【「ジャズ評論」についての雑感~その5「番外編の続き」】
いみじくも村井さんが指摘したように、ジャズファンの中にも、ある時期以降新譜をあまり熱心に聴いていない層が存在することは私も感じています。少し前でしたが、ジャズ関係者が大勢集まるパーティの会場で、名の知られたジャズ喫茶店主さんたちから「最近面白いミュージシャンいない?」と尋ねられ、ちょうどライヴを観たカマシ・ワシントンやスナーキー・パピー、ゴー・ゴー・ペンギンといった名を挙げたら、みなさんご存知ないようなのです。そのとき私は「これはちょっとまずいな」と思い、彼らの新譜や聴き所を私なりに紹介しておきました。
その方々の周りにはそれぞれ熱心な常連さん方がおいでになるはずなのに、こうした情報が入っていないことに少し驚くと同時に、「やはりなあ」とも思ったのでした。それは、なまじ年季の入ったジャズファンほどジャズ観が固定してしまっていて、一部の新人ミュージシャンたちの音楽を「あれはジャズじゃない」と一昔もふた昔も前の常套句で切って捨てているようなのですね。
これは決して非難ではなく、その気持ちは私もわからなくは無いのです。私自身、ある時期までそうした方々に近い感想を抱いていたからです。しかしここ5年ほど小学館さんとの仕事の関係上、「ジャズ史」、そしてジャズを含む「アメリカ音楽史」を今一度見直してみて、自分のジャズ観が無意識のうちに「モダン期偏重」に陥っていることに気が付いたのです。
きっかけは、「ジャズの父」と尊敬されたルイ・アームストロングやアメリカの国民的歌手フランク・シナトラ、そして先ごろ惜しくも亡くなったジョアン・ジルベルトといったボサ・ノヴァ・シンガーたちなど、ジャズ喫茶ファンには若干距離のあるミュージシャンたちを集中的に聴いた貴重な体験です。
詳しくは小学館から刊行されたCD付隔週刊ムックをご一読されたいのですが、このシリーズは、基本的にジャズに関心はあるけれどあまり詳しくはない一般読者を対象としているため、かなりていねいに説明をしています。事情通ならお分かりかと思いますが、ジャズ書で一番難しいのが「入門者向け」なのですね。
理由は、入門者には「ファンなら当然そんなことはわかっているよね」とマニア向けの「前提抜きトーク」は使えないところにあるのです。これはけっこうキツい。キツさの理由はいろいろあるのですが、一番の問題点は「ジャズとは何か」という、マニア間でも揉め勝ちな設問に対し、わかりやすいことばで正面から説明しなければならないところです。
付け加えれば、上記以外でもジュリー・ロンドンやビング・クロスビーといった、人気はあってもエラ・フィッツジェラルドやメル・トーメといった「わかりやすいジャズっぽさ」から距離のあるミュージシャンの「聴き所」を、「ジャズの本質」と関連付けて説明するには、“ジャズっぽさ”の「具体的内容」を私自身が再確認しなければいけないのですね。
その「再確認」の過程で、それこそルイ・アームストロングからカマシ・ワシントン、エスペランサまで、ジャズの本質を抽出する視点で聴き直した結果、前記のような私自身の「モダン偏重のジャズ観」が浮かび上がって来たのです。それはパーカーが切り拓いた即興重視のスタンスが、結果として、ジャズが誕生の頃持っていた大衆融合音楽という基本性格を大幅に芸術性重視の方向に転換させてしまった、「芸術音楽としてのジャズ」というジャズ観ですね。
パーカーが切り拓いた成果はたいへん大きく、彼に触発されたマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、そしてビル・エヴァンスといったモダン・スターたちの華々しい活躍は、多くの音楽ファンの「ジャズ観」を決定的なものとしたのでした。もちろん私のジャズ体験もそこが原点です。
とは言え、“ビ・バップ”に始まる「モダンジャズの時代」は、19世紀末に始まり既に120年近く経つジャズ史のうち、40年代後半から60年代末に至る、わずか20年ほどのことであり、期間としては「全ジャズ史」の5分の一にも満たないのです。
では、ルイ・アームストロングがその基本方向を形作ったとされる“ジャズ”から、“モダン期”も含め、現在のジャズシーンの隆盛に至るまで一貫した「ジャズの本質」とはいったい何なのでしょうか。
私はそれを「個性的表現を第一とする音楽」として捉えたのです。もちろんどんな音楽ジャンルも演奏者の個性的表現は重要ですが、クラシック音楽の場合は作曲者の意図がそれに制限を加え、伝統的民族音楽は一定の文化的規範が個性表現に制限を加えています。
また、ポピュラー・ミュージックの場合は、多くのスターはヒット曲と共にデビューするケースが大半です。そうした場合、ファンはまずもってユニークかつ魅力的な楽曲を演奏・歌唱する存在としてミュージシャンの存在を知り、結果としてファンになるのですね。彼らにとって楽曲の存在はクラシック音楽とは別の意味で重要な要素となっています。
ジジイなのでたとえが古くて申し訳ありませんが、私がビートルズを知ったのは「抱きしめたい」や「ア・ハード・デイズ・ナイト」といった、60年代当時としては極めてキャッチーな楽曲を演奏するミュージシャン・チームとしてであり、楽曲より先にビートルズの存在を知っていたわけではありません。これは同世代の多くの音楽ファンにおいても同様でしょう。
彼らの場合、もちろん個性的な存在ではあったのですが、キャッチーな楽曲を極めて魅力的に表現することが、ファンに認知される前提条件となっていたのですね。言ってみれば、楽曲の存在と個性表現が極めて有機的に結びついているのです。もちろんジャズ・ミュージシャンにおいても楽曲との絡みでの認知という現象は見られます。「ハロー・ドーリー」とルイ・アームストロング、「ラウンド・ミッドナイト」とマイルス・デイヴィス、あるいは「奇妙な果実」とビリー・ホリディなど。
しかし注意すべきは、彼らは上記の楽曲によって「一般的認知」を得る前から、ジャズ・ミュージシャンとして十分以上の評価を「ジャズファンたちから」得ていたのですね。そしてその評価はそれぞれが極めて個性的な存在だったからなのです。このことは、いわゆる“スタンダード・ナンバー”とそれらを採りあげたジャズ・ミュージシャンの関係を見ることによって、より鮮明に浮かび上がって来るでしょう
というところで今回は一休み、続きは次回に譲ります。