3月31日(土)
季節の変わり目のせいか齢のせいか、いまひとつ体調が思わしくない。だが今日は取材一件といーぐる連続講演がある。正午、気合を入れてジャズ喫茶としては珍しい週刊誌の取材に望む。「週刊ポスト」が創刊40周年とやら(だったと思う)で、40年以上やっている(レトロ)喫茶店の紹介記事だそうだ。
母校の後輩二人組みとカメラマン、総勢3名の女性取材陣はテキパキと作業をこなしていく。店内の、普段は新譜CDを掲示している壁面に、「昔はアナログ盤を入れてたんですよ」とブルーノートの『ソニー・クラーク・トリオ』を飾って見せると、みなさん「かわいい、かわいい」とおっしゃる。団塊オヤジとしては「どこがかわいいんだか」と思ったけど、皆さんコトバの本来の意味でかわいかったので、許す。
今日の本命、益子さんの「21世紀ジャズへのいくつかの補助線、第1回」は想像以上にわかりやすかった。今まで益子さんには何回か講演をやっていただき、ずいぶん新譜を紹介していただいたが、正直、益子さんが感動しているほどにはこちらには良さが伝わってこないケースがたまあった。
しかし引っ掛かるものはあった。例えば、益子さんがかけたジム・ブラックのアルバムがえらく良かったので、「いいねえ」と言うと、「前かけたときは無視していたじゃないですか」と言われてしまった。そうか、これ、以前聴いたことがあったんだ。まあ、その後ジム・ブラックのライヴを体験したということもあるけれど、以前はこちらが「聴き所」を掴んでいなかったのだ。
そうしたいきさつを踏まえての講演なのだけど、今回は具体的な「音の類似」という視点で、ビョークやらラディオヘッドなどジャズ以外の音源を参照しつつ、「触感としての音」「意図的にズラしたリズム」「ある種の暗鬱な気分」などというキーワードを駆使して「近頃のわかりにくいジャズ」の聴き所を丁寧に提示してくれた。
もちろんそうした演奏のすべてが気に入ったわけではないけれど、彼らが表現したいもののありかは、以前よりはかなり明確になったような気がする。そしてそれらは私のようにサッチモ、エリントン、パーカー、マイルスといったジャズの文脈でジャズを聴くクセ(いままではそれが当然のことだったのだが、、、)が身に染み付いた人間には気が付きにくい性質のものであった。これは大きな発見だ。次回以降が楽しみである。
講演の中身が充実しているとアフターも盛り上がる。こうした出し物には不似合い(失礼)な三具さんが「面白かった」と言い、ヨーロッパものに強い須藤さんが若干の異論を挟むなど、脇で議論を聞いている私にとって実に有益なひと時を過させていただいた。益子さん感謝!