10月27日(土)

今日の青野さんによる『クラシック・ジャズの魅力再発見』、ジャズ関係者としていろいろと考えさせられ、かつ反省するところ大の講演でした。内容は最高です。私のようにバップ以前のジャズにあまり詳しくないファンにとっても、素直に楽しめる選曲の良さと、青野さんのジャズ対する熱い思いがダイレクトに伝わってくる素晴らしい講演でした。

にもかわらず、率直に言ってお客様の入りはいまひとつ。これはヒジョーにもったいない。要するに「クラシック・ジャズ」あるいは「アーリー・ジャズ」に対するジャズファンのイメージが、まさに「聴かず嫌い」になっているように思えるのです。

打ち上げの席で話題になったのは、ジャズ喫茶を含め、日本のジャズ受容の「ゆがみ」がこういうところに現れているという、けっこう深刻な問題です。その「ゆがみ」は、ある意味でやむを得ない部分と、私たちジャズ関係者の怠慢というか無関心、難しい言い方をすれば「不作為の罪」ということにでもなるでしょうか。

まず「やむを得ない構造的問題」のトップは、この時代のジャズはSP単位なので、『カインド・オブ・ブルー』とか『ワルツ・フォー・デビー』といった「アルバム単位の記憶」というファンに対する便利な紹介の仕方が出来ない。入門ファンは《ソー・ホワット》や《マイ・フーリッシュ・ハート》といった個別演奏の良し悪しを知らなくても、LP単位なら名盤としてのイメージを抱くことが出来、それがあるからこそのアルバム・ガイド・ブックであり、ジャズ入門本だったのです。

ところが、ルイ・アームストロングの《ワイルド・マン・ブルース》と言っても、Okeh録音もあればVocalion録音もあるといった按排で、ある程度その世界についての知識がないと、現在さまざまな形でCD化されている音源を特定すること自体が難しい。これがこの時代のジャズ普及の大きな障壁となっているのです。その結果、アルバム単位の紹介が基本である当店を含めたジャズ喫茶は、あまりこうした時代の演奏を積極的に紹介してはこなかった。また、「音が悪い」といった、今となっては必ずしも正確とはいえないイメージも悪く作用している(実際、今回の講演で音質が聴取のネックとなっていると感じた音源などなかった)。

加えて、私自身も加担しているジャズ評論の世界では、つい最近までバップ以前のジャズを「遅れた」とまでは言わないにしろ、一種の「過程状態」と見なす暗黙の前提があったように思います。これはまさしく、「新しいものは良い」という進歩発展を前提とした「近代主義=モダン思想」ではないでしょうか。

自分自身の反省を込めて言うのですが、あらゆる価値をとりあえず並列的に眺め見る「ポスト・モダン」的視線からすれば、こうした固定概念にはちょっと疑いの目を向けてもよさそうなものなのに、どうしたわけかクラシック・ジャズに対してはなおざりにされていた。

今回青野さんが紹介した音源の数々は、歴史的に言えば「過去」のものに違いありませんが、だからと言って音楽としてつまらないわけではなく、ましてや「遅れている」と言って切り捨てられるものでもない。現代のバリバリの新録新譜でも、ルイ・アームストロング20年代の名演に、表現の力、味わい、コクにおいて遠く及ばない作品などいくらでもある。

そろそろ「新しいもの」の意味合いを、「時代において新しいもの」と「自分にとって新しいもの(言い換えれば未知のもの)」の二つあるということを、ちゃんと考えてみる時期なのかもしれません。私としては、そのどちらにも目配りすることが有限な自分の時間を有効に使う方法のように思えるのです。

講演自体に即して興味深かったのは、青野さんの新説です。従来、前述の1927年4月22日Vocalion録音の《ワイルド・マン・ブルース》に比べ、格段に表現豊かとなった1927年5月7日Okeh録音の同曲を例証として、ここにルイの第1期と2期の境目を見る油井正一説に対し、青野さんはまさに現場の人間ならではの鋭い洞察を加えたのです。

すなわち、当時Okeh専属のルイに対し、レコード会社Okehの人間が、「同じ曲目の他社録音はいかがなものか」といった、まあ、当然と言えば当然のクレームを付けたという状況があり、それを頭に入れた上でルイは、「わざと」Vocalion録音では「手加減した」のではないか? というヒジョーに興味深い洞察です。

確かに、たった2週間足らずで(調子の良し悪しとは別の次元で)これほど音楽の表現力に差が出てくるというのもちょっと不思議と言えば不思議な話です。これに対し、この時代の音楽研究の第一人者、林建紀さんは「油井さんはすべてわかった上で、話を面白くしたのでは?」という、これもまたありそうな話。真相はさておき、どちらの説も面白い。

音そのものに対する個人的感想を述べれば、やはり20年代のルイはずば抜けている。これは誇張でもなんでもなく、音楽の力、表現の力において、現代ジャズになんら劣るところなど無いばかりか、むしろそれを凌駕していると感じざるを得ませんでした。また、ホット7のクラリネット、ジョニー・ドッズがいいですね。

とにかく、この時代のジャズの魅力をキチンとわかりやすく説明する努力を、私たちジャズ関係者は怠っていたのでは、と反省せざるを得ない貴重な体験を今回青野さんは私たちに与えてくれたのです。クラシック・ジャズ紹介はこれからも続けます。ジャズファンのみなさま、啓蒙とかそういうことではなく、バップ以前のジャズからは、現代ジャズが失いつつある色濃い味わい、個性、エネルギー感が強烈に感じられるのです。「聴かず嫌い」そろそろ卒業しましょうよ!