6月2日(土)

青野さん、ありがとう! 楽しく、懐かしく、素晴らしいイヴェントでした! これは参加されたみなさん、みんなの意見です。さて、どこから話したものか…関係者はご存知かと思いますが、青野さんは生粋の「四谷派」。まあ、この言い方も同じく生粋の「四谷派」いまやジャズ評論界の大物の風格を備えた杉田宏樹さんが言い出したことばなのですが…

そうそう、杉田さんは「新・四谷派」などと言っていたように記憶していますが、その場合の「新」って、いったいなんなんだろう。「新主流派」の「新」かな…じゃ「旧」は誰かって聞いたら、みんな「後藤さんに決まってるじゃないか」という。しかし一人で「派」もないというと「じゃ『四谷』」。それじゃ地名じゃないの。

それはさておき、青野さんも杉田さんも大昔お二方が学生のころ「いーぐる」でアルバイトをされていたのです。そういう過去があるので、今日の青野さんによる講演『ジャズ・レコード〜送り手側の視点から』は、青野さんが「いーぐる」でバイトをされていたころの思い出深いアルバムからスタート。

1枚目はバディ・デ・フランコ(詳しい選曲データは後日アップ)。これって記憶が無いのだけど、どうやら青野さんがレコード係りのテスト期間中にかけたら即フロアーに逆戻りさせられたそうな…要するに当時(1974年ごろ)の私は物凄くかたくなで、(というかあんまりジャズわかってなかったんで)「こんな古臭いもん」って、ダメ出ししたんだと思う。というか青野さんは早稲田の「ニューオルリンズ」だったんで、クラリネットが出て来ただけで、「もうっ」って思ったのかもしれない。

もちろん今聴けば立派に「モダン」な演奏で、「ああ、当時は狭かったなあ」と思うことしきりでした。しかし、ちょっといい訳させていただければ、あのころは新譜で『ウエザー』やらキース、チックがバンバンかかっており、そうした「新らしもん」とデ・フランコを違和感無く「繋ぐ」のはむずかしかったんだろうとも…まあ、いい訳です。

次はミンガス。青野さんは「後藤さんが好きでかけてた」って言うけど、これは間違いなくリクエスト。もちろん嫌いじゃないけれど、リクエストも凄かった。そして意外だったのはFMPのグローヴ・ユニティ。当時FMPやらICP、インカスなんぞ、ヨーロッパ・フリーを番号順に集めたりした記憶はあるのだけど、まさか営業中にもかけていたとは! ところが、青野さんの証言によれば「満席になると追い出し用に『マシンガン』かけていた」そうな。『マシンガン』はご存知ペーター・ブロッツマンの元祖「ノイズ」。

ところでこの『マシンガン』でちょっとした騒動が…私はこれはFMP0020だって思いこんでいたんだけど、青野さんは0090だって言う。そこで500円(セコい)賭けたら、見事負け。青野さんの記憶力に脱帽でした。ここでもいい訳させていただくとFMP0020もブロッツマンで、タイトルが違っていた。どうも今日はいい訳が多いなあ。

いよいよ青野さんが現場で力量を発揮する場面。まずはアート・ペッパーの「初ライヴ」これは実際はコンテンポラリー盤の方が録音は早いのだが、実売日では「初」を歌えたという。しかし、後になってから「ペッパーのアルト・サウンドが違う」と(たぶん)ペッパーの奥さんからクレームが来たとか…現場はいろいろたいへんだ。

そして本日のハイライトが「幻のロリンズ・テープ」。正直、この手のものは「記録的価値」「歴史的価値」しかないものが多いのだが、これはマジ、超名演。青野さんは「ちょっと長いんで」と言っておられたが、20分を越す長尺演奏、まったくムダもゆるみもなくロリンズ吹きまくり。そしてサイドのジム・ホールが聴いたこともない大燃焼。完全にホールに対するイメージが変わってしまいました。

また、ボブ・クランショウ、ベン・ライリーも畢生の名演。これはなんとしても正規発売していただきたいものだ。録音データは1961年11月クラブ「ジャズ・ギャラリー」でのライヴ。要するに『ブリッジ』(RCA)録音への準備期間中の演奏。

例のごとく、良い講演、素晴らしい音楽を聴いた後はみな幸福感と高揚感に包まれ、アルコールも進み、昔話やら笑い話に花が咲き、実に充実した一日が終了いたしました。最後にもう一度、青野さん、ありがとう!