「コロナ禍」を振り返る

 

自粛期間もようやく終わった今、今回の「コロナ禍」について私なりの感想を述べてみたいと思います。

 

率直に言って、3月半ばごろまでは従来のインフルエンザ同様春になれば収まると楽観視していましたが、ヨーロッパでの感染拡大がTV新聞等で大きく報道されだし、とりわけ東京都知事の「ロック・ダウン」発言をきかっかけとして、世間の空気が急速に変わってきました。それと同時に、2月ごろから下降傾向にあった店の売り上げが急激に減少に転じ、あの原発騒動の直後でも経験しなかった8割減という壊滅的状況を迎えたのです。まさに店の存続が脅かされたのです。

 

そこで私なりに、ネットで厚生労働省のホームページはじめ、医療関係者及び各界の識者の意見を参照したところ、たいへん奇妙な事実に気が付きました。

 

それは、韓国、台湾、ベトナム、そして日本の同一人口当たりの死亡者数が、欧米諸国に比べおよそ百分の一程度という異常とも思える少なさなのです。これは手洗い等の生活習慣では到底説明できない、極めて大きな格差です。しかしながらそれ以上に不思議だったのは、こうした素人目にも明らかな疑問が、TV・新聞等では正面切って報道されていないのですね。

 

確かに新型コロナ・ウィルスは未知の病原なので、流行当初は最初の発祥地とされる中国武漢や諸外国の壊滅的状況を前提とした、厳重な危機管理を行政当局が行ったのは十分に理解できます。しかしながら少なくとも3月後半の時点では、日本、そしてアジア諸国の「死者が異常に少ない特殊性」は、医療関係者を含む識者は当然把握していたはずです。山中伸弥教授いう所の「自然免疫」や「BCG仮説」などを含む「ファクターX」ですね。

 

それにもかかわらず一部の医学関係者は、欧米諸国で起こっていること(数十万にも及ぶ死者)が明日にも日本で発生するという前提で、私からすれば「過剰」とも思える「恐怖」を煽っているように思えました。それを無批判に拡散させたのがTVのワイドショーです。つまり世間の過剰な危機感は、一部の不用意な医学関係者とTVのワイドショーによって作り出された部分が大きかったのではないでしょうか。

 

その結果、多くのライヴハウス、飲食店が営業自粛に追い込まれ、当然私の店も廃業を意識せざる状況に至ったわけです。私の知っている限りでも、閉店を余儀なくされたジャズクラブ、飲食店、居酒屋さんは複数に登っています。

 

4月初頭の時点で、現実に欧米諸国並みの万を超える死者が出ていたのなら、廃業もまた一種の自然現象による「運命」とあきらめる気持ちを持てたかもしれません。しかしながら当時、例年のインフルエンザ並み(4月末の時点でおよそ500名)の死者数で緊急事態宣言が出され、あらゆる経済活動がシュリンクしたことは、極めて不合理な話だったのではないかと今でも思っております。

 

6月下旬に至っても新型コロナによる死者数は1000人未満で、巷間危惧されている「第2波」なるものが、年内仮に第一波の2倍2000名の死者を出したとしても、第一波と合算しおよそ3000名。しかしこれは一昨年の年間インフルエンザ死者数3225人より少ないのですね。ちなみに1950年代には年間7000人以上のインフルエンザ死亡者が出ています。

 

「コロナの怖さ」の大きな理由として、特効薬の無さが挙げられています。しかしながら特効薬の無い新型コロナより、ワクチンも治療薬もある従来のインフルエンザの方が死者数が多くなる可能性が高いという客観的事実を、多くの方々はどう考えておられるのでしょうか?

 

この間の個人的気持ちを要約すれば、今になって福島県のみなさんが被った科学的事実に基づかない「風評被害」の深刻さが実感されたということでしょうか。

 

そして過剰とも思える「第二波」への恐怖心を背景に、「コロナ後の日常」であるとか「ウィズ・コロナ」といった標語が当然のことのように囁かれでいます。その内容はおおむね例の「三密」を避ける生活スタイルが基調のようです。

 

前提として、専門家会議での「三密」とは、三つの好ましくない条件が「重なること」を指していたはずですが、実際は「二密」あるいは「一密」も避けるべきと、過剰に意識されているようです。非密閉空間である屋外スポーツの開催や観戦までが「自粛」されていたのは、そういう世間の「空気」のせいでしょう。私から言わせれば、いまだに野球等の屋外スポーツが「無観客試合」を行っているのは滑稽としか思えません。

 

確かに狭い密閉空間に多人数が密集し、大声でしゃべりあう状況の中に新型コロナ感染者がいれば、感染が広がる可能性が高いことは十分に理解できます。しかしこの感染条件は、従来の風邪やインフルエンザでもまったく同じで、人々はインフルが猛威を振るっているときは、自発的にこうした状況を避けていたのではないでしょうか。体調が悪いときは人混みに出ない、飲み会も遠慮する、これは従来から各自が自発的に行ってきた常識的な自衛行動です。

 

少なくとも現在の日本における客観的状況を見るに、新型コロナの死亡者数が、多めに見積もっても従来のインフルエンザ死者数並みであるとすれば、人々が従来からの自発的自衛行動を行えば済む話ではないかと個人的には考えております。つまりライブハウスなどの主催者側が過剰に自粛する必要は無いように思います。

 

そしてそもそも、ライブハウスやコンサート会場が三密条件に当てはまるとは思えません。例えば青山ブルーノートなどは十分な広さがあり、またミュージシャンが演奏している最中観客が大声でしゃべりあうなどということはありません。

 

とは言え広く世界に眼を向けてみれば、欧米諸国はじめ万を超える死者が出ている地域では、音楽・ジャズを含む芸術・文化活動がコロナによって変容を余儀なくされるであろうことは容易に想像がつきます。

 

ひとつ言えるのは、人々が集まって活発に話し合う状況である「三密」とは、コミュニケーションの基本的状況ですから、これを否定するのは社会生活、果ては文化自体を否定することに繋がります。文化を離れた芸術は根無し草です。「脅威」ということで言えば、コロナなど比べ物にならない「世界の消滅」もあり得た東西冷戦下における「全面核戦争」の恐怖の中でも、文化・芸術活動は続けられてきたのですから…余談ながらキューバ危機の際の恐怖感は、コロナなど問題にならないほど深刻なものでした。

 

最後にいささか手前味噌ですがジャズ喫茶は意図せず「コロナ対策」が出来ていたというお話をしておきたいと思います。というのも、新型コロナで問題視される「飛沫感染」は、近距離での「口角泡を飛ばすような会話」が原因ですが、「いーぐる」では午後6時まで会話禁止ですから、「飛沫感染」の危険は最初から無いのです。

 

そもそも昼間のジャズ喫茶はある意味で理想的な「おひとり様空間」で、実際当店でも、読書や、パソコンを持ち込んでの心地よい音楽が流れる仕事場として利用されるお客様が大半です。

 

また、これもジャズ喫茶ならではの特性なのですが、6時以降の「バータイム」でも、居酒屋さんのように多人数で来店する方は稀で、多くてもカップルがせいぜいです。こうした親密な関係では、お互いの健康状況も十分把握できているケースが多いと思われ、すなわち「感染」の危険は少ないとみて良いのです。結論を言えば、「ジャズ喫茶」は最初から十分に安全な空間なのです。