【Bar stereo, Baker’s Mood + DJ大塚】

 

12月12日土曜日、高田馬場のBar stereoにBaker’s Mood + DJ大塚のイヴェントを観に行きました。先日の渋谷Tangleに続き、ジャズD.J.イヴェント探訪が続いていますが、これはコロナ禍で逼塞を余儀なくされているジャズ・音楽業界が今後どう生き延びるか、その答えを探ろうという思惑も少なからず秘めています。

 

というのも、日本における「ジャズ喫茶」という業種は長い歴史があるため、多様なタイプのジャズ喫茶が存在するとは言っても、いーぐるも含め、ある種の「枠の中」でジャズを捉えているのではないかという思いがこのところしてきたからです。

 

海外ジャズ・ミュージシャンの招聘が難しかった戦前に誕生し、やはり大物タレントの来日が珍しかった60~70年代に最盛期を迎えたジャズ喫茶は、ある意味で「ライヴの代替物」としての機能を期待され、それは21世紀を迎えた今も続いていると言っていいでしょう。つまり日本におけるジャズの受容は、コンサート会場 / ライヴハウス、ジャズ喫茶、そしてレコード・CDショップの3本立てということにでもなるでしょうか。

 

しかしよく考えてみれば、ジャズ音源を提供する場がジャズ喫茶に限らない状況はずいぶんと前に始まっていたのですね。80年代から90年代にかけ、UK発のDJたちがジャズを音源として踊らせるクラブカルチャーが誕生し、日本にもそうしたムーヴメントが伝わっていたのです。しかしながらジャズ雑誌、ジャズ喫茶を含む日本のジャズ業界は、こうした動きに対し必ずしも柔軟に対応して来たわけではないようです。

 

日本のコアな(そしてある意味で保守的な)ジャズファン、そしてジャズ評論家は「ジャズで踊らせる」という一事に拒絶反応を示したのです。そしてジャズ喫茶界隈のファン層も、そうした空気を肯定しているように見えました。

 

私自身は89年に日本公開されたクリント・イーストウッド監督の映画『バード』で、パーカーの演奏に合わせて聴衆が踊るシーンを見ており、また、そもそも戦前のジャズシーンはダンスバンドがジャズの重要な構成要素でもあったことも知っているので、「ジャズで踊る」ということにさほど抵抗感はなかったのですが、90年代当時は大げさに言えば「ジャズを冒涜」みたいな雰囲気があったようです。

 

確かにその頃紹介された「DJ発ジャズ」は、多くのジャズ喫茶で聴かれていたアルバムとは若干テイストが異なっていたことは確かでした。また、率直に言って当時はDJという存在自体が、ジャズファン界隈からは若干色眼鏡で見られていたようです。

 

ところで、DJとひとことで言っても、私も20代の頃FENでよく聴いたウルフマン・ジャックのような元祖ラジオDJと、70年代以降に誕生したヒップ・ホップDJはずいぶん違うもので、そして今話題にしているUK発クラブDJもまた微妙に性格が異なった存在ですよね。

 

私がDJを身近な存在として初めて感じたのは、意外かもしれませんがロックDJでした。70年代当時、私自身「いーぐる」と同時に「ディスクチャート」というロック喫茶をやっていたこともあり、今も渋谷にあるロック喫茶の老舗「グランドファーザーズ」によく通ったものでした。

 

この店はアナログ盤片面を通してかけるジャズ喫茶とは違い、2台のターンテーブルを使い一曲ごとに繋いでいく、現在のジャズDJと同じ手法でお客を楽しませていたのですが、その選曲 / 繋ぎが絶妙だったのです。その頃はジャズに比べ私のロック知識は浅く、そのことに比例するようにロック・ミュージックへの愛着度も低かったのですが、グランドファーザーズの名DJは私の知らない楽曲を実に魅力的に聴かせてくれたのでした。

 

以来私は「DJ技術」の底力を実感したのですが、それと同時に、音楽ジャンル・手法こそ異なれど、選曲 / 繋ぎでお客を惹きつけるジャズ喫茶レコード係とDJは、根底において発想が同じであることも実感したのです。ですから、80~90年代当時、DJを「他人が作った音源をかけているだけ」と揶揄する人たちに対し、「ものの見方が浅いなあ」と思ったものでした。

 

こうした体験があるので、前回訪れた渋谷Tangle での若手DJさんたちの意外とも思えるジャズ選曲も、「場の演出」という視点から楽しむことが出来たのです。

 

いささか前置きが長くなってしまいましたが、今回のBar stereo における「Baker’s Mood + DJ大塚」、私が何となく感じていたことを確認させてくれた素晴らしいイヴェントでした。

 

ひとことで言ってしまえば、DJ大塚のDJ技術のレベルの高さを実感したのですね。知っている楽曲が実に魅力的に聴こえるのです。それに比例するように、Bar stereoのカウンターを囲むお客たちも、この店の売り物である多様なカクテル、ワイン楽しみつつ、じっくりとジャズに聴き入っていました。

 

これって、「場」こそ異なれどジャズ喫茶空間がうまく機能している瞬間とまったく同じなのですね。つまりレベルの高いDJが仕切る場は、ジャズ喫茶が生み出す好ましい時間を「濃縮して」提供しているのです。ですから、こうしたイヴェントに「技術料」としてチャージが発生するのは極めて当然だと思いました。

 

付け加えれば、和地誠さん率いるDJ集団Baker’s Moodのみなさん(山下達郎さん、松崎兄さんら)それぞれが登場するごとに場の気分が変わり、そのこと自体がとても贅沢な体験でした。極めて凝った選曲をする方、Strata East盤を固め打ちにするDJさん、そしてアート・ペッパーを実に良いタイミングで聴かせてくれた大塚さんなど、各々のDJが担当する時間帯自体がまさに「個性発現の場」で、要するに彼ら自身がジャズ・ミュージシャンと同じように、紛れもない表現者たちなのです。

 

そしては初めて訪れたBar stereo も、こうしたイヴェントに適した極めてコージーな空間を作っているのですね。JBLのスピーカーを4台使うという変わったシステムから繰り出されるサウンドは、ジャジーなテイストを満喫させると同時に聴き付かれしない柔軟性を備えた巧みなチューニングが施されており、店主のジャズに対する理解・愛情が感じられました。

 

 

結論として前回に続いたジャズDJ探訪で私が得たものは、いささか手前味噌ながら選曲を重視した「いーぐる」のスタンスは、21世紀のジャズシーンにおいても、それなりに有効なのだなという思いです。一曲ごとの繋ぎが生み出す「濃縮されたDJ空間」に対し、「アナログ片面相当」つまりCDであっても20分程度でアルバムを切り替える「ジャズ喫茶選曲」は、それこそ「在宅勤務」の気分転換や読書のBGMとしても楽しめる、「より、ゆったりとした音楽空間」を提供しているのだという思いです。

 

ちなみに「いーぐる」の選曲は、スタッフが選曲する火曜と木曜18:00~19:00の「新譜紹介」の時間帯を除き、すべて私があらかじめ選曲したプログラムに従っているので、「いーぐる」はDJ後藤の「場」でもあるのですね。