11月24日(土)

久しぶりの杉田さんによるキース特集、いろいろと考えさせられてしまった。当初、1979年録音の「新譜」というので「どんなものかな」とちょっと心配したのだけど、事前の予想とはまったく逆の意味で驚かされてしまった。めちゃくちゃ演奏のレベルが高いのだ。

冗談抜きに、2012年の新録新譜で『Sleeper』(ECM)のレベルを上回っているものが果たしてどれほどあるのだろう。もちろん30年以上も昔の演奏なのだからスタイル、フォーマットなど古めかしいと思う方はおいでかもしれないが、ジャズという音楽の「聴き所」を本当に体感、体得しているファンだったら、演奏の緊張感、スリル、創造性のどの点をとっても、彼ら「ヨーロピアン・カルテット」の音楽が非常に高いレベルにあることがわかると思う。

最近、青野さんが1920年代のルイの素晴らしい演奏を紹介されたときも思ったことだが、表層的スタイルではなく、音楽が持つ力を聴き取る能力さえあれば、こうしたことがわかるはずなのだ。

スタイルの刷新はとても大事なことだし、それによって音楽に新たな力、魅力が付加されることは間違いない。サッチモからパーカーへ、そしてオーネットが出現し、マイルスの時代を追っての変容などなど、そうした事実を認めるにやぶさかではない。私自身、エレクトリック・マイルスも、ハーモロディック・オーネットも大好きだし、このような斬新な試みがジャズに新たな生命を与え続けてきたことを心底実感している。

しかし、それと同時に「時代、スタイルを越えた演奏の力」を音楽から聴き取ることができなければ、単なる「新しもの好き」に終わってしまう。要はバランスなのだ。斬新な試みを感受、理解する柔軟さと、そうしたものとは独立した(ある意味で時代、スタイルを超越した)演奏の力を聴き取る能力の双方を備えていなければ、音楽ファンとしてもったいないと思う。

少々自説を開陳しすぎたようだが、杉田さんの今回の講演、本当に素晴らしかった。当初、詳細すぎるほどデータの説明があったので、「少々細かすぎるのでは?」と思ったが、解説を聞くうち、これは音楽評論の王道を行く実にまっとうなやり方と納得した。

キースの、ヤン・ガルバレクを従えたいわゆる「ヨーロピアン・カルテット」の音楽性が、あまりにも有名な『マイ・ソング』(ECM)や『ビロンギング』(ECM)によって、一定の先入観をもたれているようだが、それが今回発掘された『Sleeper』によって修正されうることを、データを参照しつつ聴き比べ、ていねいかつ実証的に論証されたのである。

少々甘く、メロディの魅力で聴かせると思われがちな彼らの音楽が秘めている熱さ、エネルギー、パッションに焦点を当てた今回の杉田さんの試み、実に説得力があった。このやり方は対象こそ違え、林さんのアーリージャズ研究と重なるところがあると思う。

最後に再び私自身の反省を込めれば、知らないうちに新録ジャズに対する判断基準が甘くなっていたようだ。新しい表現、スタイルに対して柔軟に対応しようとするのは良いとしても、そのことに重心を移し過ぎ、ホンモノの表現力に対する評価基準が少々ヌルくなっていたようである。

まあ、同じ趣旨の発言はだいぶ前に中山康樹さん、村井康司さんとの鼎談集『ジャズ構造改革』(彩流社)で開陳していたはずなのに、いつのまにか「21世紀基準」に合わせんとするあまり、初心を忘れていたようだ。

冒頭の発言と矛盾するようだが、『Sleeper』、素晴らしい名演には違いないが、1970年代当時は、このレベルの演奏はマイルス、オーネットに限らずとも決して珍しくは無かったのだ。妄想に過ぎないが、似たようなことをキースなりアイヒャーも考えたのでは… すなわち「録音当時はこれぐらいの演奏はありふれていると思ったけれど、今になって他の新録ジャズと比べてみると、けっこういい線行ってるじゃないか」と…