1月26日(土)

今日の連続講演は、故人の剽窃事件を扱う非常に深刻なテーマなので、いささか気が重い。いずれウエブ・マガジン「JAZZ TOKYO」に経過報告をする予定になっているが、とりあえずメモ的に書いてみる。
1月26日土曜日、午後3時30分からおこなわれた第350回いーぐる連続講演は、「ジャズ・ジャーナリズムの現状を考える」の第2回目として、中山康樹氏の提案による「オスカー・ピーターソンは誰のために《テリーズ・チューン》を書いたのか」というテーマで、会場参加者との質疑応答も含めたシンポジウム形式でおこなわれた。壇上には中山康樹氏、村井康司氏、そして私の3人が上がった。当日の参加者総数はわれわれ3人を含め40名。
冒頭、中山氏による今日の討議の趣旨説明がおこなわれた。要約すると、昨年亡くなられた詩人、評論家、清水俊彦氏が剽窃を行なったこと、また、故植草甚一氏のサインと酷似したサインを清水氏が使用している事実を挙げ、清水氏の著書を再点検する必要がある。そして中山氏は「仮定の話として、マイルスのレコーディングとされている作品が、後日、実はフレディ・ハバードが吹き込んでいたと確認されたとしたら、マイルスとして批評を書いていた人間は、当然訂正するべきだろう」というたとえ話を用いて、清水氏の著書の影響下にジャズ評論を行っていた人たちに再考を求めるという主旨の発言を行なった。
事実確認を行なっておくと、清水氏が剽窃したとされる文章は、1992年に弘文堂から出版された「アメリカの芸術」藤枝晃雄編の中の「ジャズ=不完全な芸術」という論文で、1995年に出版された再版のあとがきで、編著者、藤枝氏の署名のもと、初版の清水氏の論文が、テッド・ジオイヤ「不完全な芸術」(Ted Gioia, The Imperfect Art, Oxford and New York : Oxford University Press, 1988)の一部の剽窃であることが判明した旨記されていることが示され、前出の植草氏のサインに酷似した清水氏のサインとともに参加者全員にコピーが配布された。
また中山氏は、故いソノてルヲ氏が、オスカー・ピーターソンクラーク・テリーのために書いた《テリーズ・チューン》を、自分のために書いたと主張をしたことを例に挙げ、ミュージシャンを利用して自己主張を行なうような行為を批判した。
村井康司氏は、剽窃行為が許せないことは大前提として、一般論として、どこまでが剽窃かという問題を提起した。例えば、外国ミュージシャンの生年月日、録音データ等は、いちいち戸籍謄本を取りに行くわけにもいかないわれわれとしては、既成の記述を踏襲せざるを得ない。また、清水氏が、まだ誰も経歴を知らない時点で、一般ジャズ誌が取り上げなかったアート・アンサンブル・オブ・シカゴのメンバーなど、アヴァンギャルド系ミュージシャンの略歴等を書いてくれたことは、仮にそれが外国雑誌からの引用であったとしても、読者にとっては有用性があったという事実を証言した。
私は、清水氏の著作「ジャズ・オルタナティヴ」(青土社刊)フレッド・フリス「突然の介入者あるいはたった二人だけの〈オーケストラ〉によるロックの解体学 スケルトン・クルー日本公演’83」p82上段2行目から下段3行目まで9行を読み上げ、非常にわかりにくい日本語であり、仮にこれが清水氏の詩的表現であるとすれば、それは私の個人的嗜好に合わないという理由で、今までそれほど熱心に清水氏の著作を読んだことはないこと、とはいうものの、(同著p83上段15行目から下段6行目までの12行を読み上げ)非常に有用な音楽情報が記載されている事実をも指摘し、村井氏の発言に私の立場から同意した。
しかし会場参加者、益子博之氏から、清水氏著「ジャズ・アヴァンギャルド」(青土社刊)のスティーヴ・コールマンの記述等を熟読すると、日本語としてこなれていない言い回しが多数あること。そして断言は出来ないが、これらを「詩的表現」と見るよりは、翻訳による不自然さと見たほうが良いのではないかと言う意見が出された。この見解は、私としても検討に値すると感じた。
以下、主要な参加者からの質問を列記する。「良い評論とは何か、また、おかしな評論にダマされないようにするにはどうすればよいか」というものがあり、中山氏、村井氏、そして私がそれぞれの意見を述べた。
「主観的な批評を書いても良いものだろうか、また、そうするとポエムのようになってしまう」という質問に対して、村井氏から「要は、客観的記述と主観のバランスをうまくとることではないか」という回答があった。
編集者である質問者から「身につまされる、剽窃事件の責任の問題はどうなるのか」という問いかけに対し、同じ編集者である村井氏から専門家として適切な回答がなされた。
「植草さんと清水さんはニューヨークに行ったことがあるのか」という質問に対し、中山氏から「植草さんがニューヨークに行ったのはジャズ評論を書かなくなってからで、清水さんは一度もないはず」という回答がなされた。
「論文の剽窃はさておき、サインを真似るという行為の意味がわからない」という質問に対し、中山氏、村井氏、そして私も、「真意は不明」としか答えることが出来なかった。
最後に中山氏が、ミュージシャンである大友英良氏、菊地成孔氏らが清水氏を高く評価しているが、いかがなものかという発言があり、それに対し私が、常時ライヴに来てくれ、演奏を励ましてくれる評論家を高く評価する気持ちは理解できるし、そもそも彼らは剽窃の事実を知らなかったのだからやむをえないのではないかと彼らの姿勢を擁護した。
中山氏のもっとも言いたいことは、清水氏の剽窃の事実を知った上でも、なお、清水氏を高く評価するのかということだと思われるが、それは、この討議によって清水氏の剽窃の事実が広く知られた後に、それぞれの当事者の方々が判断すべきことではないだろうかと私が発言し、途中休憩を挟んだおよそ3時間に及ぶ討議は終了した。
なお、この記述はとりあえずのものであり、録音テープ等は参照せず、記憶、当日のメモを頼りに書いているので、後日誤り等が訂正される可能性があることをお断りしておきます。