1月19日(土)

本日は朝日カルチャーセンターの初日。このところ受講者さんの人数は平均十数名で安定し、今期は17名。講座の内容はジャズ史の第1回で、ラグタイムからビバップまで。生徒さんには、「とにかくルイ・アームストロングデューク・エリントンチャーリー・パーカーの3人の名前だけは確実に覚え、彼らの演奏をキチンと聴いてください。ジャズという音楽のほとんどの要素はこの3人が作り上げた。」と念を押す。
一部に、ジャズは自分で聴き方を探るもので、カルチャーセンターなどで教えてもらうのはいかがなものかというご意見があることは承知しているが、ジャズ界の裏事情を知らない方々が自力探索した結果、雑誌等で取り上げらやすい売れ線アルバム(金髪美女系やら軟弱ピアノもの)をジャズの中心と誤解されるよりは、サッチモ、エリントン、パーカーのアルバムをちゃんと聴いてもらう方が、まだ良いのではないか、というのが私の考えだ。
夕方5時から、吉祥寺で開かれた北里義之さんの新著『サウンド・アナトミア』(青土社刊)の出版記念パーティに顔を出す。「高柳昌行の探究と音響の起源」とサブタイトルがついているところからもわかるように、読者層はかなりコアな音楽ファンだろう。それから類推し、パーティ参会者もいわゆる「ジャズ左派」で、見知った顔は少ないと踏んだが大誤算。「ジャズ批評」元編集長岡島夫妻はじめ、およそ20名に及ぶ来客のほとんどが知り合い。あらためてジャズ界の狭さが実感された。
会はとても気持ちの良いもので、これは北里さんの人柄だろう。スピーチでは、演奏家である黒田京子さんの、批評家の責任についての発言が重く響いた。また、北里さんの、ミュージシャン、そして批評家相互のコミュニケーションが、今のところうまく機能していないのではないかという意見も、その通りだと思った。
高柳晩年のライヴ・ビデオが上映されたが、いわゆるノイジーサウンドも、私にとっては思いのほか音楽的かつ叙情的に聴こえた。そして60年代後半、当時赤坂山王下にあったエールフランス・ビル地下のサパー・クラブという、ちょっと高柳さんには似つかわしくないところで初めて彼の演奏を聴いたことを思い出してしまった。
続いて巻上公一さんの口琴を使ったヴォイス・パフォーマンス、これが絶品。あんな小さな楽器からよくもこれ程多彩な音響を発生させられると感心しつつ、これならPAのないいーぐるでもライヴが出来るかもしれないなどと妄想。後で巻上さんに出演交渉をしてみたら快諾。何しろいーぐるでのライヴは阿部薫以来なので、これから段取りを考えよう。
ところで、会場のサウンドカフェ・ズミ(武蔵野市御殿山1−2−3)はとても素敵なお店だ。何しろ見晴らしがいい。吉祥寺駅南口から5分ほど1階がキヨノ自転車というビルの7階にあるこじんまりしたお店の窓からは、井の頭公園一帯の景色が一望される。オーディオも凝っていて、JBLの見たことのないヴィンテージ・スピーカーが良い音で鳴っていた。それに、壁にモーリス・ブランショの(おそらく唯一の)写真が飾ってあるお店なんて初めてだ。
散会後、沼田順さんと吉祥寺の立ち飲み屋で軽く1杯のつもりが予想通り後を引き、中野に場所を移し朝4時まで。話題はかなりマジメな芸術論。沼田さんの言うことは実に良くわかるけれど、微妙なところで私とは違う。もちろんそれは当然のことだが、それでも以前よりは「溝」(と言ってもアートに対する見解だが)の幅が縮まったように思えた。楽しく充実した1日であった。