5月17日(土)

岡本郁生さんと伊藤嘉章さんによる「チャカポコの逆襲」、思ったとおり意義深いものだった。と言うのも、このところ私の関心がジャズとラテン・ミュージックの関係について向かっており、その辺りについて詳しい岡本さん、伊藤さんのご意見は大いに参考になるからだ。

まずは「チャカポコ」の説明から。実を言うと、私などはあまりピンと来なかったのだが、わたしより一回り下、岡本さんらの世代のジャズファンは、ラテンのパーカッションを「チャカポコ」と言ってバカにしていたらしい。確かに私たち団塊世代のジャズファンも、60年代、コンガやボンゴが入っているとそれだけで拒否反応を示す傾向があったのを覚えている。

これが払拭されたのには、80年代のイギリス発「クラブ・ジャズ」の影響が大きいと思う。ケニー・ドーハムの『アフロ・キューバン』(Blue Note)盤に収録された《アフロディジア》で踊るという発想に驚き、改めて聴いてみればこれが名演。改めて「チャカポコ」の魅力にハードバップ・マニアも目覚めたのだった(もっとも「クラブ・ジャズ」そのものはいまひとつピンと来なかったが・・・)。

とは言え、そこからより視点を広げ、ジャズとラテン・ミュージック全般のかかわりについてまで見方が広がったのは、村井康司さんと、伊藤嘉章さんによる「いーぐる連続講演」だった。村井さんの『JaZZ JAPAN』連載記事を基にした「ジャズはラテン・ミュージックの一種か?」という内容の講演あたりから、改めてジャズファンはラテン・ミュージックとジャズの関わりに関心を持つようになったのではないだろうか。

私も現在進行中の『JAZZ 100年』のラテン・ジャズ特集について調べるうち、想像以上に両者の関わりの深さを再認識した次第だ。そういった予備知識を裏付ける意味でも、今回の講演はジャズファン、ラテンファンの双方にとって大いに興味深いものだったのではないかと思う。

全体が3部構成になっており、第1部は「“ラテン・ジャズ”はもともと“インストゥルメンタル・マンボ”である」というサブタイトルで、マリオ・バウザからマチート、そしてパーカーとマチートの共演など、「ラテン・ジャズ」の初期形態を紹介。この辺りの音源は私などもけっこう聴いており、大いに楽しめた。

次は「ジャズマンによるラテン」のコーナー。興味深かったのは、岡本さんなどラテンファンから言わせると、パウエルの名演《ウン・ポコ・ロコ》のマックス・ローチのリズムはなってないそう。確かに私もあのリズムはちょっとギコチないなあとは思っていたが、まあ、耳がパウエルの方に行っているのであまり気にしなったが、言われてみればその通り。この辺り、まさに「目からウロコ」でした。

それに比べ、《チュニジアの夜》のブレイキーのドラミングの方が「クラーべ」などを取り込みつつ、よりこなれているという指摘は、実に納得。それにしても、マイルスの《マイルストーン》が「隠れラテン」ではないかという岡本さんの指摘は鋭い。このように「他ジャンル」からのジャズに対する視点は実に有益だ。また、コルトレーン『至上の愛』の手書き譜面に「Piano / Trap drum / 2 Base / 2 Conga / 1 Timbal」というメモがあったという指摘は、私などは初耳で驚いた。あのコルトレーンまでがラテン・パーカッションを使用する構想を描いていたとは!

そして最後のコーナー「ラテン→ジャズ / ラテンから見たジャズ / ラティーノによるジャズ」というコーナーが私にとっては一番面白く、3枚のアルバム購入を決める。それはMiguel Zenon ‘Jibaro’ / Natalie Fernandes ‘Nuestro Tango’ / BAK Trio で、特にナタリー・フェルナンデスの個性が際立っていた。

ともあれ、伊藤さんも言っていたが、同じアルバムでも「ジャズ耳」で聴くか「ラテン耳」で聴くかによって、微妙に聴き所が違ってくることが、今回の講演で実に良く見えてきた。岡本さん、伊藤さんらによるこのラテンとジャズの関わりシリーズ、今後も続けていただくことが決定し、大いに楽しみである。