れた歌い手の知られざる相互関係を軸に、「歌」というものの奥深さを音源・映像の二本立てで極めてわかりやすく参加者の方々に伝えてくれた。

この講演、個人的にもたいへん興味深いものだった。というのも、たまたまだけれどもこのところ「歌」がらみで思うところがいくつかあったから。まず、現在進行中の隔週刊CD付きマガジン『ジャズの巨人』全巻予約者向けプレゼント『ジャズ歌100年』の選曲が思いの他うまく行き、かなりの自信作になったこと。そしてその中に当然ビリー・ホリディも含まれており、やはりずば抜けた存在感を示していたことがある。

そして、若干唐突かもしれないが、ポール・マッカートニーの公演を見たことがある。私はさほど熱狂的なポール・ファンというわけではないのだけれど、やはりポールは凄かった。完全に老人の域に達している彼が、3時間にも及ぶライヴを疲れも見せず歌い切ったことも驚きだが、それ以上に「歌」そのものが素晴らしいのだ。

それはロックだとかジャズといったジャンルを超えた、「歌唱の力」として伝わってくる性質のもので、改めて「好み」を超えた「歌の力」を実感させられた。同じようなことがホリディの歌にも言えて、ポピュラリティにおいてはポールとは比較にならないし、また、表現の質もまったく違うけれど、歌唱が伝えてくる「何か」において、ちょっと似ているような気がしたのだ。

だからこそ、リディとシナトラという一見水と油のような二人の間に、歌い手としての強い絆が結ばれていたという事実が違和感なく理解できたのだ。「歌」という表現は、ジャズ、ポピュラー・ソング、ロックといった、いわゆる「ジャンル」を超えた共通項があるようだ。

おそらくそれは歌唱技術と表現の関係で、「ある域を超えた歌い手」はジャンル特有の表現形式を超えたレベルにおいて、聴き手に「何ものか」を伝えてくるのだろう。それが如実になったのは映像で、ホリディの映像の持つ異様な迫力にはいまさらながら鳥肌の立つ思いだった。

とりわけ変わったそぶりを見せるわけでもなく、また大仰な演出も一切無いのだが、ごく自然体の歌唱自体が持つ言いようの無い説得力には脱帽するしかない。ともあれ、今回の小針さんの講演は、私に「歌」の魅力をもう一段深いレベルで教えてくれたのである。こうした企画はぜひ今後も続けたいと思う。小針さん、よろしく!