5月23日(土曜日)

林建紀さんによる「いーぐる連続」としては久しぶりの「純ジャズ」講演、お題はジョージ・コールマン。林さん自身の内容案内文にもあるように「あ、『フォア&モア』の人ね」とみなさん一応その名はご存知でも、あとが続かない。かく言う私自身、79年録音の『ライヴ!』というアルバムで彼のライヴにおける凄みを再確認したけど、そこまで。

で、マイルスのサイドマンまで務めたテナー奏者の不思議な「欠落感」を補ってくれるのでは・・・という期待を持って臨んだ本日の講演。林さんは見事に要望に応えてくれました。

まず、コールマンの経歴。1935年生まれで、いわゆる「50年代ハードバッパー」よりは少し下だけど、「60年代新主流派」よりは少し上という微妙な世代が彼のスタンスに影を落しているという林さんの指摘、まことに納得。

また、実力こそあれ、控えめな性格ゆえ、スタジオ録音では「主役を食う」ようなことはやらないので、「印象が薄い」という説明も、なるほどとうなずける。実際渡されたプリントに書かれた彼のサイドマン作を眺めると思いのほか多く、しかも私も聴いたことのあるアルバムがけっこうたくさんあるのだった。

そうした「問題点」がうまく避けられるのライヴ。つまりジャズマンの日常が曝け出されるライヴでは、自然とホンネが出るということ。また、ライヴなら「次第に盛り上」がることでミュージシャンの「スイッチ」が入るという観察もさすが。

というわけで、今日はライヴ録音に限って紹介してもらったが、確かに吹きまくりの迫力はなかなかなもの。しかしそれと同時に林さん自身が指摘していたが、たとえば同じように若干アンダーレイテッドなテナーマン、チャーリー・ラウズやクリフ・ジョーダンなどに比べ、「印象に残るフレーズ」というものが意外に少ない。

結果、聴いている最中は「熱演」に圧倒されつつも、振り返ってみると「印象が薄い」ということに繋がりかねない。「印象の薄さ」を言い換えれば「個性の聴き取り難さ」に繋がり、つまりはファンは「演奏を通じて表現される各ジャズマン固有の個性」こそ「聴きどころ」としているということ。

こうした「発見」は、ファンの「人気度」の秘密の一端が解明されたように思う。つまり、ジョージ・コールマンの「過小評価」には、それなりの理由があるということですね。日本のジャズファンのレベルはやはり侮りがたい。

ともあれ、こうした「実証的」講演は貴重で、前述のラウズ、ジョーダンあたりをお願いしようということになったが、実はそれより先にやる「本命」がありました。ちょっと笑っちゃうのだけど、今回のジョージ・コールマン特集、林さんがコールマン・ホーキンスの「全曲聴き」をやる際、検索に間違って「ジョージ」の方が引っかかってくることが多く、「えい、めんどうだ」とばかりにこちらも「全曲聴き」してしまったという次第。

ということで、次回の林さんの講演は「本命」のコールマン・ホーキンスの講演を2回に渡ってやることとなりました。日程は決まり次第告知いたします。

余談ながら、同じ「コールマン違い」でも、不思議とオーネットやスティーヴは引っかかってこないとのこと、面白いですね。