『昭和レトロなジャズ喫茶論』

 

集英社クオータリーから刊行された 「コトバ」56 に掲載された、菊地成孔さんの記事「ジャズ喫茶の文化論」を読んで思わず笑ってしまいました。いかにも菊地さんらしい諧謔味に富んだジャズ喫茶論なのですね。

 なにしろタイトルが刺激的、「なぜ、ジャズ喫茶はコーヒーがまずいのか?」~あるいは、修行場のパワハラモラハラ~というのですから、これはジャズファンはもちろん、ジャズ喫茶店主だって思わず手にとって読まざるを得ません。

 

 しかしよく読んでみると、菊地さんが語るコーヒーもフードもみんなまずかった「イーストコースト」という店の話は、今から半世紀も昔のこと。また、「80年代においてもとにかく一貫していたのはコーヒーがまずかった」とも発言していらっしゃるが、これとてもう40年も昔の話なのですね。

 それももっともで、「90年代にプレイヤーとして「新宿ピットイン」とかに出演するようになってからは、ジャズ喫茶にはあまり行かなくなったのですよね」とご自身語っているように、菊地さんのジャズ喫茶体験は30年前で途切れている。つまり菊地さんは現在のジャズ喫茶の実態をあまりご存じないようなんです。

 

 しかしこの間、ジャズ、そしてジャズファンの実態は大きく変化し、なかんずく2010年以降ジャズを取り巻く環境はまさに様変わりと言えるほど変容しているのですね。この大きな変化を無視した「ジャズ喫茶論」はあり得ません。そこでこの「30年」の空隙を、1967年開業以来ず~っとジャズ喫茶の店頭に立ってきた不肖私めが、若干のつたない補足情報をご提供いたしたいと思います。

 

 まずタイトルの「なぜ、ジャズ喫茶はコーヒーがまずいのか?」という設問の菊地さんによる回答らしきものは、「もしコーヒーに力を入れだしたらレコードがおろそかになるかもしれないと、(80年代の)客は全員納得していましたね」という発言に要約されるでしょう。

 確かに大昔はそうした「空気」が無かったとは言えないのですが、それとて1961年に開店した伝説の名店、新宿「DIG」(現在は「DUG」)のオーナー、中平穂積さんの「(50年代)当時のジャズ喫茶はコーヒーがまずいので、何とかおいしいコーヒーを出そうと努力した」という発言をご存じなら、若干の留保が付くのではないでしょうか。

 私も「DIG」には足しげく通いましたが、コーヒーがまずいと思ったことはありません。付け加えれば、60年代当時「DIG」のレコード・コレクションは数千枚を数える有数のレコード保持数を誇っていました。

 また、70年代のコアなジャズファンならどなたもご存じ、今は無き渋谷の名ジャズ喫茶「メアリー・ジェーン」などは、わざわざこの店のコーヒーを楽しむために訪れる常連客が大勢いたものです。

 つまり当時はふつうの喫茶店だってまずいコーヒーを平気で出しているところがあったように、まずいコーヒーを出すジャズ喫茶だって当然あったでしょうが、それは全然一般化できるような話じゃなかったんですよ(当たり前ですよね)。

 そして1980年ドトールコーヒーの創業や、1996年のスターバックス日本店の登場に伴い、比較的安価ながら良質のコーヒーが提供されるようになってからは、安直な「喫茶店」は自然と淘汰され、その流れの中で「まずいコーヒーを出すジャズ喫茶」もまた廃業せざるを得なくなったことは、「現場」に立っていた私は実感として身に染みております。一時期の「ジャズ喫茶衰退」の遠因はここにもあったのです。

 

 もう一つのパワーワード「修行場のパワハラモラハラ」というのも、まったく無根拠とは言えませんが、かなり戯画化されていますね。これは菊地さんも言及しているマイク・モラスキーさんの影響もあるのかもしれません。

 まずは菊地さんの発言を追ってみましょう。「ジャズ喫茶にあって他所にないものとして、パワハラモラハラがあります。要するに、勉強の場としてのジャズ喫茶には「詳しい人に教えてもらう」というパワハラモラハラが構造として組み込まれている。」ご本人も「ある程度偽悪的に言っていますが」と注釈をつけていますが、まさに菊地さんらしい諧謔ですよね。

 ふつう人は他人に何かを教えてもらっても、それをパワハラだとかモラハラとは感じないんじゃないでしょうか。少なくとも私はそうです。むしろ知らないことを教えてもらって得したと思いますね。

 ここでまず押さえておきたいのは、日本にジャズ文化が定着したのは1961年のアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ来日に端を発するジャズ喫茶ブームです。もちろんそれ以前からジャズ喫茶はありましたが、彼らの来日公演をきっかけとして前述の中平穂積さんによる「DIG」はじめ、全国に多くのジャズ喫茶が誕生しそこを拠点にジャズファンが増えて行ったのです。

 しかし60年代当時、私を含めまったく「ジャズの文脈」を知らなかった音楽ファンとっては、「ジャズ」は真剣に「拝聴」しなければ到底理解できなかったですね。ですから「お前はジャズがわかってない」といった議論の末のパワハラモラハラがありえたのです。

 しかし早くも70年代頃から日本のポップスでもバックがジャズ・ミュージシャンだったりするケースが登場し、そうした状況で育った若い音楽ファンは無意識のうちに「ジャズ的サウンド」に慣れ親しんでいるので、もはや「わかる~わからない」といったアタマでっかちなレベルでジャズを聴いてはいないのですよ。

 

たとえば「いーぐる」でもパソコン操作をするお客様が増えだしたのですが、この方々が突如キーボードの手を休め、かかっているアルバム・ジャケットをスマホで撮影していくような光景がいまや日常化しているのです。つまり、ある意味BGM的にジャズを聴いていても、演奏がツボに嵌るとちゃんとアルバムをチェックしているんですね。つまりジャズファンの聴取リテラシーが昔とは比較にならないぐらい上がっているのです。

ですから前出のスターバックスについて、店内BGMにコルトレーンが使われたことを菊地さんは「こうしてジャズは最強のBGMとなり、それに伴いジャズ喫茶という文化は形骸化して霧散していったんです。」と断じておられるんですが、これはまさに「現場」を知らない方の思い込みなのですね。

いやそれはいささか失礼な憶測で、菊地さんは「微弱なハラスメントまで完全に排除したら、世の中の面白みはだいぶ減ってしまうんじゃないか。」と万事ご承知の上でのレトリックなのでしょう。

 

 ともあれ、こうしたジャズ喫茶の現況を知れば、「ジャズ喫茶が修行場だ」とか「パワハラモラハラ」なんて言う話は、まったく過去の遺物となっているのですよ。菊地さんの30年前の体験はそれなりにリアルだったんでしょうが、21世紀も四分の一を過ぎようとする今となっては、まさに「古き良き時代」の昔語りというわけです。

 してみれば本誌の表紙の「ジャズ喫茶の文化論」という表記も、むしろ「昭和レトロ、懐かしのジャズ喫茶論」とした方が実態に合っていたのかもしれません(笑)。

 

 最後に付け足しておけば、私は取材の場として店をご提供いたしましたが、その時チリビーンズを作っていたので、話の内容は出来上がった雑誌が送られてくるまでまったく知りませんでした(聞いていたら、写真撮影はご遠慮したんですけど…)。