1月28日(月)

現在1.26イヴェントのテープお越し作業をお願いしているところです。近日中にもう少し詳細な当日の模様をお知らせできると思います。とりあえず、今のところ私のところに寄せられた情報をお伝えいたします。
八田真行さんから私宛に次のようなメールが寄せられました。


私自身は益子さんと同じく、清水氏の書いたもののうち、特に海外のミュージシャンを扱ったものに関しては、データ面などを除く純然たる個人的表現の部分までもが、海外評論家がどこかで書いたものの翻訳だったのではないかと思っています。日本のミュージシャンを扱った文章がどちらかと言えば具体的でこなれた表現になっているのに比べ、海外のものの紹介が往々にしてひどく生硬で、良く言えば詩的、率直に言えば意味不明な文章になっていることが多い(あと、異なる媒体で同じ表現の使いまわしも多い)のは、ようはそういうことだったのではないでしょうか。
個人的に気がついた例を一つ挙げると、清水氏は後藤さんも執筆されている「ジャズ名盤ベスト1000」(学研)でサン・ラーのLive at Soundscapeというアルバムを取り上げて、以下のように書いています(文庫版pp.273)。

「ニューヨークの最先端音楽スペースとして存在した『サウンドスケープ』のサン・ラ・アーケストラのライヴ録音。コミック/コズミックな概念主義者、狐のようにクレイジーで、恐れを知らぬキーボードの革新者であるサン・ラは、手練手管を尽くした擬似ナンセンスにより祝祭の雰囲気を盛り上げている。」(これで全文)

私は最初これを清水氏独自の形容だと思い、なかなかうまいこと言うなと思っていたのですが、後日このアルバムを手に入れたところ、これは英文ライナーを書いた評論家ハワード・マンデルの

「Ra did elicit a party atmosphere with his wily pseudo-nonsense」
「Ra, the comic/cosmic conceptualist, the crazy-like-a fox bandleader, the tradition-steeped composer and fearless keyboard innovator」

という表現をつなげたものであることに気づきました。ややこしいのは、清水氏はこのアルバムの日本盤で日本語ライナーを書いており、そちらでは「ハワード・マンデルの言葉を借りれば、『コミック/コズミックな概念主義者、狐のようにクレイジーで、恐れを知らぬキーボードの革新者であるサン・ラは、手練手管をつくした擬似ナンセンスにより祝祭の雰囲気をまざまざとひき出している』。このことは何よりもまず、パーカッションが繰り出すバックビート--黒人教会に根ざし、ヒップ・ホップのストリート・リズムを予告する--が、アーケストラのはやし歌の詠唱を強調していることに示されている。」ときちんと出所を明らかにしているのです(しかも微妙に表現が違う)。ところが、マンデルの口に入れていない「このことは何よりもまず〜」以降にしても、
実は「in addition, some serious backbeat -- rooted in the blackchurch, prefiguring the street rhythms of hiphop -- undescores hisArkestra's chants」というくだりをそのまま訳しただけなのでした。

もう一部分挙げると、
「70年後期のサン・ラの他のレコーディングで現在入手可能なものは僅かしかないが、この時期に、彼のアーケストラは、時代の荒廃と精魂尽き果てるような旅にもかかわらず、その質を少しも減じていない。が、そのあと、パット・パトリック、ダニー・デイヴィス、ジューン・タイソン、そして1993年にはサン・ラ自身がこの世を去ってしまった。それにしても、『ザ・ポシビリティ・オヴ・オールタード・デスティニ』(『地球の運命は変えられるか』)でのサン・ラのスピーチ--それを聴いて、ぼくらが思わず微笑んでしまい、その快活で移り気なウィットと内的ロジックに惑わされながらも楽しんでしまうレクチャー--に比べられるようなどんなオーディオ・レコーディングもないだろう。最後にもう一度ハワード・マンデルの言葉を借りれば、(以下略)」
というところも、

「Few other recordings of Ra from the late '70s survive, though inthat era his Arkestra was relatively undiminished by the ravages of age and exhausting travel that subsequently claimed Pat Patrick, Danny Davis, June Tyson, and in 1993, Sun Ra himself. There is no audiorecording comparable to Ra's speech on "The Possibility of AlteredDestiny" -- a lecture we may smile at, puzzle over and enjoy for itsquicksilver wit and inner logic.」

というところの直訳です。
# the ravages of ageは訳すなら「老いによる衰え」ではないかと思いますし、 若干訳 としては間違っているようにも思うのですが…
いずれにせよ、ここではわざわざ「ハワード・マンデルの言葉を借りれば〜」というような表現があるだけに、全体としては清水氏が一から執筆したかのように見えますが、実のところ導入部を除いたこの日本語ライナーのほぼ全体が、私にはマンデルの英文ライナーの抄訳プラスアルファのように思われます(マンデルの文章には出てこない情報も若干混ぜてあるが、話の展開はほぼ同じだし、そうした情報(文章)も他に出所があるような気がする)。どうやら、基本は他人の文章のストレートな訳なのだけど、一部を元々の筆者に帰することで、残りは自分のオリジナルな文章であるかのように見せかける、という手法を清水氏は使っていたようです。
また、少なくとも、サン・ラーが「(狐のようにクレイジーな)バンドリーダーであり、深く伝統を理解した作曲家(the tradition-steeped composer)」でもあるというところをわざわざ抜いたのは、前衛好きの清水氏らしいとは言え、マンデルの意図をきちんと伝えるという意味では適切な引用法ではないでしょう。
結局のところ、清水氏は他人の文章の適切な引用のしかたを理解しておらず、そこに脇の甘さというか、いい加減なところがあったのだと思います。植草氏も著書で同様のことをやっておられた覚えがありますので、世代的にもこの種のことに寛容というか注意が緩慢だったのではないかと推察します。加えて、おそらく清水氏には「ネタ帳」のようなものがあって、どこかで見た気に入った表現を出典を明記せぬまま書き出してあったのではないでしょうか。学研の本ではそこから使いまわしたということではないかと思います。


ともあれ、私自身も八田さんが指摘されたように、こうした現象は「世代の問題」であるような気がしないでもありません。