7月20日(土)
杉原志啓さんによる「ジャズ・エイジからロック・エイジにみる日本の大衆文化の強み」とサブタイトルがつけられた4回連続講演の第1回『日本のポピュラー音楽受容史』、懐かしさとお勉強がちょうど良い塩梅にバランスされた、実に楽しい講演だった。
イントロダクションにJ-POPの一例として紹介されたPUFFYの映像は僕らオジサンにはけっこう目新しく、「フーン、日本のポップスも進化したものじゃ」などと勝手な感想を抱いていたが、もちろんすべてアメリカのパクリ。しかし、彼女たちはそのことに対してネガティヴな感覚は持っておらず一昔前のアイドルたちのように「本場で勝負したい」とも思っていないという。こうした意識の変化は興味深い。
そして本論の「受容史」に入るわけだが、たまたまだけど、ちょっと前に荻窪のベルベットサンで行われた栗原裕一郎さんと大谷能生さんによる日本の音楽評論史を辿る講演を聞いていたので、私がまったく無知だった明治期の音楽輸入事情について若干の予備知識があり、おかげで伊沢修二であるとか音楽取調掛といった単語が比較的容易に頭に入る。
栗原さん大谷さんコンビによる講演も斬新だったが、杉原さんの講演も全体を貫く一貫した主張、視点が明確に感じられ、実にわかりやすい。要約すれば、「輸入音楽」として明治期に日本に移入された洋楽、とりわけ大衆音楽に対する音楽取調掛の偏見(というか誤解)が、後々まで人々の大衆音楽に対する見方に影響を及ぼしているということ。つまり日本の伝統文化の風潮として大衆音楽は遊芸のジャンルに入り、あまりマジメな議論の対象とはなりにくかったのだ。
また、明治以降日本の音楽状況は「近代」が他のジャンルより後まで尾を引き、倉田善弘によれば、真に「現代」を迎えたのは実は1960年代以降だという指摘。これなどまさに同時代思春期を過ごした私などは「そうかもしれない」と思うことしきりだった。60年代におけるアメリカン・ポップスの日本への奔流のような浸透ぶりは今では想像も出来ないと思う。
講演では日本人の音楽観を辿りつつ淡谷のり子が紹介されたが、何十年ぶりかで聴いてみると、独特のクセはあるがけっこう巧い。また、映像で紹介された石原裕次郎の映画『嵐を呼ぶ男』の主題歌など、私たちは少年期に散々聴いたものだが、久しぶりに映像で見ると、改めて裕次郎のスター性が光っている。そして声も魅力的。彼が「国民的スター」となったのもうべなるかな。
そして私たち団塊世代には懐かしのロカビリー時代、これが面白い。ぼくらはさかしらに「色物」などと後知恵で講釈したりしていたが、杉原さんによる緻密な分析に会うと、日本のこのジャンルのある意味生産的な誤読と独自の翻案ぶりが、日本文化の一般的傾向に添っているというでは無いか。これには納得。
そして「カヴァー・ポップス」時代を迎え日本ポップス界は新たな展開を見せる。確かに飯田久彦の《ルイジアナ・ママ》など、その独特の歌い振りともども記憶の深層に今でも残っている。そして、コニー・フランシスの名唱《ヴァケーション》に負けずとも劣らない弘田三枝子のパンチの効いた歌いぶりは、現代では聴くことが出来ず貴重。まさに彼らは「実力派」なのだった。
まあ、4回講演の最初なので「結論」めいたものは引き出すべきでないが、私は杉原さんの音楽評論に対するスタンスは至極まっとう、かつ誠実だと思った。つまり、後知恵のさかしらを廃し、無批判に「本場もの」を称揚せず、日本独自の音楽文化のありよう実例を挙げつつをていねいに辿る姿勢は「評論」一般のあるべき姿だと思う。次回以降が大いに楽しみだ。