【『一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)のご紹介】

 

この度、小学館新書から『一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』という本を出しました。タイトルから想像される通り、この本は以前小学館から出して好評だった『一生モノのジャズ名盤500』のヴォーカル編という体裁をとっています。つまり、「ミュージシャン別」や「楽器別」と言った従来の名盤紹介本とは異なり、「聴いた感じ」でジャズ名盤をセレクトするスタイルを踏襲しています。

 

例えば「朝目覚めの時に聴くに適したジャズ・ヴォーカル」であるとか、「聴くとウキウキするようなジャズ・ヴォーカル」といった塩梅です。というのも、私たちは音楽を聴くとき、無意識のうちに「その時の気分」に合ったサウンドを選んでいるからです。その「無意識の選択」に合ったアルバムをわかりやすく区分してご案内すれば、少々敷居が高いと思われている“ジャズ”に比較的すんなり馴染んでいただけるのでは、というのがこの本の狙いなのです。

 

そしてその選択基準は、あくまで「受け手目線」を貫きました。受け手とは要するに「聴き手」のことで、対する送り手は「ミュージシャン」ですね。「聴き手」は「ジャズ・ファン」と置き換えても良いのですが、今回の新著は小学館から出したCD付きムック『ジャズ100年シリーズ』の経験を活かし、既にジャズ・ファンとなっている方々の周りにいる、より幅の広い「潜在的ファン層」にも注目していただけるよう配慮しました。

 

一概には言えませんが、「ジャズ評論」と呼ばれているものの中には、ミュージシャンの代弁をしているようなコメントも少なくありません。もちろんこうしたスタンスの解説はたいへん重要で、中でも有能なインタビューアーによるミュージシャンのコメントは新人理解、新しいタイプの演奏を知る大きな助けとなります。また、それぞれの「ジャズ観」「ジャズ論」を展開することは「ジャズ評論」の「王道」とみなされているようでもあります。

 

しかしこうした「ミュージシャン情報」や「ジャズ論議」は、既に「ジャズ・ファン」となっている方々が主に関心を持つもので、「潜在的ジャズ・ファン層」つまりジャズに関心があるけれど「敷居の高さ」ゆえ今一つ前へ進めない多くの音楽ファンが求めているものとは、ちょっと違うように思うのです

 

そうした方々が求めているのは、まずもって「どうしたらジャズを楽しめるようになるのか」であり、そのための「わかりやすいジャズの聴き所」をご提供するのが大切だと私は考えているのです。要するに私は「ジャズの実用書」を目指したのですね。付け加えれば、それは「ジャズを楽しむための実用書」であって、マニアックな「通好みヴォーカリスト」の知識・蘊蓄を仕入れる「ジャズを語るための実用書」ではありません。そうした「マニア向け蘊蓄書」は、ファンになれば自然に求めるようになるものなのです。

 

ですから新著ではジャズの専門用語をなるべく使わず、平易な「聴いた実感」に基づくアルバム解説、ミュージシャン解説を心がけています。例えば、歌い手の個性を一番よく表す「声質」を「ハスキー」「ソフト」といった具合に分類し、知らないヴォーカリストの特徴をわかりやすく解説しています。

 

また、小学館のCD付きムック『ジャズ・ヴォーカル・コレクション』を監修しながら実感したのは、「人の声」という聴き慣れた素材による「歌」は、相対的に抽象的な、楽器によるインストジャズより、親しみやすいということです。付け加えれば、ポピュラー、ジャズ両分野で活躍したフランク・シナトラナット・キング・コールといったビッグ・スターの存在が示すように、「歌」という共通要素によって「ポピュラー・ソング」と地続きな「ジャズ・ヴォーカル」は、“ジャズ”という音楽の特質をわかりやすく浮き彫りにするという効果にも気が付いたのです。

 

つまり、ヴォーカルは敷居が高いと思われているジャズへの入り口として最適なのですね。そしてもう一つの大きな発見は、「キーワード」としてのヴォーカルが現代ジャズ理解の大きな糸口になるということです。現代ジャズを象徴するカマシ・ワシントンやカート・ローゼンウィンケルのアルバムには「ヴォイス」「ヴォーカル」「コーラス」が実に効果的に使われています。また、本来ベーシストだったエスペランサは全編ヴォーカルのアルバムを出しました。つまり「ジャズ・ヴォーカル入門」は「ジャズ入門」に繋がるだけでなく、「現代ジャズ入門」でもあったのです。

 

彼ら以外にも、現代ジャズ・シーンで注目を集めているミュージシャンのアルバムには、例外なくと言っていいほどヴォーカル、あるいはヴォイス、ラップといった「声」を使ったトラックが含まれているのですね。こうした現象は実は“ジャズ”という音楽が持つ大きな特徴の表れでもあったのです。

 

それは「声」が持つ親しみやすさ=ポピュラリティと芸術性の巧みな融合であり、こうした特質は何も現代ジャズだけに顕著な現象ではなく、ジャズ史を振り返れば、ジャズ・ヴォーカルの元祖と言われたルイ・アームストロングや、フランク・シナトラビング・クロスビーら人気歌手を擁したスイング時代のビッグ・バンド、そして晩年のマイルスもヴォーカルこそ入れませんでしたが、「狙い」は「如何に黒人大衆層にジャズを聴いてもらうか」でした。

 

今回「受け手目線」を前提としつつ「声」「歌」から“ジャズ”を眺めた時、もう一つの「ジャズの特徴」であり、「現代ジャズの特徴」でもある「融合音楽としてのジャズ」という側面が大きく浮かび上がりました。そのことを私は「ジャズは最強の音楽ジャンルである」という言い方で強調しています。

 

誤解していただきたくないのは、「最強」は「最善」あるいは「最高の音楽ジャンル」ではないということです。具体的にいいますと、例えばロック・シンガーやボサ・ノヴァ・ミュージシャンがジャズを歌えばロックやボサ・ノヴァの表現領域が広がるかというとそういうことは無く、実態としては彼らロック・シンガー、ボサ・ノヴァ・ミュージシャンが、一時的に“ジャズ・ヴォーカリスト”としてふるまっていることになるのです。

 

その結果として“ジャズ”がロック的要素やボサ・ノヴァ風表現を取り入れ、自らのジャンルの養分としちゃうのですね。そうしたことを“ジャズ”は長年に渡ってやってきた結果が“現代ジャズ”だったのです。