7月19日(土)

韓国に語学研修留学に行っていた共同通信佐藤大介さんが韓国のジャズ状況を報告する今日のいーぐる連続講演、漠然と予想していたものとはずいぶん違ったけれども、実に面白くて勉強になる良い特集だった。
韓国は軍事政権だった時代が長く、その頃ジャズはおおっぴらには聴くことが憚られたという。それが解禁されたのが1990年代に入ってからで、すごく乱暴に言ってしまえば、日本でアメリカ文化が解禁になった1945年以降の文化流入状況と似ているのだそうだ。つまり、ハードバップブルーノート盤もマイルスもフュージョンも、韓国人は同時代的には経験せず、90年代以降一度にどっと入ってきた。
だから彼らにとっては、今の日本の、すべての時代のジャズアルバムが歴史的価値判断抜きの“等価で”CDショップ店頭に並んでいるような“ポストモダン的”文化状況が、より鮮烈な形で現れているという。具体的には、ジャズはお洒落でカッコよい音楽という認識が流通しているそうだ。これは僕らが漠然と抱いていた、韓国ジャズ=強烈なフリーという、カン・テファンらによって形作られたイメージとはずいぶん違う。そして、韓国でもバークリー帰りの若手が“グローバルな”ジャズを演奏する風景は同じだそうだ。
こうした一般状況の解説のあと、さまざまな現代韓国ジャズアルバムが紹介された。その中でやはり力を感じたのはカン・テファン。彼はずいぶん昔に来日した時いーぐるに来てくれたこともあり、その率直な人柄には好感を持っていたが、独特の循環奏法から繰り出されるアルト・サウンドは強烈なインパクトがある。次いで面白かったのはテナーのイ・ジョンシク。フリー寄りの演奏とごくオーソドックスな音楽を同時にやるが、ミュージシャンはあらゆる音楽を演奏できなければいけないと言う彼の考えは説得力がある。
しかし、私にとって一番の収穫は女性ヴォーカル。ナ・ユンソンの飾り気のない歌。あまりジャズっぽくはないけど、歌としての魅力にあふれたマルロ。どちらも韓国語の歌の力が感じられ、いわゆる一昔前の“六本木ジャズヴォーカル”のユルさ、ヌルさは微塵も感じられない。
それらに比べ、バークリー組みは特に個性は感じられなかった。また、韓国ジャズの特徴としてリズムの前のめり性が顕著で、観客も頭打ちで手拍子するという。しかしこれは日本でも見られた現象で、60〜70年代までの日本のジャズは、演奏する側のリズムもタメのない頭ノリだったし、観客も“盆踊り的”頭打ちで手拍子を取っていた。当時来日したミュージシャンはさぞかしやりにくかったことだろう。
大介さんの解説はユーモアに満ちつつ具体的で的確。さすが『世界』の論文が注目されただけのことはある。打ち上げの席で聞かせられた韓国事情も有益だった。私たちの世代(だけではないかもしれないが)が漠然と抱いていた、韓国人の日本人に対するネガティヴな態度に出会ったことはまったくなく、むしろ親日的な人たちの方が多かったというのはちょっと意外。いかにメディア情報が偏っているかが実感された。彼に言わせると、最初は韓国人の発想(やたらせっかちだとか)に戸惑ったけれど、分かってしまえば彼らは他人に干渉せず、実に生活しやすい良いところだという。私も行ってみたくなった。