11月13日(土)
「大音量でロックを聴く会」の4回目は、中山康樹さんの『ジョン・レノンから始まるロック名盤50枚』(講談社文庫)の刊行を記念して、同書からの選曲で進められた。司会進行は村井康司さん。ロックにも詳しい村井さんならではの巧みな質問が、中山さんから興味深い話題を引き出してくれる。
70年代が中心の選曲なので、大昔私がやっていたロック喫茶『ディスク・チャート』でよく聴いていたアルバムがいくつもかかり、懐かしい思いに浸る。あれからもう40年近く経っているのが夢のようだ。とは言え、あの頃のことは夢ではなく、現に当時レコード係りをやっていただいた長門芳郎さんや、そのころ店に出入りしていた矢野誠さんとは近日中に会うことになっている。
このところ中山さんのロック選曲を立て続けに聴いてきて、ロック門外漢の私にも中山さんの「ロック観」みたいなものがうっすらとではあるけれど見えてきた。なにぶん時代を追って聴いて来たわけではないので詳しく説明することは出来ないのだが、私の好みとずいぶんと一致していると思う。
それにしても大音量で聴く《レイラ》は圧巻だった。もちろんこれも『ディスク・チャート』時代によく聴いて来たアルバム。その他の選曲は明日にでもアップいたします。
ところで、中山さんの仕事の凄みは、ディティールが大きなストーリーとリンクしているところである。いわゆる「オタク」は、圧倒的な細部の知識量を誇ったとしても、それらが全体としてどういう意味を持っているのかに対する関心が薄く、結果として彼らの「語り」はトリビアの蓄積でしかない。
一方、思いつきや思い込みによるロック観、ジャズ観は、酒の席での話題にはなっても、実証性に乏しい。しかるに中山さんのお話、著作はいつも明確な「ストーリー」を持っており、しかもそれらが細部の事実によって組み立てられているのである。
今回の講演も、ジョンから始まりジョンの死によって締めくくられるという著書の構成に添った選曲で、それらからは、いわゆる「ロック名盤選」のたぐいとは一線を画する「ロック観」あるいは「ロック史観」が窺えた。
なるほどと納得したのは、ふつうまったく共通性がないと思われているエルヴィス・プレスリーとボブ・ディランが、意外と近いところに立っているのではないかという指摘である。確かに彼らがアメリカの音楽シーンで背負っているものは、「背中合わせ」にしろ、思いのほか同質であるのかもしれない。音楽評論はこうした「洞察」がなければ、単なるアルバム紹介本としての機能しか持たないことになる。大いに学ぶべき姿勢だと思った。
それにしても嬉しかったのは、中山さんが冗談にしろ「いーぐるで大音量でロックを聴くために本を書いている」と言ってくれたことだ。音楽とそれを聴くファンの中間点にいる音楽喫茶経営者として、これ以上のことばはない。