9月7日8(土)

阿部ちゃんによる久しぶりの純ジャズ特集、期待通り素晴らしいものだった。選曲よし、説明的確で言うことナシ。だが、ヒジョーにおかしな話かもしれないけれど、ワタシは阿部ちゃんの講演に大満足しつつ、いつもちょっとばかり不安になるのである。

というのも、ワタシ好みのアルバムの、しかもど真ん中、ワタシ好みのトラックを選んでいただいて「ウー、やっぱアダムスいいわ」とコーフンしつつ、どこかで「でも、これって阿部ちゃんとオレの趣味が同じってだけじゃないの?」という、まことにヒョーロンカ的余計な心配がアタマをもたげるのである。で、いろいろ考えてみた。どうしてアダムスのバリサクがカラダに沁みるのか。

といっても、音色がいいとか圧倒的テクニックにシビれるというような当たり前の技術論ではなく、もっと本質的な部分についてである。そのためのガイドラインとして、やはり私が愛好しているバリトン・サックス奏者、ジェリー・マリガンを対立項においてみた。

というのも、直感的に、私にとってこの二人が好きな理由はビミョーに異なっているように思えたからだ。もちろんアレンジ主体で楽器の音色もペッパー・アダムスよりまろやかなマリガンの魅力、聴き所がアダムスと異なるのは当然だが、私が言いたいのはそういうことではない。ジェリー・マリガンとペッパー・アダムスの違いは、ウエスト・コースト流アンサンブル・サウンドと、ごりごりハードバップ・コンボの違いというような、スタイルの違いとは異なる位相にあるような気がするのだ。

思いっきり乱暴に言っちゃうと、マリガンの音楽は、必ずしもジャズ・フリークでなくとも気に入る可能性はあるけれど、ペッパー・アダムス流の根性一発、気合入りまくりの演奏は、根っからのジャズ・マニアじゃないとホントウの面白さは実感できないのではないか。つまり、フレーズがどうとかいった技術のコトバでは表し難い、「ジャズのオト」がアダムスの聴き所なのである。

私がよく言うことだけど、マイルス『カインド・オブ・ブルー』のファンは、必ずしもジャズファンとは限らない。いや、大多数が単なる「音楽ファン」なのではないか。断っておくけれど、これは『カインド・オブ・ブルー』購入者が「半可通」だとか、「ジャズわかってない」とかうことではなく、彼らは、おそらく良質の音楽ファンかもしれないけれど、必ずしもジャズファンとは限らないということなのだ。

これはある程度数値的に証明されているように思える。聞くところによれば、累積1000万枚を数えるといわれる『カインド・オブ・ブルー』購入者が、全員ジャズファンなら、「いーぐる」がチェーン店化されてもおかしくないというのは冗談にしても、1000マンという数は、ジャズ界の慎ましやかな実情とあまりにもかけ離れた数字なのだ。

結論を言おう。マリガンの良さはジャズの良さでもあるけれど、もっと幅広く(ちょっと抽象的な言い方だけど)音楽的良さでもあるのじゃないだろうか。他方、アダムスの良さは、徹頭徹尾ジャズの面白さなのだ。これは心底ジャズ好きじゃないとワカらない。

つまりワタシと阿部ちゃんは根っからのジャズファンであって、その部分が共鳴するのだろう。ということは、必ずしも「趣味の一致」といった狭い話ではなく、根っからのジャズファンなら当然シビれるツボを阿部ちゃんは押さえているから、同じ体質のワタシは脱帽しちゃうんだと思う。